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日本語の自他(自動詞と他動詞)の問題に疑問を感じています。
 国語辞典をいくつかひくと、「恐れる」を自動詞にしているもの、他動詞にしているもの、自動詞兼他動詞にしているものがあるようです。
 そもそも他動詞の定義とはどう考えればよいのでしょうか。

 こんな奇怪な動詞がほかにあるのでしょうか。

質問者からの補足コメント

A 回答 (12件中1~10件)

(No.6, No.7 の続きです。



さて、初めの1の問題に戻って、国語辞典の自他表示の揺れをどう考えるか、です。

まずは、その後に調べた国語辞典の自他表示の違いの表を。(前回の分も再掲)
(これらの語の調査には、次の本を大いに参考にしました。とても「面白い」本です。
 西山里見『辞書がこんなに面白くていいかしら―三省堂『新明解国語辞典』主幹に宛てた三通の手紙』)
 https://www.amazon.co.jp/%E8%BE%9E%E6%9B%B8%E3%8 …

       新明解  明鏡  三国  岩波  学研  小学日  集英社  旺文社  新選
 病む     自   自他  自他  自他  自他   自他   自他   自他  自他
 乗り継ぐ   他   他    他   他   他   自     他    他  自
 乗り出す   自他  自他  自   自他  自他   自他   自他   自他  自
 乗り過ごす  なし  自    他  自   自    自    自     他  自
 乗り越す   自   自    他   他  自    自    自     他   他
 乗り越える  自   自   自   自   自    他    自     他   他
 乗り換える  他   自他  自他  自    他   自     他    他  自
 練る      他  自他  自他  自他  自他   自他   自他   自他  自他
 ならう     他  自他  自他  自他   他   自他    他    他   他
 怠ける    自   自   自他  自他  自    自他    他   自他  自
 怒鳴る    自   自他  自   自他  自    自    自    自他  自
 連れる     他  自他  自他  自他  自他   自他   自他   自他   他
 備える     他   他   他  自他   他    他    他    他   他
 しくじる   自他   他   他  自他   他    他    他    他   他
 授かる    自他   他   他  自    他    他   自他   自他   他
 越す     自   自   自   自他  自    自     他   自他  自
 気取る    自他  自他  自   自   自他   自他   自他   自他  自
 かわる    自   自他  自他  自(他) 自    自(他)  自(他)  自   自
 教わる     他   他   他   他   他    他   自     他   他
 送る      他  自他   他   他   他    他    他    他   他
 うなる    自   自他  自他  自   自他   自    自他   自   自
 憤る     自   自他  自   自   自他   自    自    自   自

       新明解  明鏡  三国  岩波  学研  小学日  集英社  旺文社  新選
 焦る     自   自他  自   自   自他   自    自    自   自
 恐れる     他   他  自他  自    他   自他   自     他  自
 怖がる    自    他  なし  自    他    他    他   自   自
 喜ぶ     自    他  自    他   他   自他   自    自他  自
 嘆く      他   他  自他  自他   他   自他   自他    他   他
 誇る      他   他  自他  自    他   自     他    他  自
 忍ぶ     自他  自他  自他   他  自他   自他   自他   自他  自他
 向く     自   自他  自他  自   自他   自    自    自   自
 頼る     自他 (自)他  自他   他  自他   自他    他   自   自
 働き掛ける   他  自   自   自   自     他   自    自   自
 話しかける  自    他  自   自   自     他   自    自   自
 持ち寄る   自    他   他   他   他    他    他    他   他
 持ち越す    他  自    他   他   他    他    他    他   他
 割る      他  自他  自他  自他  自他    他    他    他   他

