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銅剣・銅矛・銅戈は、もとは明鮮半島から伝えられた実用の武器であったが、日本列島では青銅器として大型化した。日本列島で青銅器が実用の武器よりも祭器となったのはなぜですか。

A 回答 (3件)

青銅器って写真などでは青緑色ですよね。


でもあれは錆の緑青の色であって当時の色とは全くことなります。
当時は金色に光り輝いていたのですよ。
(下記サイトに復元した青銅鏡の写真があります)

青銅は鉄とくらべ製造はやりやすいものの強度が決定的に弱いのです。
日本では鉄器と青銅器が弥生時代にほぼ同時に流入していました。
そうなると強度は弱いものの、光り輝く青銅器が祭祀用に使用されるのは当然ですね。

No2さんのおっしゃるとおりです。

復元青銅鏡
http://www.narahara-art.co.jp/gallery/seidokyo_o …
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/04/13 10:52

日本には、青銅器と鉄器がほぼ同時に入ってきたと云われている。


であれば、より硬い鉄器が実用に使われ、金銀に似た光沢を持つ青銅器が祭祀用に用いられるのは当然の帰結だろう。
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縄文の終わりから弥生にかけて稲作などが進んだりして安定した食料を得られ村同士の戦いが無くなったのでしょうね。

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