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【京都の哲学の道ってなんで哲学の道って言うようになったのですか?】


質問はタイトル通りです。

A 回答 (3件)

半世紀程前に「哲学の道」はドイツHeidelberg(ハイデルベルグ)のPhilosophenweg


(哲学者の道、フィロゾーフェン・ウェ-グ)にちなんで名づけられたと聞いた事があります。

ネット検索をすると、他の方の回答の様な説明だけです。
以下はハイデルベルグ由来を述べている数少ないHPからの紹介です。
https://www.go-isesaki.com/kyoto_tetsugaku.htm

<(*)名前の由来について、「哲学の道」に立つ案内板によれば、名前の詳細は
明らかではないとしながらも、
「京都大学教授でのちに大阪経済大学初代学長を務めた黒正巌(こくしょういわお、
1895~1949)が、ドイツに留学した時、ハイデルベルグにあった「哲学者の道 
フィロゾーフェン・ウェヒ」を思い出し、昭和の始めころ名付けたと言われています。」とも書かれています。>

哲学者の道は歩いた事がありますが、哲学の道は入口で覗いたただけです。
しかし、歴史、景観、街での大学の歴史を考慮するとハイデルベルグが先輩格の
ような気がします。
(それを隠して、京都オリジナルの様な説明だけに成っているのは、ウリジナル
みたいで感心しません。)

ハイデルベルグの哲学者の道の名前の由来はドイツWikiによれば(要約)、
「大学で学んだ著名な哲学者達に由来するのではない。教授や学生が好んで散策した
ロマンチックな道であった。16、17世紀の当時は学生の勉強は専門科目に入る
前にまず哲学から始まった。それを論じながら歩く学生の情景に由来するものである。」
とあります。
https://de.wikipedia.org/wiki/Philosophenweg_(He …

ヒヨコの様な若者が齧ったばかりの哲学を振り回して議論しながら散策している。
何か微笑ましい感じがします。
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この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2020/03/07 16:36

検索すればでてきます。





哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、管理用道路として設置された道である[2][3]。当初、芝生が植えられている程度の道であったが、ここを歩いて通行する人々が増えていった[3]。

明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。
その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し[1]、思案を巡らしたことから
「哲学の小径」といわれたり[5]、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。

1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」
と決まりその名前で親しまれるようになった[6]。
これにちなみ、1981年(昭和56年)に道の中ほどの法然院近くに、
西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」
の石碑が建てられた[3]。

1972年(昭和47年)になって、砂利道の散策路として整備され、さらにその後、1987年(昭和53年)に廃止された市電の軌道敷石を転用して、歩行者が歩きやすいように敷石を並べたものとなって現在に至っている[3]。若王子橋から銀閣寺橋までの約1.5km区間が、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の1つに選定されている[7]。
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京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」といわれた。

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