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神は我々に、何をしてくれたと云うのか?
何もしてくれてはいないではないか!

なのに、神は人気者だ。
大昔から。

何処かの誰かが云っている。
釈尊はペテン師だと。

でも私は云う。
神こそがペテン師だと。

☆ 異議、ないですよね?

質問者からの補足コメント

  • くんこばさん、もう一声どうですか?

    この回答では、面白くないですね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/03/15 17:59
  • 私には過ぎたる回答を頂き、学びがまた、楽しくなりました。

    皆様のベストな回答に感謝します。

    有り難うございました。

      補足日時:2020/03/16 00:31

A 回答 (27件中1~10件)

たまにはパンチを撃つ汽笛さんへ。



ここでは人格を持った唯一神の話をしていると受け取り。

先ず、、、息子は父親のものでしょうか?父親の命令に従い、その父親の権威をひけらかし、父親の権威にすがらなければ何の力も持たない息子は自立しているのだろうか?そしてそのような下僕のような一人息子を育てた父親は立派だと言えるのだろうか?父親の罪咎のケツを拭く仕事を涙ながらにする一人息子ってなんやねん。古代の砂漠の宗教でんなぁ・・・という感じ。

いや、そもそも、神の名を借りなければ何にも言えない、自分の発言に根拠を持てない者に、神の名を語る資格などない。
その点お釈迦さんは違う。俺が覚った。俺が理法を語る。俺がダルマの在り様を世に示す。このように彼は言う。すべて自己の責任の下に語る。覚者は責任などというものからは自由であるにも関わらず。信頼度が全然違う。お釈迦さんは人々と対等・平等であるが、砂漠の預言者どもは虎の威を借りる狐である。)彼らは、”俺”が言うとは言わない。”神”が言ったという。俺だけが神の言葉を聞いたのだと、俺はそれを伝えているだけなのだと・・・。知らんがな。脚色が過ぎるで)

お釈迦さんだって自分を権威付けしてると、ある者は言う。そしてある者は踊らされている。例えば天上天下唯我独尊という言葉に。仏陀はそのようなことは言わないが、仮に言ったとしよう。では自分も言えばいい。俺も天上天下唯我独尊であると。そうしてお釈迦さんと対等になって、彼の文言に向き合えばいい。。そんな奴が昔のこのQAにも居た。恥知らずな奴だったが、尊敬できる面もあった。自信のない奴がひれ伏す。自己の責任を負えない奴が口ごもる。そしてそのようでいて、お釈迦さんや聖者、神なんかの権威を借りてものを言い、しかもその癖、他の人々を見下す。要するにヘタレ。


そして、人々の作ったキリスト像、人々の作った釈迦像、人々の作った神の像に従って、論じ合うことの虚しさよ。どいつもこいつもというわけではないが、俺はこう思ってる、となぜ言えない。そのように言う奴だけが、信頼できる。これは仮説だ、これは想定だ、これは物語だ、これは伝承だ、そんな御託は聞きたかないね。お前の言葉だけでいいんだよ。

神は自分の言葉で語ったのか?人であり神である、なんて中途半端なことを言ってごまかさず、神は人前に現前に立ち、神の言葉で、自身の口で、語っただろうか?まぁ、人知れず語ってるんかも知れんけどね。その話は今は置いておこう。神の言葉とは何ぞやって話になるから。話が逸れる。大体、神やのに人格ってなんやねん。あるとするなら神格でしょ。人には人の、猫には猫の、神には神の、格がある。(お前、猫の言葉分かんの?みたいに言われたら、知らんがなって言うけどね。)

話を戻そう。
神はこう言った、なんて言って、自分の言動の責任を神に擦り付ける奴の言う事なんて誰が信じられるか。

人間は汚れている。だからどうした。人間は美しい。だからどうした。仏陀だから、聖者だから、神だから、人間だから、といって、それがなんぼのもんやねん。
自分の言葉一つ、身一つ、生き様一つで勝負してみろよ。って言いたいね。

その点、イエスの生きざまは苛烈だった。善し悪しは別にして、なんというか、人の胸裏に傷を残すものがあった。その芝居じみた言葉も、芝居にしては素晴らしすぎた。
生き切ったという点で。イエスは立派だった。イエスが麻原と一緒とかいう者もいるが、全然違う。麻原は只の勘違い。イエスは成り切っている。誰が彼のように生きれるというのだろうか?
堂々と、涼やかに無実の毒杯を仰いだソクラテスもキレキレだった。
だが、俺は彼らを仰ぎ見ない。彼らは上でも下でも、並でもない。彼らにはオリジナリティがあるんだよ。
でここにいる彼らの信奉者にオリジナリティがあるか?薄いと思うね、俺は。え?このスープ、塩入ってんの?って感じ。

というような、お茶でもどうぞ。
え?ぬるい?w
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この回答へのお礼

