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次の説明でどこがどう分からないかを おしえてくれますか。



《無限》とは 定量性を超えているという意味です。

数量によって規定すること――したがって 有限の世界――を超えています。

《二で割っても三で割っても 商は元のままの無限である》ものです。

《神が無限である》とは 数量の問題としてはそのように――無限として――
定義することができるという意味です。




なお 無限という用語は 有限なる世界の中における《限りなさ》を示すため
にも用いられます。それは――円周率のごとく 少数点以下の数が限りなくつ
づくというような事例として―― 可能無限と呼びます。

げんみつな無限は 真無限です。



              *


参考にどうぞ:


絶対性・・・・・・・・・・・・・・・・・相対性
_________________________________________
無限・・・・・・・・・・・・・・・・・・有限
=真無限                ・中に可能無限あり
:二で割って三で割っても        :円周率が例。有限(4以下)だが
 商は元のままの無限           限りなく数がつづく


普遍性・・・・・・・・・・・・・・・・・普遍的
=絶対としての普遍性:不可変性     例外をゆるしつつ一般性を持つ


永久法・・・・・・・・・・・・・・・・・自然法
:神の法:不変性・普遍性       :永久法があたかも経験世界へ投影された〔と
                    見なされた〕もの
                    (ものの道理・条理)
                   ・自然法にもとづき具体的な取り決めとして定
                    めたものは 人定法・実定法(ふつうの法律)


真理・・・・・・・・・・・・・・・・・真実
:無限・普遍性・永久法        ・人間の主観真実
                   ・共同化されたものが 共同主観(常識)
                   ・科学の真偽の真は 事実認識の間違いなさを
                    言う(主観を超えた共同主観だとみなされる)
                   ・よほど無謬性を持つ認識を 客観と呼ぶこと
                    あり


超自然・超経験・・・・・・・・・・・・経験世界
:時空間を超えている         :時空間
・《有る無し》の規定を超えている   ・ものごとが《ある》か《ない》かである
・因果関係から自由である       ・ものごとが因果関係の過程として見られる



          *


☆ 真理と真実も 一般にはきわめてあいまい(両義的:互いに交替しうるよう)に用い
られています。

A 回答 (16件中1~10件)

数学的に説明不足というかなんというか....



無限には、「濃度」があります。「濃度」からみれば、可能無限と真無限(真無限のことを普通は実無限という(まあ、数学知らない人限定。)けど、同じとみなす。)
があるけど、それには触れていません。
触れていないとは、「濃度」について、賛成とも反対とも述べていないという意味にとらえください。

「濃度」についてどう考えているのか説明されたし。
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この回答へのお礼

まささん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


★ 数学的に説明不足というかなんというか....
☆ 人知ないし経験科学を超えています。例によって そういう議論です。


★ 無限には、「濃度」があります。
☆ 数学ないし経験科学としては あくまで認識の対象であるという前提
を守れるところまで守って 推論をすすめます。

つまり 《濃度》というのは 濃淡という相対性なのですから 人知のお
よぶ範囲での議論です。

おおきく《有限性》の中での《限りなさ》のあり方を問題にしています。

真無限は すでにそれらを超えています。



★ 「濃度」からみれば、可能無限と真無限(真無限のことを普通は実無
限という(まあ、数学知らない人限定。)けど、同じとみなす。)がある
けど、それには触れていません。
☆ そうですね。分からないながら言うとすれば 濃度とは 大前提にお
いて《有限世界》があり そのもとに大きく《限りなさ:つまり 可能無
限》を捉え それについてああだこうだと濃度を問う。のではないですか?


なお 《実無限》とは 0.9999・・・を =1 とみなすときの概念で
はないのですか? 可能無限なる数量について限りのさだまった一定の数
たる近似値で代用することでは?



