忙しい現代人の腰&肩のお悩み対策!

1. 《文化》とは――《自然ないし人間の自然本性を耕して作り成すもの》
だと思われるが――それは なお自然であって《社会的自然》であるか そ
れともすでに質の変わった《文化的人工物》か。


2. K.マルクスが書いています。

▲ (マルクス:人間の人間に対する自然的な関係) ~~~~~~~~~

3. 人間の人間にたいする直接的な 自然的な 必然的な関係は 男性の
女性にたいする関係である。

4. この自然的な類関係(☆ ≒じんるい)のなかでは 人間の自然にた
いする関係は 直接に人間の人間にたいする関係であり 同様に 人間に対
する〔人間の〕関係は 直接に人間の自然にたいする関係 すなわち人間自
身の自然的規定である。

5. したがってこの関係のなかには 人間にとってどの程度まで人間的本
質が自然となったか あるいは自然が人間的本質となったかが 感性的に 
すなわち直観的な事実にまで還元されて 現われる。

6. それゆえ この関係から 人間の全文化段階( Bildungsstufe )を判
断することができる。

(『経済学・哲学草稿』 第三草稿 〔二〕 私有財産と共産主義 城塚登・
田中吉六訳 1964 )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

7. まづおことわりとして 《文化段階》の原則主義的・公式主義的な固
定視は 排します。

8. さて マルクスの言うには――例によって飛躍した解釈ですが―― 
《人間的本質が自然となった・あるいは自然が人間的本質となった》状態に
あれば 《男対女 あるいは 上司対部下の関係》は すでに相手の意志を
ないがしろにするようなハラスメントは 起きない・・・ということだと思
われます。

9. そのことが 《感性的に すなわち直観的な事実にまで》なって実現
しているであろうと。



10. となると 現代人は――たぶん欧米ふうに―― その社会人として
の教養や学歴の よくもわるくも 着飾りが・つまり文化なる衣装が ただ
の《文化的人工物》一色になってしまっている。ゆえに セクハラ・パワハ
ラとなって 置き去りにされた自然が表出してくる・・・という見解が出て
くるかと思われる。

11. このあたりの事情について 思うところを明らかにしておしえてく
ださい。表題の意味は そういった内容です。

12. 欧米は 悪鬼ですか? 日本あるいはアジアの弱点は何か?


☆ なおこの問い求めは 次の質問でのやり取りを承けたものです。さらに
ひと伸びを。
【Q:能天気(心の明け)こそが 突破口】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11593499.html

質問者からの補足コメント

  • マルクスの心としては 《文化》とは 社会的自然なのだ。つまり

    自然的文化ないし文化的自然である・・・ということだと思います。

    これを掘り下げていくと どうなりますか。・・・

      補足日時:2020/04/25 10:18
  • №2です。(お礼欄にマルクスを引こうかと思っています)。

    質問者としてこの《自然か文化か》にこだわるのは かんたんに例示し得
    ます。

    端的に――英語さんも触れておられるように――利己心といった自然〔本
    性のうちの欲望といった要素など〕は 反文化なのか? だから 無私の
    精神などと言って 利己心を無くせというふうに――伝統的に(?)――
    説かれてきた経緯があります。

    利己心は 自然の一部でしょうから これを無くせということは 脱自然
    だとも見られます。

    一例としてこの問題です。こういう問題をどう処理するかではないでしょ
    うか。


    そのとき あたかも超自然の・中立的な《能天気(心の明け)》なる概念
    が 同じくあたかも仲裁に入ってくるのかどうか。です。

    利己と利他とは 二項対立のごとくであり ただそれらの均衡をもってよ
    しとするだけでよいのか? そういう意味合いになります。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/04/26 07:59

A 回答 (5件)

スミスの利己心の重視は、そもそも帝国強化の理論を依頼され作った、常勝国家イギリスを創造するための理論軸でしょう。

それを前提に、彼らイギリス知識財界人が、計画的に引き起こした、第一次産業革命なのだと思います。スミスの国富理論は、「国富」のための市場経済を理解する上で便利ですが、ギブアンドテイク=助け合い=互酬性=共感関係からは遠いと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ スミスの利己心の重視は、そもそも帝国強化の理論を依頼され作った、常勝
国家イギリスを創造するための理論軸でしょう。
☆ 重商主義を批判するところは 世界中の国々の相互の経済状態を向上させよ
うとしているのではないかと思います。


★ それを前提に、彼らイギリス知識財界人が、計画的に引き起こした、第一次
産業革命なのだと思います。
☆ でも 市井の人たちも 勤勉志向において機械を発明し仕事の効率を図った
のですから ガリ勉の帝国主義なる側面――それが 主導したわけですが――の
みを見るのも酷だと思うのですが。