  5 国語辞典の自他表示の揺れ 再考
   なぜこれほどの違いが出るのか。
   編集者がそれぞれの説によっているのは仕方がないとして、それが明記されていないのは困る。
   明鏡・学研新・岩波は「文法解説」の類が巻末付録にあり、それを読むと方針がわかる。
   それら三冊の上記動詞の自他表示は、それぞれの説にきちんとのっとっているか。まずはその
   調査が必要だ。(意外にそうでもないのでは、という疑いがある。) 
   その他の辞典、例えば新明解や三国はどのような方針なのか。それは、その自他表示を一つ一つ
   みて、上記三冊の辞典と比べていくことで浮かび上がってくるか。
   「持ち寄る」で新明解のみが「自」であること、「持ち越す」で明鏡のみが「自」であること、
   この二つは単なる誤植ではないのか。それとも、何らかの明確な基準によるのか。
   これほど多くの語で、多くの辞書がちがっているのは、学校教育上もまずいだろう。
   では、どうすればいいか。とりあえずは、この事実を多くの人(辞書編集者、日本語学者、学校
   教育関係者、国語辞典利用者)に知ってもらい、何らかの議論を始めることが必要か。

なんだかまとまらない話ですが、こんなことを考えました。
集英社、小学館日本語新などに「文法解説」の類があったかどうか、確認を忘れました。
今、手元にないので、明日調べてきます。
もう少し、書いておきたいこともありますが、まずはこの辺で。

saburoo
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相変わらず、わかってませんねえ。

言語学や英文法の知識がないのはしかたがないとしても、議論のしかたを知らないのは、(哲学には詳しいらしいので)ちょっと困ったことですね。

行方が書いている、日本語学習者の話は、私が多少過剰反応してしまった面もあるかもしれません。しかし、「こわい」に関する理解(誤解?)のしかたから「frightened 」の話へつなげるのは、あまりよい話の持って行き方ではないだろう、とは今でも思います。

さて、問題はその次です。行方の話から、

   受動/能動の変換が定形化している屈折語の英語では自他の区分が重要であること

を導くのは無理だ、ダメだ、というのが私の論の主旨です。

「自他の区分」は、能動:受動という「態」の問題が中心ではありません。私が書いたように、

   他動詞と自動詞の対立の基本は、上記の例文の型の違いです。英語でも、そして日本語でも。
     A Vt B     (A-ga B-wo Vt)
     B Vi       (B-ga Vi)

この対立する文型に使われる動詞の対立の問題です。
ここでは、英語でも、日本語でも、きちんとした対立が存在します。
(屈折語:膠着語の話は関係ありません。)

主語:目的語の格表示の問題と、動詞の形がどうであるかという問題が分析の対象です。
前回書いたことを引用しておきます。

  ということで、英語では自他の対立が問題になるが、日本語ではそうでもない、と考えるのは
  単なる不勉強です。自他の構文の対立のしかたの違いが興味深い問題になるのです。

以上の、私の中心的な主張に対しては、何の反論もないのですね。
そして、「受動態」の前置詞のことに関してだけ反論しています。次はそこの話を。

私は、安井稔の本から引用して、

   「I am frightened. 」というのは受動態ではありません。この frightened は形容詞です。
   英和辞典でも英英辞典でもそう書いてあります。
   なぜそう考えるのかも安井稔は解説しています。amuse を例にして、  
      He was very amused at ~ 
      He seemed amused at ~ 
   very で修飾でき、seem の後に使うことができ、前置詞は by でない。
   したがって、受動態とは言えないのです。

と書きました。論点を整理します。

 1 「I am frightened. 」というのは受動態ではない
 2 この frightened は形容詞。英和辞典でも英英辞典でもそう書いてある
 3(amusedの場合)
  a very で修飾でき
  b seem の後に使うことができ
  c 前置詞は by でない

1が主張。2はその論拠。さらに、3は2のように考える論拠を三つあげています。
ここまで、ご理解いただけましたか?