★ 触れていないとは、「濃度」について、賛成とも反対とも述べていな
いという意味にとらえください。



☆ これで次の問いにおこたえできたでしょうか。
★ 「濃度」についてどう考えているのか説明されたし。

お礼日時:2020/04/25 09:48

無限というのは限りがないことです 終わりのないことです 永遠ということです。



永遠を信じると人間嬉しくなって生き甲斐が出ます。

仏教では永遠はないんですかねえ?永遠の未来に我々の営為が生きていくとすれば

やり甲斐はあると思いますけどねえ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 無限というのは限りがないことです 終わりのないことです 永遠
ということです。
☆ 《永遠》は 真無限のこととしてさだまりますが 《かぎりの無さ・
終わりの無さ》では なおまだふたつの場合に分かれます。


① 無限大(∞)という数は それに1を足した数値(∞+1)よりも
小さい。ゆえに 有限の数です。一定の数値です。《無限〔大〕》とは
言っていますが。

② ところが 《二で割っても三で割っても 商が元のまま(つまり 
無限)である》という場合を想定し得ます。これが 真無限です。




★ 永遠を信じると人間嬉しくなって生き甲斐が出ます。
☆ それは 神のことだと けっきょく言えるかと思います。



★ 仏教では永遠はないんですかねえ?
☆ 劫とか恒河沙とかいう概念(?)または数(?)は 具体的な内容に
よって説明していますね。つまりは 大きく有限の数です。

それを ほぼ永遠だというふうに見做すのだと思われます。



★ 永遠の未来に我々の営為が生きていくとすれば
やり甲斐はあると思いますけどねえ。
☆ 未来にひらけているのは よいことですね。

お礼日時:2020/04/18 12:18


私との比較ではなく、既存の神論と比べられた経験があるのでしょう?私が批判をしないことは理由にならないはずです。ちなみにさっきの仏教だのというのは適当な狂人の例えです。

では、あなたの問題意識からあなたの論を掴みたいと思います。あなたの理論によって解決できる課題には何がありますか?批判ができない主張ならいくらでも作れます。優劣を分けるのはそこではないかと思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

たとえば 次のような仮説によれば 世に言う宗教のあらそいは 一瞬に
して消えます。理論じょうそうなります。

〇 《普遍神》のもとなる信仰――《非思考の庭》なる動態――のあり方:

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター);ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵);ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
   霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
   霊:われ(自然本性 +α )

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ




☆ 《非知=知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》について 同じよ
うな見解を見つけました。

▲ (山本巍:神とは何か?) ~~~
《神は何であるか》 人間はこれを把握できるであろうか。しかしそれは・
・・《神が何であるか》という問題そのものが理解しがたいということでは
なかろうか。

