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天皇は何時から権力を手に入れたんですか?
天下統一を果たしたわけでもないのに不思議だと思いませんか?

A 回答 (11件中1~10件)

少なくとも古墳としてには天皇の墓は作られてますし、平安京等の遺跡も見つかっていますので、6世紀までには絶大な権力を持っていたことは確かですよ。

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この回答へのお礼

天下統一してこその権力だと思うのですがね

お礼日時:2020/02/18 06:24

日本では「まつりごと」には、「祭」と「政」が存在していました。

神とかかわるか力で抑えるかです
そして、祭に関わったのが「天皇」であり、政に関わったのが「中央豪族や貴族や武士」と呼ばれる人々です。
力の支配者たちは「渡来系」だったり、「古来からの地方勢力」であったりしたわけです。

中国の歴史書が言うように「権力」闘争の結果、
「祭」をつかさどる人物と「政」をつかさどる人物を分けることで、
古代の日本は「安定的」に大陸勢力と国内勢力のバランスを取ったわけで、
その結果「天皇」という位置づけが生まれました。

さらにヤマト政権では「天皇」という立場を利用して、豪族たちが権力闘争を繰り広げました。
何人もの天皇がその時代に殺されています。「祭」と「政」の混乱です。
その後はほとんど、「祭」は天皇「政」は権力者という図式が出来上がり、
天皇は形式的権力しか持たなくなりました。
平安末期、南北朝、明治維新と天皇が自室的な権力を望んで手に入れようとしても、
追放されたり殺されたりして、事実上の権力者になれなかったわわけです。
天皇に「権力」があったとするのは、近現代(明治以降)の発想で、ヨーロッパ的な歴史学の影響です
明治以降、特別な思想を持った勢力が、欧米思想の影響で「天皇の権力」を持ち上げただけです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
皆さんお詳しくていろんな説が
あったりで参考にさせてもらいます。

お礼日時:2020/02/18 16:07

中国から「倭」と呼ばれる国があり


そこには五ヶの国があり、それぞれ王がおりました。

讃・珍・済・興・武の五国です。

この中の、武という国の王が、後に天皇に
なった、という説が有力です。

この天皇を「雄略天皇」といいます。




天皇は何時から権力を手に入れたんですか?
 ↑
上記の説が正しいとすると、
5世紀頃、ということになります。




天下統一を果たしたわけでもないのに不思議だと思いませんか?
  ↑
五王時代は、九州か、近畿あたりを支配していたのですが、
武王が強くなり、
それがどんどん広がっていった、ということです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2020/02/18 16:08

壬申の乱以前は資料が不確かなので確実なことが言えないのだが、



少なくとも朝廷の前身の一豪族国家の棟梁であったことは間違いない。
それが大陸由来のものかあるいは家康のように一地方豪族が成り上がったのかは分からないが、
少なくともその豪族国家が発祥したとき。現在の市町村程度の規模であったことは確かである。

それが都道府県規模となった時飛鳥時代となり、資料が正しければ島根県と抗争する。
やがてそれは近畿規模となり、西日本規模となり、最終的に北海道を除く日本全土の規模となる。
支配権の拡大に伴い、天皇の権力も増大する。


(補足)
資料が不確かというのは、大化改新以前、天皇家は本当に一系だったのかということも疑わしいからである。
聖徳太子の死後彼の一族は皆殺しにされ、係累の蘇我氏も滅ぼされた。
これは当時、「日本古来系」の豪族(聖徳太子や蘇我氏)と「大陸系」の豪族(天智天皇系や中臣氏)が主導権争いを繰り返しており、
抗争に勝った方の棟梁が飛鳥朝のトップの地位に就いた、という見方もできる。
聖徳太子が「和をもって~」としたのは、別に日本人が平和を好むということでなく、文字通り「武でなく和でいきましょうよ」という各勢力への呼びかけに過ぎなかった。
このような状況で「万世一系」を保てるのかは極めて疑わしい。

これは小説の一見解だが、しかし否定する資料もない。
市町村あるいは都道府県規模の国家なら、戦国時代同様周辺勢力との抗争も絶えなかっただろう。
状況はなお混とんとしてしまう。

だから本当はどちらだったのか、現段階では決めることに意味がない。
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お礼日時:2020/02/18 16:08

天皇が権力を持っていたのは飛鳥時代以前の話で、歴史上のほとんどの時代で実際には天皇に使える貴族もしくは武家が政治の実権を握っていました。



天皇は権力の行使者というよりは、むしろ宗教上の信仰の対象に近いものがあります。
おそらくですが、大和朝廷を形成するかなり初期のところから天皇家をいわゆる「現人神」として崇敬の対象とすることで国土の統一を図ったのではないかと思います。

そう考えると天皇家が世界最古の王家として存続している理由としても、権力を握っているのは天皇家ではないため打倒する対象ともならず、むしろ神に楯突くことは許されないという心情が働いてきたのではないかと思います。
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お礼日時:2020/02/18 16:08

大陸から渡って来て、原住民(蝦夷)を追いやって天下統一を果たしたのですが、


足利一族に吉野へ追放された後、どこの馬の骨かも分からない足利の子せがれを天皇にして
摂政を敷かれ、現在に至るです。
権力を手に入れた期間は神武天皇の頃から、南北朝の頃まででしょう。
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お礼日時:2020/02/18 16:09

