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当時無敵を誇ったナチスのアドルフヒットラーは
なぜ負けたのでしょう?

A 回答 (7件)

戦術、戦略、工業生産力など、色々上げられますが、根本は「政治力」の問題です。



個々の国同士の戦争であれば、戦略が優れ、正しい戦術を実行すれば、軍事力・工業力が劣っていても勝てるし、逆に戦略・戦術で失敗しても、軍事力・工業力を生かして勝つこともあります。

ヒットラー政権のドイツも、オーストリアを傘下にし、イタリアと同盟を結んだ後には、ポーランドの併合を図り、これは、圧倒的な勝利を得たわけですが、これ以降は「世界を巻き込む戦争」に突入することになりました。

「世界大戦」となると、局地戦ではないので、端的に言えばどれだけ「味方の国」を作れるか、によって勝敗が決まるということです。

武力での占領の場合、その国の政治的な支持が得られないので、軍事力・工業生産力の「加算」は、非常に少ないということです。

イタリア以外で政治的な支持が得られたのは、(消極的ですが)ロシア(後で、ヒットラー自ら、不可侵条約を破棄)、日本(遠すぎて、殆ど得るものがない)くらいでしょう。

逆に、最初劣勢であった「連合軍」側は、占領によって陣営を増やしていったわけではなく、政治力により、「賛同」を得、「参加」国を増やしていきました。

その「とどめ」が、アメリカの参戦ということになります。

日本の戦国時代も、同じでしょう。

局地戦では強くても、武田信玄や上杉謙信では、天下を取れません。
織田信長は局地戦で成功を収め、勢いで一旦は天下を取りましたが、政治力に欠けて、敵対勢力を抑え切れなかった。
豊臣秀吉・徳川家康は、政治手腕で支持勢力を増やし、天下が取れた。

ということではないでしょうか。
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#2さんのとおり「無敵を誇った」のは客観的ではないと思います。


所詮は、第一次大戦で敗戦国になり、経済的に苦しんだ国民の心情につけこんで、ユダヤだとか英仏だとかという「悪者」をつくって対決するヒーローになったのがヒットラーですから。
もともと国が豊かであれば、成り上がれなかったのではないでしょうか。

先制攻撃をかける側は「自分のタイミング」で戦いますから、最初に優位なのはあたりまえ。
無敵でないからこそ、奇襲攻撃で敵の拠点を叩いて、反撃体制をとられる前に主導権を握ろうと考えます。
(真珠湾攻撃も同じ)

力で勝るなら、「まず、相手を挑発して攻撃をしかけさせて、『報復』という大義名分をつくって、徹底的に叩きのめす」のが賢い戦略です。

(真珠湾攻撃の暗号解読しながら、新鋭の空母だけ移動させておいて、旧式の艦船と一般住民を攻撃にさらして「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に、原爆まで落とした米軍みたいなもの。「9・11」も知っていたという話がありますね)
徳川家康も、豊臣派をまとめて叩く「関が原の戦い」にもちこむためは、最初に三成軍に「隙だらけの伏見城」をみせて攻撃させ、忠臣・鳥居元忠を討ち死にさせるという「犠牲」が必要でした。
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戦術レベルでは、ドイツは機動力を使った電撃作戦で当初優勢を保っていました。

しかしソ連に侵攻。スターリングラードの戦いで、ソ連側が必死に防戦。補給線が延びきってしまったことと、冬の到来で持ち前の機動力が失われたことで敗退。以後急速に勢いを失っていきます。

戦略としてはユダヤ人の迫害・富の収奪により国力・士気の回復を図り短期的には成功しました。しかしこれは世界に散らばるユダヤを敵に回し、アメリカが連合国側として参戦する大義名分を与えることとなりました。圧倒的な物量差に対抗しきれなくなるのは時間の問題でした。
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 軍隊の運用にはそれぞれの国が持つ「型」が有ります(ドクトリンといいます)。


 ナチスドイツは
 戦車部隊で敵の前線を突破し、中枢をいち早く撃破する。その為に歩兵部隊にも戦車と同等の機動力を与える

 従来砲兵が担っていた事前攻撃を航空部隊が担当する。
 戦車・歩兵・砲兵・航空部隊は無線で連絡をとって協調行動をとる。
といった当時としては画期的なドクトリンを開発していました(電撃戦)。
 現在ではどこの軍隊でもやっていることです(逆に言えば現代まで通じる普遍性があったとも言える)
 対する英仏波は旧態依然としたドクトリン(要塞に立てこもってみたり、折角の戦車を分散配置してみたり、騎兵が突撃してみたり)を持っていたためにあっさりと負けてしまいました。目の前で戦争をしているときに訓練で慣れ親しんだドクトリンをホイホイ変えることは出来なかったのです。