それは理解不可能性自体が把握できないことである。

人は《神が何であるか》を掴めない。しかしその掴み不可能性自体が掴めな
い( incomprehensibilis incomprehensibilitas )。

(山本巍:第一章 聖書の言語宇宙――ソクラテスとイエス in 宮本久雄・
大貫隆・山本巍共著:『聖書の言語を超えて―ソクラテス・イエス・グノー
シス』1997  pp.105-106 )
~~~~~~~~~

こんな感じですか。

お礼日時:2020/04/16 10:16

引率宜しくお願いします。

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この回答へのお礼

考えるところは わたしの知るかぎり必要有益と思ったなら ばか
みたいにドシドシ言って行きます。――ご回答をありがとうござい
ます。


世の中一般の――人びとの――あり方については〔いえ 上の学問
的知見についてもそうですが〕 いろいろ考えさせられています。

もっとも いまの現状において ただちにその態度をあらためるか
どうかは 考慮してそのあとということになるかとは思います。


世の中の流れに棹差して同じ口調で同じ文体だと見られたなら う
ったえるチカラが薄れるかと思ってのことです。いまの段階におけ
る考えです。

お礼日時:2020/04/16 09:00

神について語るとき、「幾何学の精神」が、良くも悪くも「ネック」になります。

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この回答へのお礼

そうでしょうね。そうかも知れません。――ご回答をありがとう
ございます。


ということは スサノヲ(市民)のあやまち得る人間語から 概
念抽象されて成るアマテラス(公民)のあやまたざる普遍語の中
で 価値観抜きの普遍科学語と 倫理にかかわる普遍人格語との
もんだいがあるようです。


価値自由な科学語は 幾何学の精神として捉えて 《手に取るよ
うにすぐ分かる》とたしかパスカルは言っていました。

繊細の精神は ほんの身の回りにあるがよほど目が見えていない
と かんたんに見逃してしまうとも。




☆ このカテでやれることは なおまだ山のようにありましょう
か。

お礼日時:2020/04/16 08:46

私はブラジェさんとお会いして、哲学談義を繰り返してきた者ではないですが、お話伺って、伝わってきますよ。

ハッキリ言えば、ブラジェさんの言葉と思想は、ブラジェさんの内面から出る飾らない「達意の文章、思想、哲学」であると考えています。ブラジェさんの言葉が分からないから、と言って攻めてる方、相も変わらずいますが、私が講義でおそわった川原栄峰先生はハイデガーの最後のお弟子さんでしたが、「他者の言葉が分からなかったら自分の責任が大きい。分かろうと努力しているでしょうか?」と仰ってます。33年前、大学生のころ、ハイデガーも川原先生もアドルノも言ってることなかなか、掴めなかったですが、今は何て貴重なこといっているんだと、思ってますよ。他者の言葉を分かろうとする努力って、そもそも、今大流行のコミュニケーション能力の第一歩ではないですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 私はブラジェさんとお会いして、哲学談義を繰り返してきた者ではない
ですが、お話伺って、伝わってきますよ。ハッキリ言えば、ブラジェさんの
言葉と思想は、ブラジェさんの内面から出る飾らない「達意の文章、思想、
哲学」であると考えています。
☆ ま べらんめえ口調ですね。遅れてやってきた名も無い者としては な
ぜかそうなります。



★ ブラジェさんの言葉が分からないから、と言って攻めてる方、相も変わ
らずいますが、私が講義でおそわった川原栄峰先生はハイデガーの最後のお
弟子さんでしたが、「他者の言葉が分からなかったら自分の責任が大きい。
分かろうと努力しているでしょうか?」と仰ってます。
☆ 新造語と時には飛びっきりの飛躍がありますから ジョウシキや定説に
親しんだ人にとっては なんぢゃ こりゃ!? になるかと思います。




★ 33年前、大学生のころ、ハイデガーも川原先生もアドルノも言ってるこ
となかなか、掴めなかったですが、今は何て貴重なこといっているんだと、
思ってますよ。他者の言葉を分かろうとする努力って、そもそも、今大流行
のコミュニケーション能力の第一歩ではないですか?
☆ 《心の明け》 そしてもっと言えば《能天気》によって あたらしい世
界〔の入り口〕は見えて来るのではないかと思います。


しかし 日本人は《もののあはれを知る》伝統があります。情感をとおして
あたらしいことへと進むことが出来ます。


西欧人の業績もとうといですから パスカルの言う《幾何学の精神と繊細の
