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当時無敵を誇ったナチスのアドルフヒットラーは
なぜ負けたのでしょう?

gooドクター

A 回答 (7件)

戦術、戦略、工業生産力など、色々上げられますが、根本は「政治力」の問題です。



個々の国同士の戦争であれば、戦略が優れ、正しい戦術を実行すれば、軍事力・工業力が劣っていても勝てるし、逆に戦略・戦術で失敗しても、軍事力・工業力を生かして勝つこともあります。

ヒットラー政権のドイツも、オーストリアを傘下にし、イタリアと同盟を結んだ後には、ポーランドの併合を図り、これは、圧倒的な勝利を得たわけですが、これ以降は「世界を巻き込む戦争」に突入することになりました。

「世界大戦」となると、局地戦ではないので、端的に言えばどれだけ「味方の国」を作れるか、によって勝敗が決まるということです。

武力での占領の場合、その国の政治的な支持が得られないので、軍事力・工業生産力の「加算」は、非常に少ないということです。

イタリア以外で政治的な支持が得られたのは、(消極的ですが)ロシア(後で、ヒットラー自ら、不可侵条約を破棄)、日本(遠すぎて、殆ど得るものがない)くらいでしょう。

逆に、最初劣勢であった「連合軍」側は、占領によって陣営を増やしていったわけではなく、政治力により、「賛同」を得、「参加」国を増やしていきました。

その「とどめ」が、アメリカの参戦ということになります。

日本の戦国時代も、同じでしょう。

局地戦では強くても、武田信玄や上杉謙信では、天下を取れません。
織田信長は局地戦で成功を収め、勢いで一旦は天下を取りましたが、政治力に欠けて、敵対勢力を抑え切れなかった。
豊臣秀吉・徳川家康は、政治手腕で支持勢力を増やし、天下が取れた。

ということではないでしょうか。
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#2さんのとおり「無敵を誇った」のは客観的ではないと思います。


所詮は、第一次大戦で敗戦国になり、経済的に苦しんだ国民の心情につけこんで、ユダヤだとか英仏だとかという「悪者」をつくって対決するヒーローになったのがヒットラーですから。
もともと国が豊かであれば、成り上がれなかったのではないでしょうか。

先制攻撃をかける側は「自分のタイミング」で戦いますから、最初に優位なのはあたりまえ。
無敵でないからこそ、奇襲攻撃で敵の拠点を叩いて、反撃体制をとられる前に主導権を握ろうと考えます。
(真珠湾攻撃も同じ)

力で勝るなら、「まず、相手を挑発して攻撃をしかけさせて、『報復』という大義名分をつくって、徹底的に叩きのめす」のが賢い戦略です。

(真珠湾攻撃の暗号解読しながら、新鋭の空母だけ移動させておいて、旧式の艦船と一般住民を攻撃にさらして「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、原爆まで落とした米軍みたいなもの。「9・11」も知っていたという話がありますね)
徳川家康も、豊臣派をまとめて叩く「関が原の戦い」にもちこむためは、最初に三成軍に「隙だらけの伏見城」をみせて攻撃させ、忠臣・鳥居元忠を討ち死にさせるという「犠牲」が必要でした。
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戦術レベルでは、ドイツは機動力を使った電撃作戦で当初優勢を保っていました。

しかしソ連に侵攻。スターリングラードの戦いで、ソ連側が必死に防戦。補給線が延びきってしまったことと、冬の到来で持ち前の機動力が失われたことで敗退。以後急速に勢いを失っていきます。

戦略としてはユダヤ人の迫害・富の収奪により国力・士気の回復を図り短期的には成功しました。しかしこれは世界に散らばるユダヤを敵に回し、アメリカが連合国側として参戦する大義名分を与えることとなりました。圧倒的な物量差に対抗しきれなくなるのは時間の問題でした。
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 軍隊の運用にはそれぞれの国が持つ「型」が有ります(ドクトリンといいます)。


