お酒好きのおしりトラブル対策とは

明智憲三郎氏の「本能寺の変 431年目の真実」という本のなかで、光秀は信長から、本能寺で家康を殺すように命令されていたそうですが、明智光秀は本能寺へ向かうときに「三草越(姫路へ行くルート)」を行進したそうですが、家康を殺すように命令されているのであれば、姫路へ行くルートは進まなかったはずです。
どう、思われますか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    他にも、本の内容では、光秀軍は家康を殺したあと、家康領へ信長とともに攻撃を加える手筈になっていたそうです。それならば、援軍を要請した秀吉はどうなるのでしょうか(毛利に負ける可能性もあると思います)?

      補足日時:2020/02/06 21:58
  • 筋の通った回答をありがとうございます。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/07 12:32
  • プンプン

    少人数で本能寺に来る家康に対して、一万四千余りの光秀軍で対抗するなんて、頭のいい信長がする訳ありませんよね!

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/07 12:44

A 回答 (2件)

おそらく明智憲三郎氏は、明智軍の下の兵士が家康を殺すために本能寺に討ち入ったという本城惣右衛門覚書などを根拠にあげているのだと思うが、それは、あくまでも何も知らされていない下の兵士が想像した事であり、光秀が本能寺で家康を殺そうとする事は、三草越えにも矛盾するし、亀山の辺りで重臣たちに光秀が謀反の気持ちをうちあける際にも、敵が家康から信長に代わったなどという言葉の資料も一切無い。

他にも、光秀が家臣に「信長様が、中国攻めに行く我らの軍隊を見たいと言っている」と言った事とも矛盾している。
信長が家康を殺してしまおうという考えがあったと仮定しても、中国攻めの援軍に行かせる光秀に命令をしたという事は、全く、考えられない(他の、小姓であれば資料にもある)。
秀吉の信長への援軍要請は、「お殿様へのゴマすり」などという訳の分からない説があるが、現実に4万の毛利軍が近くに押し寄せており、安国寺恵瓊など毛利との交渉窓口があったとはいえ、敗戦する可能性もあった。なので援軍に行かずに家康領に攻め込むなどという事は、信長の頭脳からしてみても有り得る訳がない。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
天下様になろうとしている時に、裏切り行為をした上、家臣の領地に攻めるなど考えられませんね!

お礼日時:2020/02/07 11:37

確かに、「信長公記」によると、「亀山より中国へは三草越をつかまつり候、ここを引き返し・・・(亀山から中国に向かって三草越えまできたが、そこから引き返した・・・)」とあるので、三草越えは姫路へ行くルートなので、家康を本能寺で殺せと命令されていれば、直接、本能寺へ向かわないと、これは、変な話になりますよね。

(現実は、中国の援軍に行くと見せかけたと考えるのが自然。)
信長は、家康を殺す気持ちはあったかもしれませんが、この時期に光秀に命令をした可能性はゼロでしょう。

秀吉も援軍がなければ、(4万の大軍を送り込んだ)毛利軍に負ける可能性があります。家康領へ信長とともに攻撃を加えるというのも、完全に可能性はゼロでしょう。(このころ家康は、信長から領地を給わっており、現実、家来であるから毒殺でもすれば、家臣はそのまま信長の家来になるはずである。)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
本当に、可能性はゼロですね!

お礼日時:2020/02/07 11:32

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