私が真の底から帰依出来る、山崎弁栄(べんねい)と云うお坊さんは、イエスは菩薩である、と云っています。

有り難うございました。

お礼日時:2020/03/16 00:19

いただいたコメントに応答します。




★ (№26お礼欄)
何のこっちゃ、思ってしまわれるように、
☆ これは なお誤解があります。なぜって 《さとりとは何かがいま
だに明らかになっていない》という理解は われわれが《そう思ってし
まう》のではなく ゴータマ氏じしんが そう言っているのですから。


▲ (法華経 方便品) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
世尊は・・・言った。

 シャーリプトラよ その訳を説明して何になろう。その訳を説明すれ
 ば 神々も世間の人々も恐れおののくであろう。そして 僧たちはう
 ぬぼれの心をおこして 大きな穴に落ち込むであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★ 《この上なくとうとい智慧のさとり》は言葉では言い尽くせない、
と云う事です。
☆ 要するに 淡い可能性として 《とてつもない内容が 現実にある
が ゴータマ氏以外には 分からない》という場合があり得ます。

けれども もしそうだとしても 人びとにとって《おそれおののくこと
になる内容が明らかにされた》として何になるのでしょう?


シッダルタくんは 若いころただ自分の口のすべって言ってしまったペ
テンを言い繕っているだけぢゃん!!!!!

言わないことを まだ修行の足りない僧たちの所為にしている。みっと
もないったら ありゃしない。



わいわいえいとさん いや ちがった 汽笛さん。そろそろ観念しなさ
いよ。ゴータなる仏さんと心中するつもりですか?
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この回答へのお礼

ハイ、心中します。

お礼日時:2020/03/16 00:09

オマケです


科学は神の存在それ自体は否定してはいません
何故なら科学では「悪魔の証明」は不可能だからです
よって科学技術がどんなに進歩しようが科学では神の存在否定は出来ません
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この回答へのお礼

そうなのかも知れません。

お礼日時:2020/03/16 00:07

物質と精神


いわゆる「二元論」ですよね
二元論そのものが2極思考となります
因みに仏教哲学には「一体」と言う考え方があるそうで、「一体」とはまさに「一体」です
それを物質と精神に当てはめるなら物質と精神は一体となると言うことになるそうです
因みに2極思考をわかりやすくご説明すると○か☓か言う考え方です
善か悪かと言う考え方もそれに当てはまります
多極思考の場合 
○か☓かの他に 
○でも無く☓でも無い
あるいは
○であって☓でもある
合わせて3パターンを一緒に考えるとなります
まぁ上記は多極思考をわかりやすくした例ですが多極思考をより正確に説明するなら
関わる全てを事柄をパッケージとしてとらえパッケージのまま理解する事です
現実問題としてはあらゆる事柄はそれぞれに関わりあっています 
それぞれの要素を取り出し要素毎に理解してもそれでは全体を正確には理解できないのです
この事はノイマン式コンピュータがシュミレーションに向いていない事で言えます
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この回答へのお礼

あるお坊さんは、宇宙の本体は絶対(二つとない)の大心霊体である、と云っています。

その霊体=精神の意志という力が、この宇宙となっているのだと。
人の心に意志という力、の有るのもそれに依ると。

そして、この宇宙内の出来事は、物理で証明されているように、精神の持つ理の性、理性の働きによると。
また、物質としての現象は、感覚。お坊さんの表現ではこれを、障礙と云っています。

我々が物の存在を知るのは、感覚。それは反発と云う感覚に依るのではないでしょうか。
その感覚によって、物は反応し変化すると思えば、人の精神に理と感と意のある事から、この宇宙は大精神の現象なのだと、思えるのです。

お礼日時:2020/03/16 00:06

№20です。



★ 神に付いては人間的な情、という事に於いて、愛の塊であると云え
ます。
☆ このご指摘について必ずしも中身がつかめていないのですが それ
でも このコメントだけだとしたら 神について それはもう ペテン
師ではないと確定したと言ってよいのですね?





☆☆ (回答№20) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さとりの中身が分かっているひとが いる(いた)のですか? 

ならば 世紀の特ダネですね!?

★ (同上お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それは、釈尊です。

特ダネでもなんでもありません。

周知の事実でしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 意味がなおつかめません。

▲ (法華経 方便品) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・長老シャーリプトラは・・・世尊に話しかけた。

 仏たちの最上の方よ はっきりと語りたまえ。
 ・・・
 〔この会衆の中の人びと=〕かれらは 恭しく仏を信じ 満足して
 あなた(=ゴータマ氏)が説かれた教えを理解するでありましょう。

・・・
世尊は・・・言った。

 シャーリプトラよ その訳を説明して何になろう。その訳を説明すれ
 ば 神々も世間の人々も恐れおののくであろう。そして 僧たちはう
 ぬぼれの心をおこして 大きな穴に落ち込むであろう。

・・・
(岩本裕訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 何のこっちゃ? 