 ナチスドイツは
 戦車部隊で敵の前線を突破し、中枢をいち早く撃破する。その為に歩兵部隊にも戦車と同等の機動力を与える

 従来砲兵が担っていた事前攻撃を航空部隊が担当する。
 戦車・歩兵・砲兵・航空部隊は無線で連絡をとって協調行動をとる。
といった当時としては画期的なドクトリンを開発していました(電撃戦)。
 現在ではどこの軍隊でもやっていることです(逆に言えば現代まで通じる普遍性があったとも言える)
 対する英仏波は旧態依然としたドクトリン(要塞に立てこもってみたり、折角の戦車を分散配置してみたり、騎兵が突撃してみたり)を持っていたためにあっさりと負けてしまいました。目の前で戦争をしているときに訓練で慣れ親しんだドクトリンをホイホイ変えることは出来なかったのです。

 で、ドイツのドクトリンだった電撃戦というのはスピード重視の型。ですから緒戦の勝利は大変派手に映りました。
 今もですが、当時もです。英米はドイツの戦力を過大評価し続け、いよいよ大丈夫と確証が得られる1944年まで陸戦に入ろうとしませんでした。

 ソ連に関しては負ける(勝てない)体制をせっせとスターリンが粛清という形で作っていました。そもそも序盤負けて国土の奥深くに逃げこむのは御家芸だったりします。逃げるロシア人を追ってはいけません。派手に負けているように見えても最後に立っていればいいのです。

 問題は緒戦の混乱から敵が立ちなおった後です。当然負けた方は敗因の分析をするわけで、良いところは真似されます。さらに先答の諸賢の様な欠点が露呈しました。
 序盤が派手だったため、無敵のように途轍もなく強く見えていましたが(ヒトラー自身もそう信じたことでしょう)実態は奇襲が成功しただけです。

 #個人的には「パスタ喰いで女たらしのイタ公と組んだからだっ」というヘンケンに充ちた答が好きなのですが。。。
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まあ、色々原因は考えられますが、決定的なのは以下のようなことだと思います。



1、補給線が伸びきってしまったこと。

ソ連やアフリカといったヨーロッパ以外の国にまで手を出した結果、最前線への補給が続かなくなってしまったということです。古来から世界を制覇しようと野望を抱いた国、人間が敗れるパターンですね。ナポレオンもアレキサンダーもこれで敗れました。

2、占領や併合した国での統治の失敗。

ヒトラーは、我が物とした国でその国の人間を押さえつけるような統治の仕方をしています。ユダヤ人弾圧なんかは、その最たる物ですね。こういう押さえつけが結果的に占領した国々における民衆の反発を招き、(フランスのレジスタンスなど)第三帝国は内部からも崩壊していってしまったというわけです。

3、独裁者であるが故の独りよがりの戦略。

これは、戦争の遂行に関わるという意味では、最も大きな理由でしょう。ヒトラーは弁舌能力や扇動能力においては天才的であったと思いますが、戦略家としては必ずしも優れていたとは言えないですね。個々の局地的戦闘に関して閃きがはまったことはあっても、大局的に戦線全体を見ることが出来なかったようです。彼は、部下の将軍たちが反対するのを押し切って強引な作戦を行い、多くの失敗を重ねてしまいます。ヒトラーは、派手な作戦(電撃戦など)を好みましたが、そういう作戦ばかりではうまくいかないことも当然ながら出てくるわけです。本来なら、そういう時にこそ側近たちがアドバイスをして修正を図るべきなのですが、ヒトラーの独裁国家であったドイツではヒトラーに意見できる人間がいなかったことも災いしました。ヒトラーは、逆らう者を容赦なく罰して自らの身の安全を確立しようとしましたが、戦略に関してはこのやり方で墓穴を掘った形ですね。
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ナチスは無敵だったかな?



ドイツは第一次世界大戦に敗北し、ヴェルサイユ講和条約によって、
軍備が規制されたり、莫大な賠償金を払わされたり、領土を取られたりと散々でした。
賠償金を払うためにマルクを大量生産して、マルクが大暴落。経済までも破綻しました。

やけくそになったのか、ヴェルサイユ条約を無視して軍備を整え
ポーランドへ攻め込み、これが第二次世界大戦の引き金になりました。

ヴェルサイユ条約によって、空軍は持てなくなっており、海軍も
艦艇数は規制されているし、潜水艦は保有できなくなってました。
そう、元々そんなに強いわけじゃなかったんですよ。
色々と工夫して、頑張ってましたが、最後には力尽きました。
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圧倒的な物量の差

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