No.11の、ほとんど実質的な内容のない論の中で、一個所だけ事実に基づいた、有効な指摘があります。
それは、

   子供はお面をかぶった男たちを怖がった
   The child was frightened [scared] by the masked men.
    (プログレッシブ和英中辞典(第3版)の解説)

という辞書からの引用の部分です。「by 」が使われている例。
確かに、私の上記3cの書き方は不用意でした。
  「by 」でない前置詞が使われうる
とでもしておけばよかったのでしょう。私は be frightened at だと思っていたので。

   frightened [形] 1 (…に)おびえた, ぎょっとする(at, of ...)
                 プログレッシブ英和中辞典(第4版)の解説

「by 」も使われる。他の前置詞[も]使われる場合、考え方は二つあります。

   4 受動態だが、他の前置詞も使われうる
   5 他の前置詞が使われうるなら、それは受動態ではない

ここのところは、英文法に詳しくない私にはわかりません。

しかし、より重要なのは、上の3aと3bです。それへの反論はなぜ無いのでしょう?
3aに対して、「受動態でもveryで修飾できるのだ」と言えるのでしょうか。
よりはっきりしているのは、3bでしょうね。これははっきり形容詞というしかないでしょう。これも受動態?

そのような3の根拠によって、2の、「英和辞典でも英英辞典でも、frightenedは形容詞と見なされている」となるわけです。
英和辞典や英英辞典が間違っていると主張しますか?

行方も、「受動態である」と書いているわけではありませんね。

   I’m bored. と表現できます。つまり、bore は受け身の形で用います。~
  語尾は –ed 型の形容詞表現をとる、と覚えましょう。

「受け身の形」とは「be bored 」の形を指しているのでしょう。しかし、「–ed 型の形容詞表現をとる」と書いています。やっぱり形容詞と認めているのです。
元々は、他動詞の過去分詞であることは明らかですが、この「受け身の形」は、もはや「形容詞表現」なのであり、「受動態」というVoice の対立ではないのです。

まあ、受動態との対立があったとしても、それは「英語の自他の対立」の中心部分ではないこと、上で述べたとおりです。
そして、その対立は日本語でもまったく同様にあるということ。動詞が自他同形でなく、形態的に対立した形を持っているという点では、日本語のほうが自他の対立がはっきりしているのですね。

     A frighten B       (A-ga B-wo おどろかす)
     B be frightened by/at A  (B-ga おどろく)

英語では、対応する自動詞構文がないために、受動態の形から変化した、S+V+Cのいわば「疑似自動詞構文」になっています。(英語学/言語学で、このあたりのことをどう説明しているか、不勉強で知りません。ご存じの方はご教示ください)

英語の自他の構文は、このように対応が不規則な形になっています。日本語のほうが自他の構文がはっきり対応しています。

日本語の自他の区別は不要という山田孝雄の論、山田が大した文法学者であることはわざわざ言うまでもないことですが、構文論が発達した現在の日本語文法の議論から見れば、構文論の萌芽という段階の議論に過ぎません。①も②も③も、もうくり返し議論されてきたことです。今、これらをもって自他不要論を主張するのはあまりに時代錯誤です。
特に①は、だから?というところです。形態的な「一定の規則」がないから、自他は不要? なんのこっちゃ、です。③は、受身の研究が進んで、三上章の「はた迷惑の受身」の論、所動詞の論などがあります。そこを知っていて、なお議論しようと言うのか。

その後の、「これは、たとえば次のような例を見れば明らかです。」というあたりは、まったくシロウトの文法談義によくあるパターンです。
「自他を意識し使い分けている訳ではありません」なんて、当たり前じゃありませんか。誰が「自他を意識し使い分け」たりするもんですか。
我々の言語活動は、文法など意識せず、無意識に文を組み立てているのですよ。英語でも同じです。

無意識に話す中で、「火をつける」「火がついた」「容疑者が捕まった」「警官が(容疑者を)逮捕した」と、正確に、動詞の自他を選択し、それがとる名詞の格を決定し、的確に格助詞を使い分ける。
まさにこの例は、日本語の自他の対立が、自然な会話の流れにとって重要で、ごく日常的に使われるものであり、日本語話者がそれを見事に使いこなしている、という例じゃありませんか。

「これらは、何ら自他を意識したものではありません」
何度でも言います。当たり前じゃありませんか。言語の構造・体系と、それを内在している話者の言語活動との関係が、まったくわかっていないのですね。シロウトの浅はかさ。

それから、「この大胆な省略は膠着語である日本語の特徴です。」と書いていますが、膠着語でない言語、例えば中国語や、インドネシア語、あるいはタイ語などでの「省略」について、なにかご存じですか?