 で、ドイツのドクトリンだった電撃戦というのはスピード重視の型。ですから緒戦の勝利は大変派手に映りました。
 今もですが、当時もです。英米はドイツの戦力を過大評価し続け、いよいよ大丈夫と確証が得られる1944年まで陸戦に入ろうとしませんでした。

 ソ連に関しては負ける(勝てない)体制をせっせとスターリンが粛清という形で作っていました。そもそも序盤負けて国土の奥深くに逃げこむのは御家芸だったりします。逃げるロシア人を追ってはいけません。派手に負けているように見えても最後に立っていればいいのです。

 問題は緒戦の混乱から敵が立ちなおった後です。当然負けた方は敗因の分析をするわけで、良いところは真似されます。さらに先答の諸賢の様な欠点が露呈しました。
 序盤が派手だったため、無敵のように途轍もなく強く見えていましたが(ヒトラー自身もそう信じたことでしょう)実態は奇襲が成功しただけです。

 #個人的には「パスタ喰いで女たらしのイタ公と組んだからだっ」というヘンケンに充ちた答が好きなのですが。。。
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まあ、色々原因は考えられますが、決定的なのは以下のようなことだと思います。



1、補給線が伸びきってしまったこと。

ソ連やアフリカといったヨーロッパ以外の国にまで手を出した結果、最前線への補給が続かなくなってしまったということです。古来から世界を制覇しようと野望を抱いた国、人間が敗れるパターンですね。ナポレオンもアレキサンダーもこれで敗れました。

2、占領や併合した国での統治の失敗。

ヒトラーは、我が物とした国でその国の人間を押さえつけるような統治の仕方をしています。ユダヤ人弾圧なんかは、その最たる物ですね。こういう押さえつけが結果的に占領した国々における民衆の反発を招き、(フランスのレジスタンスなど)第三帝国は内部からも崩壊していってしまったというわけです。

3、独裁者であるが故の独りよがりの戦略。

これは、戦争の遂行に関わるという意味では、最も大きな理由でしょう。ヒトラーは弁舌能力や扇動能力においては天才的であったと思いますが、戦略家としては必ずしも優れていたとは言えないですね。個々の局地的戦闘に関して閃きがはまったことはあっても、大局的に戦線全体を見ることが出来なかったようです。彼は、部下の将軍たちが反対するのを押し切って強引な作戦を行い、多くの失敗を重ねてしまいます。ヒトラーは、派手な作戦(電撃戦など)を好みましたが、そういう作戦ばかりではうまくいかないことも当然ながら出てくるわけです。本来なら、そういう時にこそ側近たちがアドバイスをして修正を図るべきなのですが、ヒトラーの独裁国家であったドイツではヒトラーに意見できる人間がいなかったことも災いしました。ヒトラーは、逆らう者を容赦なく罰して自らの身の安全を確立しようとしましたが、戦略に関してはこのやり方で墓穴を掘った形ですね。
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ナチスは無敵だったかな?



ドイツは第一次世界大戦に敗北し、ヴェルサイユ講和条約によって、
軍備が規制されたり、莫大な賠償金を払わされたり、領土を取られたりと散々でした。
賠償金を払うためにマルクを大量生産して、マルクが大暴落。経済までも破綻しました。

やけくそになったのか、ヴェルサイユ条約を無視して軍備を整え
ポーランドへ攻め込み、これが第二次世界大戦の引き金になりました。

ヴェルサイユ条約によって、空軍は持てなくなっており、海軍も
艦艇数は規制されているし、潜水艦は保有できなくなってました。
そう、元々そんなに強いわけじゃなかったんですよ。
色々と工夫して、頑張ってましたが、最後には力尽きました。
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圧倒的な物量の差

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Qソ連がナチスドイツに勝てた理由

第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた理由は資源や兵器の物量の差が理由だったというのは、そう言われたら確かにそうだろうと思うのですが、ナチスドイツに国土を蹂躙され、生産設備をほとんど破壊されたはずのソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領できるほどの力を蓄えることができた理由がよくわかりません。焦土と化した国内でどうやって兵士を訓練し、兵器を増産できたのでしょうか。
普通に考えたら、独ソ戦は日中戦争のヨーロッパ版みたいなもので、ソ連は最終的にドイツを追い出すことには成功するでしょうが、相手方の国土に攻め込むほどの余力はとても持てないのではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