確かにそれは謎だ。


神武天皇を始め、景行天皇と倭武命に雄略天皇などの古代の天皇・皇族は強い武力で領土拡大していたし、広義に解釈すれば、後醍醐天皇と明治天皇も天下統一を果たした天皇だと言える。
しかし、天下統一といっても、国譲り神話は比較的平和裏に統一が為されたことになっている。後醍醐天皇の場合は激戦続きだったが、明治天皇の戊辰戦争もいくつかの大激戦はあったが、一番の山場となるはずだった江戸は江戸城無血開城の成立という世界史的にも非常に稀な「国譲り神話」の再現という驚愕の結末で終わっている。

このように、全体的に観ると、天皇・皇族には強力な武力で天下を統一したり、統一後も威圧的に天下を治めていたというイメージはあまりない。
おそらく、天皇が天照大御神、つまり太陽の子孫であるという神話が関係しているのだろうか。
西方社会で云えば、「俺はギリシャ神話の主神ゼウスの子孫だ」という与太話を周囲の皆が信じ込んで奉っているようなものだろうか。

神話は何らかの史実を反映させたものであった可能性は高いと思うが、話そのものはありえない与太話であることは間違いない。
現代人はもちろんだが、中世人も古代人も、あんな与太話をまじめに信じていた人間は少ないだろう。
とはいえ、例えば、国譲り神話と戊辰戦争は驚くほど似た経緯を辿っている。九州からの出兵→話し合いによる禅譲→最後の戦いが東の果て(国譲り神話は諏訪、戊辰戦争は北海道の五稜郭)などなどだ。どちらの戦いも勝利の立役者は建御雷と西郷隆盛だったが、名目的なトップは天照と明治天皇だった。この二つの類似性は、国譲り神話が単なるホラ話ではなかった可能性を物語っている。

また、こうしてみると、天皇の神格化された権威は、戦いを避けたり避けられないとしてもどちらかが滅亡してしまうような大戦にしないためには非常に霊験あらたかな効能があることがわかる。
天皇は、多くの場合、名目的なトップであっても実質的な権力は持たなかった。権威はあれど権力はないという存在であると理解すればよいのだろうか。
権力は倒すことができるが、権威は取って代わることが非常に難しい。また権力と権威が同一人物に集中すると下手をするとそれ自体が独裁者となって強力な暴力装置に変貌してしまう危険が大きくなる。
日本人の先祖は、経験的に権力と権威が融合することのリスクを知っていたのだろう。そして権力と権威を分離し、権威だけの存在としての天皇家を大事にしてきた。きっとそれが国家を安定させ、無益な暴力的内戦を抑止する最も有効な方法だと知っていたのではないだろうか。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2020/02/18 16:09

天下は統一というのは質も問題。



力では武家や貴族の時代に飾り物になったことは認める。

でも天下は今も続いてますよね。
皇室は存続して来ましたので。君臨すれども統治せず。

神武天皇即位でおとぎ話という礼文は理解不能。

神武天皇の実在は認めたい。ただ紀元前660年即位説は日本書紀が蒔いた大ウソをただ信じる人の浅はかさと思う。神武天皇は紀元前ではなく、紀元後の人物でしょうね。

神話時代の歴史の歪曲は悠久の神の國と見せかけたいがための策謀ですね。
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お礼日時:2020/02/18 16:10

いや、日本を統一したのは天皇のご先祖ですよ。



文字が無かった頃の日本には資料が有りませんが、中国の古典資料を見ると、2世紀から3世紀あたりの日本は豪族たちが分有割拠していて、統一された国家ではありませんでした。

今の天皇家につながるのは、奈良のあたりにあったヤマトと呼ばれる連合国家で、支配者が天皇、周りに従う豪族が集まった連合国家なので大・和(和して大きく集まると言う意味)とよばれたのです。この辺りは古墳も多く、資料もあります。

その後4世紀から5世紀までの間、資料がほとんどないのですが、6世紀の後半になると西日本から関西までの間に統一王朝ができ、魏志倭人伝の倭国として記録されています。

この倭国の支配者が天皇で、これはつまり日本統一を成し遂げた家系が今につながっている、ということを意味しています。
7世紀に入ると、倭国は豪族たちの連合国家から、天皇を中心とした中央集権体制に変化していきます。これが大化の改新と呼ばれる出来事で、この辺りで「日本」と言う国号ができます。
つまり「日本」という名前を作ったのも天皇の祖先であるわけです。

この後「日本」は現在に至るまで「一つの王朝」が続いている国です。天皇家が万系一世かどうかは議論がありますが、少なくとも「天皇家というファミリーが支配する王朝がずっと続いていること」は間違いありません。

だから「日本」は天皇の祖先が作った国であり、今でも君主ですし、天下統一を成し遂げたのは天皇です。

また戦国時代の「天下統一」も天皇に頼っています。
当時の天下統一というのは「鎌倉幕府のように、天皇に勅許をもらって日本国を統治すること」を意味していたからです。

武士たちの天下統一は「天皇家を滅ぼして自分が支配者になる」のではなく「京都に入って、天皇を守る代わりに統治者に任命してもらって日本を統治する」という考え方です。

そもそも戦国時代のように各地で争いが起こっているのに、天皇が「秀吉公を関白にしたから、みな従うように」と言ったら従うわけですから、それだけ天皇の権威は強かった、ということになります。

その権威の源が「日本という統一国家を生み出した君主」であるわけです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2020/02/18 16:11

あなた、日本史を勉強したことはないのですか?

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