みんな、大胆に省略しますよ。「主語、動作主体さえ表現されません。」などはごくふつうです。
英語は、語形変化がすり切れてしまい、名詞の格表示が代名詞以外では失われ、語順の重要性ばかりが際だってしまったために、文法の仕組みがかなり特殊になっている言語です。「省略」がしにくくなっているのでしょうか。
それを基準に、日本語は特別な言語だ、というのは愚かです。

別の質問者の、「冠詞」のところでも変なことを書いていたようですが、ラテン語はご存じですか?
ラテン語もかなり省略するんじゃありませんか? 動詞の人称語尾がしっかりしているから、主語を省略してもわかるんですね。
cogito, ergo sum. でしょう?(この段落、あまり知らないことを書いています。間違っていたら失礼。)

「日本語の特徴」を語る人は、ほとんど、英語との比較、よくてドイツ語・フランス語あたりまで。
アジアの言語の特徴などは考えたことがないようです。
膠着語、と言うけれど、日本語以外の膠着語について何か知っていますか?

時枝についてもいろいろ思うところはありますが、とりあえず、実質的な議論はこんなところでしょうか。

もう少し、実質的な議論をしていただけますか?

saburoo
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございます。
 コメントを読めば読むほど、不勉強であることを痛感いたします。

 某所で教えてもらった『日本語学大辞典』の記述も含め、もう少し迷ってみたいと思います。
【「恐れる」は自動詞? 他動詞? goo 辞書〈3〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12599212002.html

 相変わらず意味不明のコメントが不快ですが、また機会がございましたらよろしくお願いいたします。

お礼日時:2020/05/24 17:47

No.10 の回答にどうにも看過できないいつもの種々の誤りがあるように思われますので、コメントしておきます。



毎度ながら、問題の焦点をぼかし、権威あると信仰している他者の言説を披露して本質を煙に巻き、何の結論もない、味噌糞の議論がなされています。

>>No.9の回答にどうにも看過できない誤りがある

具体的に何が「どうにも看過できない誤り」なのか?でしょうか。

>>これだけの話から「受動/能動の変換が定形化している屈折語の英語では自他の区分が重要である」ということを導くのは、まったくトンチンカンです。「屈折語」であることは関係ありませんし、日本語が「膠着語」であることも関係ありません。

でしょうか。残念ながら回答者の回答自体が「受動/能動の変換が定形化している屈折語の英語では自他の区分が重要である」ということを明証しています。

安井稔は英語学者・言語学者として著名な人ですが、生成文法の研究者で膠着語である日本語の動詞の自他と屈折語である英語の動詞の自他を比較し論じているのではありません。当方が引用した行方昭夫は英文学の先行で日本語への翻訳を論じ双方の文法の相違に細心の注意を払っており、今回の動詞の自他について考察するには質問者の問題提起とも関連した適切なエピソードであるということです。

そして、回答者が引用しているように、

英語では、自他同形の動詞が多く、他動詞用法の目的語の位置に来る名詞が、自動詞用法の主語に立つという、上記の文型が基本です。
この際、他動詞のあとのBは「目的格」の形をとり、自動詞の主語であるBは、主格の形をとります。/

さらに、「The door opened by John」と動作主が前置詞 by で示され、受身への変換が定形化しています。「frightened」も、

子供はお面をかぶった男たちを怖がった
The child was frightened [scared] by the masked men.
(プログレッシブ和英中辞典(第3版)の解説)