 だが、現実は違った。ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の四一年六月十一日に発令した総統指令第32号「バルバロッサ以後の事態の準備について」の中で、対ソ戦が終結した後の四一年から四二年にかけての冬の期間に、陸軍の60個師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、この駐留で必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配が完了していた。
 ところが、四一年十月以降、ソ連国内での鉄道輸送網がパンク状態に陥っていたことから、用意された冬季用装備は、輸送手段がないためポーランドのワルシャワで山積みになったまま放置されてしまう。
http://wau.private.coocan.jp/wwtef/gaso/kampfe_vor_moskau.pdf

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784059011736

 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/


戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater


<各戦線のドイツ軍機損失 GRUのデータ3476号>
En frente sovietico-aleman(独ソ戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 4 200
Durante 1942 11 550
Durante 1943 15 200
Durante 1944 17 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 400
En frente occidental(西部戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 500
Durante 1942 800
Durante 1943 1 800
Durante 1944 14 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 200
En Alemania y en los paises ocupados {2}(ドイツ国内)
Durante 1941 (desde 22.6) 800
Durante 1942 1 300
Durante 1943 4 850
Durante 1944 2 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 1 500
Total aviones perdidos
Durante 1941 (desde 22.6) 5 500
Durante 1942 13 650
Durante 1943 21 850
Durante 1944 34 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 10 100
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフトバッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたるも地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941~1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>

ノルマンディー上陸作戦
▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

ちなみに米軍死者は欧州戦線で25万二千、太平洋戦線で15万6千人。

MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf  

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0  ...続きを読む

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Q夫がネオナチです。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました。

私の結論は言うまでもなく、ヒトラーはコンプレックスを大きく抱えた異常者であるということです。(差別感をあのように現実化する)

どんな言い訳も、通用しないと思います。

また、形式美をたたえる向きもありますが、愚の骨頂です。

もう何年も夫を説得してみましたが、変わりません。
この際個人の思想は尊重します。

子供に悪影響を及ぼすことだけが心配でなりません。
ヒトラー崇拝の方、なぜ?どんなきっかけでそのような思想に?

教えてください。

また、同じ境遇で、子育てされた方、経験談、アドバイスなどいただきたく思います。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました...続きを読む

Aベストアンサー

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由のネオナチは少数派なんですね。
アメリカの有名なネオナチ指導者なんて父親が黒人に殺されたからという
理由でネオナチの活動家になっただけですしね。

御主人が立派なネオナチなら華僑が経営する中華レストランや在日朝鮮人が
経営する焼肉屋への破壊活動は当たり前に実践しているはずでしょう。
そういうことをしないで家でヒットラー最高といっているだけであれば
単なる「オタク」です。心配ありません、この手のオタクはたくさんいます。

軍服を見るとワクワクしてくるというかなんというか
細かい政策云々よりもその時代に対する憧れが中心ですからね。
私の中学時代の同級生にも強烈な国粋主義者がいました。彼の部屋は
日章旗はもちろんのこと満州国の地図、軍刀をたずさえた自分の写真も
貼ってありました。

軍事関係の雑誌を見ればナチス関連のグッズを扱う業者はたくさんいます。
それだけナチス好きな日本人がいるということでしょうが、日本では
あまり外国人排斥活動は見当たりませんね。(たまに在日朝鮮人に対する
いやがらせはありますけど、リンチがあるというわけではないし)
みんな、家やサークルの中で「ハイル・ヒットラー」といっているだけの
ナチスごっこにすぎません。たぶん、女性にはこの手のマニアぶりが
理解できないでしょうが、そんなに実害はないでしょう。

子供は親だけと過ごしているわけではありません。少なくとも両親が
違う思想であれば、成長するにしたがって「アホちゃう」と思いますよ。
ただ、御主人が実際に外国人排斥に対して行動をおこしていて
外国人へのリンチをしているようであれば、それは別の問題ですが。

ナチスについて勉強されているようですが、再度、優生学について
勉強してみてください。ナチスの場合は公衆衛生学と言う場合が多いのですが
この法律を題材に御主人に同意できるかどうか、できるのであれば
堂々と選挙に立候補するように勧めてみて下さい。選挙公約には
「ハンセン病訴訟の国家賠償の反対」として。ヒットラーは権力者では
ありますが、それ以前に政治家です。彼がまともと言える点は自分の主張を
選挙で訴えて権力を握ったことです。御主人がヒットラーのようになりたいのであれば
ちゃんと政治家として活動するべきだと思います。それができないようであれば
やはり、オタクとしか言えず、心配する程のことでもないと思いますよ。

繰り返しますが、問題はネオナチとはヒットラーに対する個人的な評価ではなく、
ナチスが提出した法律、政策の問題です。ヒットラーがどいう人物であったかを
議論するのではなく、政策面で話し合った方が有意義だと思いますよ。

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由の...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む


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