精神》とでしょうか。

お礼日時:2020/04/16 08:31

ちなみに、ちなみに、あなたの神論が従来のものよりも優れているのはどういう点ですか?

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★★ (回答№8) 丁寧に読ませていただきました。
☆ とのこと。

★★ (回答№9) 批判はできません。・・・私の言葉を受け取って
ください、どうか。
☆ この点で:
★ あなた(☆ つまり ぶらじゅくん)の神論が従来のものよりも優
れてい
☆ ます。

お礼日時:2020/04/16 03:35

批判はできません。



私は庶民の理解力を問題にはしていません。私はその例では、仏教的世界観を受け入れておりその他の語彙からなる文を自分の土俵にまず引き入れて考える人間は狂人だと主張しています。

あなたの理論は独りよがりです。あなたの頭の中では革新的な何かが組み上がっているのかもしれません。しかしそれを他の誰かに受け入れられているボキャブラリーで語らないと、誰も賛同も反対もできません。私もあなたの文章に、今のところ、わざわざ語る価値、有用性、革新性のうちいずれも感じません。誰かに、誰か複数人に、これはすごいと認められているのですか?おそらくそんなことはないでしょう。

現在の哲学理論は今まで沢山の人間の蓄積であるため、それを一挙に覆したと感じることは、あり得なくはないですが、一度は疑うべき感覚だと思います。自分の理論がどういう点で優れているのかという弁証をすることもその助けにはなると思います。私の言葉を受け取ってください、どうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


あなたのご議論はすべて 能書きです。一般論です。

すなわち:
★ 批判はできません。
☆ これをわたしはすでに受け取っています。




〇 梵我一如
☆ は ブラフマニズムですよ! ブディズムではありません。

めちゃくちゃです。

お礼日時:2020/04/16 03:32

丁寧に読ませていただきました。



あなたが、批判歓迎の姿勢を持っていることは読み取れます。書物ではなく論理的な批判ただそれだけで良いのだという態度も伝わります。しかし、おそらく、あなたにとって最適の批判はあなたの文章を批判できないです。
あなたは考えを述べるにあたって、あるひとつの世界像、フォーマット、ボキャブラリーを採用していると思います。そして、その形式に則ったものでなくてはまともな理論、反論として取り扱わないのではないかと思います。あなたの理論を構成している論理学、還元主義、言語モデルをできるだけ廃して、フッサールでもウィトゲンシュタインでも誰でもよいので、世間的にある程度認められている哲学者の本を、自分の土俵に引き入れることなく読んでみて欲しいのです。そしてその世界観をその人のボキャブラリーごと、そのまま一旦取り込んでみて欲しいのです。

極端な例えをすると、仏教のうちひとつの価値観を受け入れている人が、悟りを開くことを「目覚める」と呼んだとします。庶民は彼に「目覚めるとは何か?」と聞くと、彼は彼にとって明確な意味を持つ言葉で「悟りを開くこと、ブラフマンと一体になること」と説明しますが、庶民にとってはさらに曖昧に感じられます。命題の形式が論理的であっても、伝わらない場合があります。ボキャブラリーのひとつのセットを受け入れることは世界観、ひいては述べられていない暗黙の信念や主張を受け入れることに他ならない場合があります。あなたにとってナンセンスだと感じられる文書をそのままに浴びることが、あなたにとって一番の批判になると思うのです。

私もそういう試みをしようと、全くベクトルの違う哲学書を読み漁ったときが一番、考え方の幅が広がりました。どうか、ご一考をお願い致します。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そうですね。今回のお話しは 一般論なんですよね。

ですから ずばりの批判をください。あるいは 今回すでに批判は述べてある
ということでしたら 例証をどうぞ。とお願いしたいですね。

それが いちばん早いですし この早いということが 何よりの糧になるので
はないかと思っています。


もう一点は わたしの理論は おっしゃるように すでに自己の世界観をつく
っているということなんですが この場合さらに自負があるんです。

誰の理論よりもあたらしい。

そして 何にしても最初はむつかしい。と言っても そのことをああだこうだ
と言っても始まりません。言いたいことは あとは 普遍性の問題です。普遍
性如何んに尽きるということだと思います。伸びしろ如何ん ということでも
あります。



言いかえますと ブラジュ理論を持ち出したときには これを寄ってたかって