と同様です。回答者の引用者による、

前置詞は by でない。したがって、受動態とは言えないのです。理路整然。

は何ら理路整然ではありません。先の行方の引用は、前半に[bore]の例が示され、その点は
<「退屈」を英語で表現する形容詞 boring と bored の使い分け方>
https://eikaiwa.weblio.jp/column/phrases/natural …

を引用しておきましたが、そこでも、

何もすることがない、暇を持て余している、手持ちぶさた、という状況は、I’m bored. と表現できます。つまり、bore は受け身の形で用います。~
語尾は –ed 型の形容詞表現をとる、と覚えましょう。

と受身形であり形容詞表現をとることを注意しています。

このように、英語の動詞の自他には定形的な受動態変換による文法的な対立がありますが、日本語にはそのようなものはなく、動詞の自他という認識がありません。それゆえ、質問者のような混乱が生まれ、回答者の引用にもあるように自他の区別は不要との見解もあります。

これは既に山田孝雄が『日本文法学概論』(宝文館、1936年)で、「動詞の自他の研究といふのは……文法上殆ど一の規律も立てられず、又何らの必要もなきことの如くに見ゆるに至れり。」と指摘しています。これは、次のような理由からです。

①語彙・形態的に自他が必ずしも一定の規則を伴って対応しないこと。
②助詞の「ヲ」が必ずしも他動詞を定義する標準とはなり得ないこと。
③日本語では、いわゆる自動詞でも受身になること。

これは、たとえば次のような例を見れば明らかです。

部長と課長の会話で、部長が煙草を取り出すと、課長は、ライターを取り出し火を付けます。この時、

「火をお点けしましょうか。」
「部長火が点きました。」

と会話が交わされます。この他動詞「点ける」、自動詞「点く」は自他を意識し使い分けている訳ではありません。単に、意図的であるか、現象を述べるに過ぎないかの相違です。
英語では、「点ける」は他動詞「light」、「点く」は他動詞「catch」で主語は「煙草(cigarette)」目的語が「fire」になります。

犯人逮捕のニューズでも、「容疑者がつかまりました。失踪中のところを警官が発見し逮捕しました。」のように話します。まず、事態を「つかまる」と自動詞で表現し、次に具体的に「逮捕しました」と他動詞になります。これらは、何ら自他を意識したものではありません。

先の煙草の例でも分かる通り、主語、動作主体さえ表現されません。この大胆な省略は膠着語である日本語の特徴です。

このように、日本語と英語では根本的に規範、つまり文法が異なります。
なぜか?、といえば、煙草の例でも明らかな通り、客体的現象としての煙草の着火という現象は、それ自体では自動で「点く」ですが、英語では「catch fire」で他動になります。それは、だれか何かが他動的に「点けた」結果でもあります。このように、一つの事態、現象は多面的な側面を持ち、結果は同時に原因でもあり、原因即結果という矛盾を背負った存在で、どの側面を概念化、規範化するかは相対的な問題でしかないからです。

これを、形式的な見方から単純に、自動/他動という二分で捉えようとするところに根本的な誤りがあります。それをどのように概念化、規範化するかは相対的な問題でしかなく、屈折語の規範である自動詞/他動詞という区分を絶対化するところに根本的な発想の誤りがあります。

回答者はこうした本質的な問題を提起することなく、現在の形式主義/機能主義的な言語観、文法論のパラダイム下の諸説を味噌も糞も一緒くたにし、単に権威筋をあるアルアル宜しく、いつものように並べ立てているに過ぎません。

紹介されている、砂川有里子氏の動詞論は未見ですが、使役や条件文などの著書を読むかぎり何ら本質的な理解が示されておらず、内容のレベルは推察できます。北原保雄の機能主義など問題にならず、「それぞれの立場からの論を凝縮したもの」がどの程度かは以上の論述からも明らかかと思います。

文法について何もわかっていないシロウトがどちらで、偉そうに見下しているのが誰であるかは言わずもがなでしょう。

毎度の権威筋の過去の業績の披歴ではなく、自ら対象と取組まないかぎり進歩はありません。

正しい方法を持たないのに、「事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道」(時枝誠記『国語学への道』)だという警告も、この際思い出してもらいたいものです。

また、

ただ現象的なものの追求からは文法学は生まれてこない。(時枝誠記『日本文法・口語編』)

とも注意しています。■
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この回答へのお礼

>正しい方法を持たないのに、「事実を山ほど集めて、そこから素晴らしい結論が出るだろうなんて期待するのは、学問の邪道」(時枝誠記『国語学への道』)だという警告も、この際思い出してもらいたいものです。
>また、
>ただ現象的なものの追求からは文法学は生まれてこない。(時枝誠記『日本文法・口語編』)

 当方はむずかしい話はわかりませんが、とりあえず↑のような「お念仏」はお控えください。
 読み飽きました。
 しかも、まともな多くの論文や文法辞典は「事実を山ほど集め」ることからはじめているのでは。

お礼日時:2020/05/19 17:43

こんにちは。



No.9の回答にどうにも看過できない誤りがあるように思われますので、コメントしておきます。

行方昭夫は英文学者、翻訳者としては能力のある人なのでしょうが、この文章はトンチンカンです。

  「こわい、こわい!ああ,こわかった。とってもこわい芝居だから,子供は
  連れて行かない方がいい」というのはごく自然な文章だけれど,日本語を
  学んでいる英米人にはこの上もなく不可解である。「こんな非論理的なことが
  まかり通っている言語は,私にはもう無理だ!」と嘆いてさじを投げた英米人
  の日本語学習者を私は知っている。

自分が他の学習者に比べて遅れているのを感じた学習者にありうる反応の一つかと思われます。つまり、本人の頭の固さを自己弁護する言い訳のため、自分の理解不能個所をその言語の「非論理的なこと」と非難するのです。私も英米人をいくらか教えていましたが、幸いにこのような反応はまれでした。
私が教えた英米人日本語学習者(フランス人、ドイツ人でもいいのですが)、「こわい」についての上記のことで「こんな非論理的なこと!」などという人がいるという話を、もししたら、「それはそいつの頭が非論理的なだけだろう」という反応が返ってくるでしょう。

英語に「こわい」にちょうど当たる形容詞がなく、「こわがる」もなく、「こわがらせる」に当たる動詞がある、というだけの話です。それでしかたなく、その過去分詞形が形容詞として使われているのです。

例えば、sad story を見て、I am sad. という場合と比べてみればわかることでしょう。
もし、sad という形容詞がなく、「かなしませる」'sadden'(?)という動詞しかなければ、'saddening story' (悲しませる話)を見て、'I am saddened'(私は悲しませられた=私は悲しい)と言うことになるのでしょう。

  それが、両者ともに日本語では「こわい」一つで表現するのだ,と聞いて驚くのも
  無理はない。

と書いている行方は、本当に「無理はない」と思っているのでしょうか。

ここのところ、前後を読まないと行方がどう思っているのかはっきりしませんが、単に日英語の表現の違いを述べたいだけなら、あまりうまい話の持って行き方とは思えません。

さらに、これだけの話から「受動/能動の変換が定形化している屈折語の英語では自他の区分が重要である」ということを導くのは、まったくトンチンカンです。「屈折語」であることは関係ありませんし、日本語が「膠着語」であることも関係ありません。

動詞の自他という文法の話をするのに、英文学者のエッセイのような文章を引用するのは筋が悪いと言うべきでしょう。
しっかりした英文法の本を持ってくるべきです。

安井稔『改訂版 英文法総覧』(1996)開拓社 「自動詞と他動詞」
(前略)
  (1) John opened the door. [他動詞用法]
     <ジョンはそのドアを開けた。>
  (2) The door opened. [自動詞用法]
     <ドアが開いた。>
これらの場合、自動詞文の主語は、首尾一貫して他動詞構文の目的語である。このような規則的な関係が自動詞構文と他動詞構文との間にみられる動詞の数はきわめて多く、600語を超えている。これが、英語における最も基本的な文型であるとする学者もいるくらいである。なお、(1)、(2)のような特徴を示す一群の動詞を能格動詞(ergative verb)と呼ぶことがある。 p.164 