★ スミスの国富理論は、「国富」のための市場経済を理解する上で便利ですが、
ギブアンドテイク=助け合い=互酬性=共感関係からは遠いと思います。
☆ 道徳感情の理論では やはり《同感》の原則が 活きると思いますね。

ふつう一般の市民の生活感覚やものごとの判断によって支持されない行き方は・
つまり ガリ勉指向は 同感されないとして 非力なものですがその良識を原則
とした。

お礼日時:2020/04/26 12:15

利己心=自己利益最大化/利他心=利他最大化は、自然から道草所か、脱線した、後付けの考え方、教育に、私には見えます。

単なるギブアンドテイクでこと足りるのではないか?だから、否定しませんが利己利他は「文化」なのだと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 単なるギブアンドテイクでこと足りるのではないか?
☆ これは A.スミスの《同感》の理論の端的な現象としての解決法で
すね。

その限りで:
★ だから、否定しませんが利己利他は「文化」なのだと思います。

☆ そこで もう少し掘り下げたいと思うなら――揚げ足取りになった
ら ごめんなさいですが―― 利己は・そして利他の或る部分も 自然
の思惟=行動のあり方にふくまれているのではないか? という問い返
しがありうるのではないか です。


パン屋さんや靴屋さんの仕事は 営業であるかぎり 利己でありその利
己は 自然本性の上に・外から付け加えた〔不自然としての〕文化であ
るのか?

災害時にかれらが 町の人たちの困窮を見て 臨時に利他の気を起こし
てお代を取らないことは 不自然なる文化か?




最小の努力・費用で最大の成果・収益を上げるというのは 《勤勉》で
す。

この勤勉なる仕事を あたかも一日24時間じゅうもおこなうとしたら?

人格の全体が 勤勉至上主義と化したら?

それは ガリ勉です。

資本主義経済にあっても――あたかも《同感》を得られると思われるよう
に―― 勤勉に仕事をおこないその基礎の上に家族とともに生活を築く。

これは《人間的自然》ではないか?

ガリ勉あるいは ガリ勉至上主義とさえなれば 話が違います。利益を自
己増殖させていこうとするのは 資本主義ですが おのが人格をそのよう
な資本の軌道に合わせるようにまでなると おそらく反自然・脱自然なア
ブノーマルな状態だと思われます。


★ 利己心=自己利益最大化 / 利他心=利他最大化は、自然から道草所
か、脱線した、後付けの考え方、教育に、私には見えます。



☆ あえて 希望ということに重心を置いてしまって考えるなら 《ほどよ
い自然としての文化》あるいは 《ほどよい不自然としての――それでも自
然にもとづく――文化》が あり得るのではないか?


そこんところは 空想に属しますか?

お礼日時:2020/04/26 10:56

自然のシステムとして自己-身体を考えたとき、自然なあり方とは、シンプルに、「失われたもの」を「補う」という「ホメオスタシス」なのだと思います。

実は、利己心も利他心もその生存継続のためのホメオスタシスが持続できれば充分なのに、ヒトが「補い」(=足ることを知る)を超えた余計な「何か」(=希望、期待、理想、余剰)を思い描いた時に、これを「善きこと」と習慣化され、ヒトが、家庭、学校、社会、メディアで、その「何か」を思い描くよう、後付けの知識を植え付けられた時、現れる心のあり方が、「利己心」=自己利益の最大化とカウンター経済概念としての「利他心」=利他の利益の最大化を、市場哲学として思い描くようになったのではないかと思っています。人類の古代-中世-近現代において、人々の生活圏の市場化、都市化、近代化の過程に伴い、「利己利他の概念」が、ホメオスタシスの「自然のあり方」を「過剰」に想念されてきたことで、少しずつヒトは不自然反自然化したのではないか、と思っています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 自然のシステムとして自己-身体を考えたとき、自然なあり方とは、
シンプルに、「失われたもの」を「補う」という「ホメオスタシス」な
のだと思います。
☆ 何か脱線して《失ったものを補う》そしてそのホメオスタシスを繰
り返す・・・でしょうか。



★ 実は、利己心も利他心もその生存継続のためのホメオスタシスが持
続できれば充分なのに、ヒトが「補い」(=足ることを知る)を超えた余
計な「何か」(=希望、期待、理想、余剰)を思い描いた時に、
☆ つまり何らかの脱線ですね。それは ふつう余裕のうちに過剰を持
ちつつ起きがちである。(《道草説》です)。


★ これを「善きこと」と習慣化され、
☆ つまり 道草は たのしいとなり。

★ ヒトが、家庭、学校、社会、メディアで、その「何か」を思い描くよ
う、後付けの知識を植え付けられた時、現れる心のあり方が、

 「利己心」=自己利益の最大化と
 カウンター経済概念としての「利他心」=利他の利益の最大化を、

市場哲学として思い描くようになったのではないかと思っています。
☆ ということは どこまでが クリスマスツリーの《樅の木=自然》で
あり 《デコレーション=文化》のどれが 自然基礎に立つものか・ある
いは 完全な道草ものなのか。

《利他》――《慈悲》?――は どこまで生まれつきそなわった自然本性
としての自然か?


