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中国の1,100万人都市、武漢は銃を持った中国共産党の「人民解放軍兵士」に包囲され「封鎖」されているんですよね?これはどういう事かと言うと、武漢から脱出しようとする市民は「人民解放軍兵士」に「射殺」されると言う事ですよね?

「人民解放軍の兵士」にしても、武漢の市民を捕まえたくないのですよ。何故かと言うと「病気が自分に伝染する」かもしれないから。だから射殺した方が「安全」だし、射殺した死体はそのまま「放置」すれば、「見せしめ」になって、次に「脱出」しようとする者を防げますからね?だから兵士は上官から「射殺の許可」を得ていると思いますよね?逆に射殺をためらったりしたら、罰せられると思います。何しろ「天安門事件」を起こした中国軍ですからね。

中国の「歴史」では「都市を封鎖」して「皆殺し」にした記録が珍しく有りません。要するに「兵糧攻め」です。習近平にしてみれば、中国には14億人も居るのだから、1000万人くらい死んだって、どうって事ないんですよ。
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長春包囲戦(ちょうしゅんほういせん 中国語: 長春圍困戰)とは、中国国民党軍によって守られた長春市(旧満州国首都新京)に対して中国人民解放軍によって行われた包囲作戦(兵糧攻め)のことである。1948年5月23日から10月19日までの150日間続いた。長春包囲戦は遼瀋戦役の一部であり、長春の陥落につき遼瀋戦役の第一段階が終了した。中国共産党の作戦で長春に長期食糧封鎖したため、中国国民党軍以外の約30万人の一般民衆も餓死に追い込まれた[1][2]。

1948年5月23日、人民解放軍は中国国民党軍に守られた長春に対して包囲を敷き始め、空輸を停止した。包囲の間、人民解放軍は林彪によって指揮されていた。林ははじめ、4月に長春を攻撃するつもりであったが包囲が完成した後は彼の注意は他の都市へと移った。林は最終的に10月には長春を陥落させるつもりだった。毛沢東は林に先の都市では5カ月もかからなかったと林を嘲笑する電報を送り、林に錦州を攻めるよう命令した[3]。

その後錦州陥落の情報が長春に届き、国民党軍の指揮官の鄭洞国将軍は大部分の幹部と共に中国人民解放軍に投降した。この中国国民党軍第60軍および新第7軍の投降によって1948年10月19日に中国人民解放軍が長春に入り、150日に及ぶ包囲戦は終了した。鄭洞国らは毛個人の命令で人民解放軍のポストが与えられた[4]。

包囲のした5ヶ月にも渡る間、人民解放軍が役に立つと判断した人以外は一切外に出さず、人道のために内部に食料を持ち込もうとした人々を即座に銃殺するほど徹底的に人民解放軍は兵糧攻め作戦を行った。その結果市内では餓死者が続出した。最終的な餓死者は33万人に達し、国民党軍が降伏する間の5ヵ月間に約50万人だった市内の人口は17万人ほどまで減少した。人民解放軍が市内に初めて入って見た光景は餓死者の死体の山だった。[5]。

中国人民解放軍による一般民衆大量餓死
1989年8月、六四天安門事件の2カ月後に張正隆中佐(zh:張正隆)が執筆した雪白血紅(zh:雪白血紅)という本が中国人民解放軍出版社によって出版された。この本によると、長春包囲戦の間に150,000人の一般市民が餓死し、市から脱出しようとした一般人は国民党軍への食糧供給に圧力をかけるために追い返されたと記している。張中佐は中国革命(en:Chinese Revolution)が「コストに見合う価値がない」と考え、林彪軍の技術を毛沢東よりも優れていると称賛した。彼はまた、中国共産党幹部は国共内戦の間にアヘン取引で私腹を肥やしたと主張した[6]。当時の国家主席楊尚昆は雪白血紅が「共産党を侮辱している」と述べ、1990年の春に「雪白血紅」を発禁とした[7]。

長春包囲網時に長春で7歳だった遠藤誉は中国共産党の人民解放軍が国民党軍統治下の長春を食糧封鎖したことで約30万人の民衆が餓死に追い込まれた際の周囲の飢餓極限状態の実録として『チャーズ 中国建国の残火』を出版している[8]。

「武漢は銃を持った中国共産党の「人民解放軍」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    中国共産党の人民解放軍による「長春包囲戦」では、「30万人」の一般市民が餓死に追い込まれました。市内では公然と「人肉食」が行われたそうです。『チャーズ 中国建国の残火』遠藤誉より。

    そして、中国共産党が言うには、日本軍による「南京虐殺」の犠牲者が「30万人」だそうです。これは「偶然の一致」でしょうか?

    『チャーズ 中国建国の残火』

    当時7歳だった筆者が見たものは?
    __その極限状態を生き抜いた日本人少女、魂の告白。
    「半分は無感覚になることによって発狂を免れ、
    残りの半分は、発狂することによって死を免れていた。」

    本書は、中国革命戦争における一級の歴史資料であり、
    高潔であり続けた日本人とその家族の魂の実話(ノンフィクション)である。

    [本文より]
    長春で1948年に餓死していき、ゴミのように捨てられて、まるで死んだことが悪いかのように歴史から葬られた人々。

    「武漢は銃を持った中国共産党の「人民解放軍」の補足画像1
      補足日時:2020/01/29 05:15
  • プンプン

    過去の記事
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    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191119 …
    中国で2人がペスト感染でパニック、不安訴えるSNSは削除され......
    2019/11/19(火)

    ──「ペストより怖いのは情報が公開されないこと」
    ■ 内モンゴル出身の2人が北京で隔離

    「中世ヨーロッパの病気」というイメージのペストが、再び人々を恐怖に陥れている。中国でこのほど、2人がペストに感染していていることが確認され、北京の施設に隔離されたことが明らかになった。しかし感染の経路やタイミングがはっきりしておらず、北京の住民はパニック状態になっている。

      補足日時:2020/01/31 17:17

A 回答 (3件)

もともと何でも食べる共食い国家だからねぇ、それくらい餓死しているんですよ。


それに漢人以外は関係ないと思ってます。
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武漢を封鎖しているのは、人民解放軍ではなくて、「中国人民武装警察部隊(武警)」です。

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すくなくとも人民解放軍は出動していないようですね。


普通はこのような場合は警察の範囲で処理をします。
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