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織田信長による足利義昭擁立はメリットがあったのでしょうか。
上洛戦の神輿としては一定の効果があったでしょうが、美濃尾張と北伊勢の兵に徳川浅井の援軍があれば神輿がなくても大兵力です。充分上洛は可能だったと思います。
足利義昭は将軍になるや信長と反目して足を引っ張ってばかりでした。こんな面倒な神輿だったら最初からいない方がマシです。
義昭擁立は失敗だったのでしょうか。

A 回答 (2件)

仲が悪くなったのは、擁立成功後に信長が義昭に忠義を尽くすつもりが無いことがあからさまだったからだ。


信長は信長で、義昭があれほど裏で陰謀を巡らす人物とは思っていなかったのだろう。

しかし、信長の生家は貴種ではない。平氏を名乗っているが怪しい話だ。それでも臆面もなく名乗らざるを得ないほど、当時の社会で上に立つには、天皇家につながる血筋であることが重要視された時代だった。それは後に、明らかに源氏でも平氏でもない秀吉が、摂関家に頼み込んで名目上の養子である猶子となり、それを足掛かりに「豊臣」という新しい摂関家の姓を作ってもらったように、自分の権威付けに大変苦労ことでもわかる。

面倒であろうとなかろうと、大兵を率いて上洛して京を制圧し、朝廷の信認を取り付けるためには、当時の信長にはそれしか手がなかったことは、ある程度質問者ご自身も理解されていることでしょう。
ただし、「一定の効果」ではなく、「必須の条件」であったということです。
信長は朝廷の保護者になることを目的に上洛したわけで、そのためのステップとして足利将軍家をかましたわけです。朝廷との関係が結べれば義昭は用済みになるわけです。

その後は、義昭が裏から信長包囲網を築いて対抗するわけですが、義昭無しで上洛した場合は、鎌倉幕府末期と同じように、朝廷から信長討伐の密勅が全国に飛ぶ事態になったかもしれません。
そもそも、そういう展開ならば、近江の浅井家が信長に同調することもなく、迅速な上洛そのものが不可能だったでしょう。
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この回答へのお礼

とても参考になるご回答ありがとうございます。
将軍周辺は、侍女から警備の者まですべて織田家の者で固めてやんわり幽閉状態にすべきでしたね。

お礼日時:2020/04/20 11:22

この時代、武士が動くときは正当な理由が求められたのです


純粋に自分の欲望のためというのでは他家の大名は言うまでもなく、自分の家中の家来ですらなかなかついてくるものではありません
だから三好松長を討滅して将軍家の正当な後継者である足利義昭を上洛させ、将軍職に就けることに助力という大義名分がなければ、
信長が京の地に立つことはなかったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2020/04/19 22:08

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