★ 人類の古代-中世-近現代において、人々の生活圏の市場化、都市化、
近代化の過程に伴い、「利己利他の概念」が、ホメオスタシスの「自然の
あり方」を「過剰」に想念されてきたことで、少しずつヒトは不自然反自
然化したのではないか、と思っています。
☆ ですから:

利己心なる自然は どう自己表現すれば 格調高い文化的でもありうるか?

利他心は ストルゲーや衆生縁の慈悲(*)などは ふつうに自然の感情
としてあり得るはずです。

*  https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11561683.html


☆ 文化の作り方・・・というような問題にもなりませんか。

お礼日時:2020/04/26 10:20

気になったのでお伺いします。

世界における、身の回りの自然に対して、不自然、反自然、脱自然について、ブラジェ先生から、お話があれば、お伺いしたいのですが?
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

▲ (マルクス:社会的自然) ~~~
しかし産業が人間的な本質諸力の公開的な露出としてとらえられるならば
自然の人間的本質あるいは人間の自然的本質もまた理解されるであろうし

したがって自然科学は その抽象的に物質的な あるいはむしろ観念論的
な傾向を失って それが現在すでに――たとえ疎外された形態においてで
あれ――実際の人間生活の基礎となっているように 人間的な科学の基礎
となるであろう。

そして 生活のためのそれ以外の基礎とか 科学のためのそれ以外の基礎
とかは そもそものはじめから嘘なのである。

人間の歴史――人間社会の成立行為――のなかで生成してゆく自然は 人
間の現実的な自然であり それゆえ たとえ疎外された形態においてであ
れ 産業を通じて生成する自然は 真の人間学的自然である。

(『経済学・哲学草稿』 第三草稿 〔二〕 私有財産と共産主義 城塚
登・田中吉六訳 1964 )
~~~~~~~~~~~~

☆ おおむね 基本的な文化的自然の実現への道として 妥当ではないか
と思うのです。

その資本主義の道に 勤勉派とガリ勉派とがいる。後者が 主導しており
悪化が良貨を駆逐するというように 前者・勤勉派は 声が出ない。塩を
かけられたナメクジのごとくである。

お礼日時:2020/04/26 12:30

自然と文化の境界線というか分割線は「学習」「教育」「技術」だと思います。

男女の色恋、家族の絆、人の絆、友情、兄弟姉妹親子関係どれとっても「知識」「学習効果」「教育結果」で成り立っていないんですよね。ですから家族、保育、幼稚園、保育園、学校、企業、政府、国家って知識、教育、文化、技術の結果で成り立っていて、果ては脳のシュミラークル=模造品→AI、人と機械「=ネット」→BMI(ブレインマシンインターフェース)と自然→再設計の方向へ人の創造的思考は動くみたいで、年々、当たり前ですが、不自然なんですよね。人工ですから。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 自然と文化の境界線というか分割線は「学習」「教育」「技術」だと思い
ます。
☆ 手段・道具の側に文化的要素があると。

その手段をとおして 自然(自然本性)なる内容を さらに作り変えるその結
果としての内容は:
 ① 自然を素材としてできるだけ自然に沿ったものとするのか? 
それとも
 ② 自然のうちのたとえば野生・獣性ないし野卑な性質をあたかも生まれ変
わらせるほど あらたな内容に作成するのか。



★ 男女の色恋、家族の絆、人の絆、友情、兄弟姉妹親子関係どれとっても
「知識」「学習効果」「教育結果」で成り立っていないんですよね。
☆ 基礎・基本が 自然(感性・身体性)ですね。


★ ですから家族、保育、幼稚園、保育園、学校、企業、政府、国家って知識、
教育、文化、技術の結果で成り立っていて、
☆ そうですね。たとえば学校等の規則を守るといった性質(能力)は 自然
かどうか?

自然本性なる精神ないし能力を伸ばすのか? それとも あらたに何か外から
加えるのか?



★ 果ては脳のシュミラークル=模造品→AI、人と機械「=ネット」→BMI(ブ
レインマシンインターフェース)と自然→再設計の方向へ人の創造的思考は動く
みたいで、年々、当たり前ですが、不自然なんですよね。人工ですから。
☆ その《不自然なる要素》は でも――人為的しかも人工物と言っても――
人間の考えだした何かを内容としていますよね?

人間の思考や想像は 不自然ないし反自然・脱自然を指向するのか? という
問いにもなると思います。

お礼日時:2020/04/25 10:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング