アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

50歳男ですが、近年は昭和風の車両は老朽化もあって、ほぼ皆無に近くなりました。

僕ら世代の鉄道がお好きな人は、どんな趣向に変えましたか?
特にお乗りになるのが好きな人にお聞きいたします。

A 回答 (10件)

>僕ら世代の鉄道がお好きな人は、どんな趣向に変えましたか?


 というより昭和が好きなのでは。
 SLは別にして、鉄道好きなら新型車両の中でお気に入りを見つけると思います。

>特にお乗りになるのが好きな人にお聞きいたします。
 廃線になってしまったところは止むを得ませんが
 昭和時代の車両なら東南アジアで運航されていたりしますよ。
    • good
    • 0

私は、鉄道に関して、乗るのも、触るのも、聴くのも、匂いを嗅ぐのも、見るのも、ある意味では汚れるのも、好きです。


でも、一度は死んだ過去のものを復活させ、見世物、客寄せパンダにしているものには興味はありません。
まして、現役時とは違う塗装や内装などは私にとってはもってのほかです。

外板を光にかざすとぼこぼこのゆがみが現れ、汚れてはいるけどいきわたった手入れが感じられる車両や線路、駅舎やいろんな設備。
何か『最先端なんかじゃない。 だれもほめてはくれない。 それでも額に汗して雨の日も風の日も毎日同じように黙々と働く』そんな鉄道を見るのが好きです。 そんな車両を見ると『ポンポン』とたたいてほめてやりたい。 『毎日ありがとう、私は君が頑張って働いていることを知っているから』と。 写真も撮らなくはないですが、基本はまず目で見ます。 脳裏に焼き付いてないと、あとから写真を見てもその感動は蘇ってこない気がするので。

おっしゃるように、古い車両は淘汰され、現役の車両や列車のなかに『乗ってみたい』『見てみたい』と思うものがなくなってしまいました。

私は実家が福島で、大学時代も社会人の初期も首都圏で過ごしました。 福島と首都圏だと近すぎて寝台を利用する距離じゃぁありませんでした。 なので、寝台車の利用経験がありません。 列車寝台を経験したかった。

また、学生になって直に新幹線が開業したので、在来線特急の利用経験もわずかな期間でした。 その新幹線がまだ開業する前、東北時の首都圏~福島間はそれはそれは華やかでした。 仙台、盛岡・青森・山形・秋田に向けて頻繁に特急が走ってたからです。 その特急でお目当てだったのが食堂車。 上野を出て赤羽を過ぎることに鉄道唱歌のオルゴールに続いて食堂の準備ができたという放送が入ります。 福島までは約3時間。 ビールを飲み、食事をとってコーヒーをいただけば座席に帰っても残りは1~2時間。 座っているのが苦痛な時間じゃありませんでした。 東北本線の当時のメニューには面白いものがありました。 これは私が学生になる前に東京に親に連れてってもらった時のことです。 当時、特急つばさはキハ82系82シリーズで、前半分が盛岡行きで、後ろ半分が秋田行きでした。 福島までは併結で行き、福島で分割して盛岡行きを先発させると板谷峠越えのために、EF15が秋田行きの前補機として連結されて出発でした。 で、豪華なことに、その両方の編成に食堂車が組み込まれてました。 冬場のことです。 盛岡編成の食堂車ではわんこそばが、秋田編成ではきりたんぽ定食が食べれました。 記憶がないので、この時には食堂車には行っていないとおもいます。 多分、放送で何号車の食堂ではわんこそばが、何号車ではきりたんぽが、と言っていたのでしょう。

この『寝台車』と『食堂車』はもう日本の定期列車ではほとんど死滅ですね。 わずかに電車寝台が生きているにすぎませんが、私が使いたくなる路線ではないので使う機会はなさそうです。

ではどうするか。

プロファイルにも書きましたが、今は在米です。東海岸の南部の片田舎に暮らしています。 でもふたつ良いことがあります。

ひとつはアムトラック。
アメリカでは同時多発テロのとき、空の便が全く使えない期間が結構長く続きました。 それによって社会活動が大きく影響を受け、飛行機と同じ内容を提供できる地上の交通機関を維持することの必要性が認識されました。 しかし、ご存知のようにアメリカは車社会。 車で行けばいいという声はありますが、大陸横断は眠らずに行っても2泊3日相当の時間がかかりますから、安全上適切ではありません。 貨物の輸送でさえ長距離区間は鉄道によるコンテナ輸送になっているくらいです。 なので、必要な長距離区間には国が赤字を補填してでも最低限の旅客サービスを残すことになって今があります。
長距離ですから寝台車もあり、食堂車もあります。 客寄せパンダではなく額に汗して毎日同じように黙々働く。 私の望みにピッタリです。
私が住む町にはその列車は来ませんが、二つある隣町には、一方には ニューオリンズ~ニューヨーク の列車と、州内とニューヨークを結ぶ列車が、もう一つの町には マイアミ~ニューヨーク を結ぶ列車が毎日来ます。
ワシントンDCもニューヨークもいつもは車で行きますが、実際にはどちらの町も公共交通機関が便利に利用できるので、郊外に用があるのでなければわざわざ車を持って行く必要はありません。 反対方向のニューオリンズやフロリダも同じです。 今夏にリタイアした後は、これでのんびり行ってみようかな。