フルボッコにすればよい。ほかの理論を標的にするのなら それに専念すれば
よい。・・・そういうことではないでしょうか。


★ 庶民の理解力
☆ を問題にしておられますが これは あまり問題にならないと思います。

理論のたしかさのあとに来るちょっとした壁でしょう。


★ 考え方の幅を広げよ
☆ と仰せですが すでに広いです。大道は無門というごとくだだっ広いは
ずです。

★ 世間的にある程度認められている哲学者の本
☆ では 現代・現在においては もうダメなんです。わたしの神論が最先
端を走っているはずです。

お礼日時:2020/04/15 23:43

まだ分からないところが沢山あります。

これはおそらく、あなたにとって明確な意味を持つ語が、私にとって曖昧な語だからだと思います。

 「測りえないこと」と「測りえる、測りえないにかかわらないこと」の差は何ですか?具体例をお願いします。

 あなたの使う「神」という語はどういう意味ですか?全ての人間にとっての神と呼ぶものすべての共通項ですか?それともあなたが個人的にイメージする神ですか?あるいはヤハウェなどの特定の神ですか?それか、このような性質を持つものを神と呼ぶ、という説明ですか?最後のものであった場合、その概念は必要ですか?(「難しい概念作ってみました!」的行為ではないか?という意味です。)

 相対的な存在、事物とは何ですか?一般的な言葉の用法ではありません。少なくとも新語です。

 そして最後ですが、目的語のない「想定することによって」はどういう意味ですか?

たぶんあなたの目には私の回答がとるに足りない下らない質問、批判に見えていると思います。しかし本当にあなたが抜本的な批判を欲するなら、このように全く前提を共有していない他者意見が必要だと思うのです。明確な意味を持っているとあなたが想像する語たち、明晰になされたと仰るその定義文が私にとってはぼやぼやとして曖昧なものに映ります。

長々と申し訳ありません。お付き合い頂いて嬉しく思います。あなたの文はウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を思わせます。それに対して彼自身が『哲学探究』で厳密な言葉の捉え方に対して批判をしていたので、もし読まれていなければ『哲学探究』はあなたへの批判の足しになるかもしれません…
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 「測りえないこと」と「測りえる、測りえないにかかわらないこと」の差
は何ですか?具体例をお願いします。
☆ 座標で考えます。経験事物は 座標をあてがうことができます。

けれども 《測りえる、測りえないにかかわらない》ものの場合には いかな
る座標をあてがっても それを超えています。

もちろん 後者に神を当てています。


★ あなたの使う「神」という語はどういう意味ですか?
☆ 超自然・超経験・あるいは 人知を超えた何か:神
⇒概念による定義:絶対性・無限
属性を付与:真理・至高の善(善悪の彼岸)・美;慈愛・全知全能
擬人化:絶対者
物語化:創造主


★ 全ての人間にとっての神と呼ぶものすべての共通項ですか?
☆ 【Q:或る主観が 《神》と言ったら それはみんなにとって同じひとつの普
遍神のことでないわけがない】

【Q:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶
対的批判――完全版を目指して】


★ 相対的な存在、事物とは何ですか? 
☆ 他に依存しないものが 絶対性であり 他と存在じたいが関係しあってい
るものが 相対性です。



★ 目的語のない「想定することによって」はどういう意味ですか?
☆ 結論( Result )⇒大前提( Rule )⇒小前提( Case )というふうに議
論をはこぶ仮説法(アブダクション)のことです。



★ たぶんあなたの目には私の回答が・・・
☆ 冷やかしや荒らしも なおまだ見かけますが あらゆるご批判を歓迎しま
す。


★ ウィトゲンシュタイン
☆ は お手上げでした。早々と――という意味は 全部を読了しえないまま
――降参しました。ほんとに 分かんないです。土俵をわたしの側のほうに引
き寄せた場合には なにがしかの批判を持ちますが。

間接的に――つまり ほかの研究者が触れているのを読んで――得た知見とし
て これはよかった・有益だと理解できたものは まだないです。(数学ない
し論理学プロパーの業績については 別としてです)。


読んでみたら・・・というお薦めは この頃は ピンと来なくなっています。
ずばり核心にせまって欲しい。というのが 本音です。

お礼日時:2020/04/15 22:09

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