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旧国についてです。
伊勢国の南東に小さな志摩国がくっ付いており、上総国の南に小さな安房国が張り付いています。
志摩国・上総国は、なぜ、小さくても一国になっているのですか?
(小さくても、何か特別な存在感があったのですか?)

A 回答 (3件)

価値がないわけではない。

海に近く豊富な水産資源が取れる国ということで、やがて支配地域に加える形で朝廷は頑張ってきた。
国といっても今でいう独立国ではない。アメリカなどに例える州みたいなもので、今の日本でいう県に当たる。州も訓読みで「くに」と読む。
ソ連が崩壊し、連邦に属した国々はみな独立国になった。中央にあった国もロシアとなり、共産主義でなく民主主義の国になり、アメリカが中心であるNATOにも所属した。

いうなれば、質問者さんのいう国とは海外でいう州みたいなものです。

昔が皇威が力不足。だから支配が徹底せずだったが、時代が進めば統一執れる。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました、
おそらく志摩国のことだと思いますが、
<海に近く豊富な水産資源が取れる国>として、小さくても存在感があったのですね。

お礼日時:2020/03/11 19:00

小さいのは、上総ではなくて、安房、ですよね?


千葉県南部の出身です。
安房について、ですが、これは、安房と上総で人々の生活圏が異なっていたからではないかと思います。

千葉県の南部は、房総丘陵と呼ばれる山地が広がっており、特に安房と上総の境界である勝浦市から君津市、富津市南部というのは、最も山深く、海岸線まで山がせり出している、というような地形となっています。
そして、その山を越えて南下すると、鴨川市を太平洋方面へと流れる加茂川という川の流域に平地があり、それ以南にも山地はあるものの、北の山地と比べると比較的穏やかで、館山市や南房総市の千倉地域など、平地も多い地形になっています。そのため、鴨川と館山の移動などは、山道があるとはいえ、比較的、楽なのに対し、そこから北へ向かうのは深い山を越える必要があり大変でした。

実際、県の北部から安房へと行く主要な交通網を見ても、海岸線を縫うように走る道と、山中を抜けていく何本かの国道、県道のようなものしかありません(鉄道も、海岸線を走る外房線、内房線のみ)。しかも、その道も、第二次大戦後になってから作られたものが多く、例えば木更津市から館山市まで、房総半島南部の山地を縦断する国道410号線は、指定されたのが1981年。しかし、国道にはなったものの、2000年代に入るまでは、1車線、車1台がようやく通れる程度の幅で、ガードレールもない崖際を進まねばならない、というような場所が続く、まさに「酷道」と言えるような状態でした。そのくらい、安房地域と上総地域は地理的に分離された場所だったのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
地元にお住みの方からの具体的・詳細なご説明恐縮します
<安房地域と上総地域は地理的に分離された場所だったのです。>
地理的に大きな相違があるのですね。現在でも、交通が容易とはいえないのですね。
<安房と上総で人々の生活圏が異なっていた>のですね。

お礼日時:2020/03/11 08:44

昔は皇威及ばず、支配行き届かねば国でしょうね。



まだ統一されず、統治能力波及せず。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<支配行き届かねば国>なのですね。
おそらく、あまり価値のない所は、(僻地として)ほっておかれ、とりあえず国として名が付けられたのでしょうね。

お礼日時:2020/03/10 17:55

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