もうひとつは州の博物館。
ウチの州には州立の交通博物館があります。 ウチから車で2時間ぐらいの距離です。 こちらでこの程度の距離はなんていうことはありません。
交通博物館と言う名なので、交通に関するいろいろな収集・展示物があるんですが、メインは鉄道。 それも、田舎で電化されてないのでディーゼルかSLです。 もとは大きな貨物ヤードだったのですが、事業再編でヤードを廃止し、それを州が買い取り、転車台と扇型庫を中心に、いらない線路を取り払って緑地とし、残した線路で動態保存の車両を動かしています。 整備場の建屋はすべて展示場となり、自動車や飛行機などが展示されています。 ここで私に何ができるかと言うと、整備のボランティアです。 たとえば、SLでいえばシンダーの掻き出しから安全弁の磨き上げまで、出来ることはなんでもです。
だいぶ前に行ったときはリマのシェイが居ました。 シェイと言うと台湾の軽便鉄道のものを写真でしか知りませんでしたが、ここのはアメリカの普通のSLスケールのシェイです。 言ってみれば、D52より大きいです。 こんなののメンテを手伝い、それが動くのを見るなんてナノしいとは思いませんか?

昔を思い出してそれが眼前に現れるわけではありませんから、どこかで何かを妥協するしかありません。
でも、前向きに楽しもうと思っています。
    • good
    • 0

車両は今も昔も通勤型(近郊型含む)、特に電車が中心である。

    • good
    • 0

今も昔も大手私鉄ファンである。

    • good
    • 0

車両を譲渡されて運航している地方私鉄に偶に訪問しています。

最近は東急や井の頭線のステンレスカーが増えているので、がっかりすることも多いです。
自車発注の車両が多いのは、富山地鉄や遠鉄、小湊鉄道くらい。で、一番のごちそうはいしかわ子ども交流センター小松館のなかよし鉄道(旧尾小屋鉄道の車両)と、高知の魚梁瀬森林鉄道、旧南部絨貫鉄道七戸駅構内。

で、実はディズニーランドのウェスタンリバー鉄道の機関車のうち3両は京三工業が昭和に作った機関車。明治村や修善寺虹の里も同様。
    • good
    • 1

ボックス席のある車両ならとりあえずよし、としてます。


三セクや地方私鉄でロングシート車両しかないような
場合は、座るのをあきらめて前面かぶりつき…
は、未来のある子どもたちが占領してるので、もっぱら
最後尾後面かぶりつきしてます。

懐かしい車両が走っていれば積極的に乗りに行きますが
最近は乗りに行くこと(現地に行ってお金を落とすこと)
自体をメインで旅してます。
    • good
    • 0

鉄道は趣味から外れたね。


ロングシートでは旅情を感じないゆえに。
    • good
    • 0

学校に行くときに汽車通で定期で通っていました。


当時、山手線がのの字運転で、その関係で、万世橋駅で降りて、御茶ノ水駅で乗る、というパターンでした。
当時の客車は、木造でした。客室が鉄製の乗り物に替えました。

小学校のころ、どこかに出かける場合、専用列車が用意されました。日比谷公園まで専用列車でいくのが、写生大会でした。子供の世代になったらば、農村は徒歩移動です。
貸し切り列車なんて、定期列車の後ろか前に1両増設されるだけ、それも、末っ子のころになると、定期列車使用に変わりました。孫の世代になったらば、バス、つまり、自動車輸送に変わりました。
個人の好みというよりも、供給側がいろいろ決定して、それに踊っているだけです。
    • good
    • 0

昭和風の車両とは?


オハ35のような旧型客車、旧国鉄時代のボンネット特急、南海電鉄の2100系ズームカー?

大井川鐵道では、SLを始め旧型客車、南海2100等が稼働しています。
また、SLやまぐち号にも、展望付旧型客車を模した新造車輛が投入されています。
    • good
    • 0

鉄道博物館周りでどうでしょうか。


鉄道博物館で台車が展示してあると、じっくり見てしまいますね。
(私はSLには興味がないのです。)
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!