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身の負はん苦も五十路して尽きぬべしかくおのれこそ許したりけれ

23日にも質問したのですが、回答がつかなかったので、再度お願いいたします。

この「身の負はん苦」とは、どのような意味と解釈できるでしょうか?

負う の否定 負わない という意味でしょうか? 負はぬ → 負はん?

自分の身の負わない苦労(苦痛)も50歳にして尽きたであろう、このような自分を許した ?

変ですよね。

それとも 負はむ →負はん ? 負うであろう ?

50歳まで苦労するものは苦労してきたから、このような自分を許します みたいな感じなのかなと思ったのですが、どうも
「身の負はん」 がわかりません。

また「身に負う」 ではなく 「身の負う」とは ???
負うは、背負うではなく、負けるという意味でしょうか?

与謝野晶子が50歳のときに作った短歌で、この歌が生まれた状況などもわからないのですが、文法的に言葉としてもどのように解釈したらよいと思いますか?

詳しい方でなくとも、単に思うことや推測でも構わないので教えていただけたら幸いです。

自分が50歳ころからずっと気になっている歌なのですが、意味がわからずすっきりしません。
古文の文法も忘れてしまい解読できません。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

我が身が負う苦しみも五十歳を過ぎてきっとなくなってしまうだろう。

「む」は推量の助動詞ですが、後に名詞が来るときは「ような」と訳することもありますが、そう訳さない方がいい場合もあります。「尽きぬべし」「ぬ」は完了・強意の助動詞、ここでは強意で「きっと」の意。「べし」は推量で「であろう」 「きっと無くなってしまうであろう。」「かく」は「このように」。「自分が自分を」「許したりけり」「たり」は「存続」で「ている」。「けり」は詠嘆。「許していることですよ」
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この回答へのお礼

助かりました

ありがとうございます。
文法的にも、どう解釈してどういう意味になるのか、詳しい説明をしていただき、よくわかりました。

お礼日時:2020/05/03 09:16

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