《この上なくとうとい智慧のさとり》とは いったい何であったか? 
さっぱり分からないというのが:
★☆ 周知の事実でしょう。


☆ 特ダネを聞かしてほしいものですね。
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この回答へのお礼

何のこっちゃ、思ってしまわれるように、《この上なくとうとい智慧のさとり》は言葉では言い尽くせない、と云う事です。

お礼日時:2020/03/15 23:43

オマケです


「創造論」は非科学的であるとされることから「創造論」に代わる理論として「インテリジェントデザイン説」が提唱されています
インテリジェントデザインとは「知性のある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする思想
この思想それ自体に科学的な根拠は乏しいですが宇宙や生命体がもつ精巧さ自然発生で生じると言える物理的な根拠もまた乏しいのでインテリジェントデザイン説を科学的に否定し得ない状況ではあります
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この回答へのお礼

この宇宙内での出来事は、知性=理性の現れであると、あるお方から学びました。

お礼日時:2020/03/15 23:17

この宇宙の全て創造主によって創造されたのだからそこで起きる出来事は全て創造主である神に責任があるのでは無いか


については「製造者責任」が創造主にあるにしてもだからといって全ての責任は創造主にあるとするのはどうなんだろう?とは思いますけどね
質問者さんのその考え方は極論言えば人は責任が取れない未熟な存在と言うことなり責任が取れないなら人に自由があってはならないとの考えに至る恐れがあるのでは質問者さんのその考え方には私個人としては賛同しかねますね
まぁそもそも私は常日頃「神」を意識することはほとんどありませんし神に感する知識も全くと言っていい程無いから質問者さんのその考え方に賛同出来ないのかもしれませんけどね
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この回答へのお礼

まあ、責任と云う表現よりは、原因があるとしたほうが、よかったのかも知れません。

お礼日時:2020/03/15 23:13

物理学が「精神」に関して触れてこなかったのは事実ですね


それは「精神」だけでは無く「意識」や「生命現象」等は物理的に説明出来ないからです
しかしながら量子物理学による実験によって「人の意識」が素粒子の状態に影響を与えている可能性が示唆されたことから「人の意識」を物理学が避けて通れない状況になりつつあるのは事実です
実際「人の意識」を科学的に解明するために「量子脳理論」が用いられるようになり「理論物理学者ロジャーペンローズ氏」は「量子脳理論」に基づき「人の意識」は「物質の未知の属性」であるとし脳内に存在する「小胞体」と呼ばれる器官の量子な働き=「量子もつれ」によって生じるとする仮説を発表しています
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この回答へのお礼

すごい、としか云いようがありません。

期待してしまいます。

お礼日時:2020/03/15 22:56

訂正


観測できるようにそれに→☓
観測できるようになりそれに→○
です
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この回答へのお礼

確認しました。

お礼日時:2020/03/15 22:53

質問者さんが仰っている「あと少しで神にふれるところまで物理学は進んでいるように思います」については私自身宗教を一度も学んだ事は無いので質問者さんのそのご意見が正しいかどうかはわかりません


その上で
科学技術の発達によって「ミクロ(極小)の世界」が科学的に観測できるようにそれによって素粒子の特異な振舞を観測できました。
それによってそれまでたどり着けなかった「答え」にたどり着けなました。
ところが科学技術が発達したことで得たその「答え」をなんと「ミクロの世界」を観測するための技術が無かったはずの時代に東洋ですでに同じ様な「答え」についてはたどり着いていることを欧米の科学者は知りその事実に驚嘆しました。
その事実を知った欧米の多くの科学者が仏教については傾倒したのです。
この事から言えるのは仏教(仏教哲学)が何らかの理由で欧州にほとんど伝わっていなかった事です
その理由は明らかに「宗教の壁」が存在していたからでしょう。
具体的に言えば「宗教の壁」とはキリスト教やユダヤ教等の一神教の事です。
一神教によって欧米の人達は「2極思考化」してしまいそれが欧米人の知的進化を阻んでしまった感があります
「2極思考」は「複雑な事柄をシンプルに捉える」には大変役立ちますがそれでは物事を正確に理解することは出来ません。
しかしながら多くの科学者の未だ「2極思考」に囚われているのが現実です 
人類が知的進化するには「2極思考」の呪縛から脱して「複雑な事柄を複雑に捉える」即ち「多極思考化」しなければならないでしょう。
人は成長して親から離れ大人になるように人が精神的に成長し親である神から離れられるかどうかそれが問われていると思います
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この回答へのお礼

物質と精神。

この概念も、「2極思考」だ、と云う主張なのでしょうか。

お礼日時:2020/03/15 22:53

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