安井稔は英語学者・言語学者として著名な人ですが、高校英語の文法教科書の編集に加わり、その教師用参考書を他の編集者たちと共に執筆し、それにまた言語学的な観点からの解説を加えて、上記の本を出版しました。高校の英文法の一通りの解説と、言語学的な観点の両方が一冊で読める、興味深い本です。

他動詞と自動詞の対立の基本は、上記の例文の型の違いです。英語でも、そして日本語でも。
  A Vt B     (A-ga B-wo Vt)
  B Vi       (B-ga Vi)

英語では、自他同形の動詞が多く、他動詞用法の目的語の位置に来る名詞が、自動詞用法の主語に立つという、上記の文型が基本です。
この際、他動詞のあとのBは「目的格」の形をとり、自動詞の主語であるBは、主格の形をとります。

日本語では、動詞と目的語の語順の違いを別にすれば、他動詞の目的語が「を格」となり、自動詞の主語の位置では「が格」となります。(もちろん、主題の「は」の話は別。)
そして、日本語では二つの動詞が語根が共通の、別の活用を持った対の動詞になることが非常に多いという特徴があります。(あける・あく)

日本語で自他の対立と言うときに問題になるのは、これらの「有対動詞」の場合です。自動詞と他動詞が対をなさないものは、(残念ながら)あまり顧みられません。(「恐れる」も無対です。)

日本語の自他の対立の分類表としては、小柳昇の力作を紹介しておきます。すごいものです。
http://nihon5ch.net/contents/ch5/daigakuin/gengo …

日英語の自他動詞の研究としては、次の本があります。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E8%8B%B1%E8%A …

ということで、英語では自他の対立が問題になるが、日本語ではそうでもない、と考えるのは単なる不勉強です。自他の構文の対立のしかたの違いが興味深い問題になるのです。

もちろん、他の言語の自他の対立もそれぞれ個性があるでしょうから、世界の言語の自動詞・他動詞、というよりは、前にも書いたように transitibity のあり方の研究が非常に興味深い、大きな問題になるのです。 


もう一つ、frigeten のような動詞について安井稔が触れているところを引用しておきます。

(前略)
 interest<興味を持たせる>、amuse<おもしろがらせる>、disappoint<失望させる>、astonish<驚かせる>、frighten<驚かせる>、horrify<こわがらせる>のような、典型的に人を目的語としてとる他動詞の場合は、-ingや-edをつけると形容詞が得られる。 p.165

「I am frightened. 」というのは受動態ではありません。この frightened は形容詞です。英和辞典でも英英辞典でもそう書いてあります。なぜそう考えるのかも安井稔は解説しています。amuse を例にして、  

   He was very amused at ~ 
   He seemed amused at ~ 

very で修飾でき、seem の後に使うことができ、前置詞は by でない。したがって、受動態とは言えないのです。理路整然。

やはり引用するなら、きちんとした議論を引用しましょう。専門外の人の軽いエッセイ調の文章ではなく。

前に引用した国語辞典の「文法解説」も、それぞれの立場からの論を凝縮したものになっています。岩波の水谷静夫、明鏡の北原保雄(編集者に矢澤真人と砂川有里子が入っています。どちらも著名な文法研究者です。)、学研の金田一春彦(あの「解説」は別の人が書いていると思われますが、しっかりした内容です。)など、優れた研究者たちが関与しています。
文法について何もわかっていないシロウトの人が偉そうに見下せるものではありません。

saburoo
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(No.1, No.5 の続きです。



相変わらず、いつもの味噌も糞も一緒にした諸説の紹介が回答という勘違いが展開されていますが、「(膠着語がどうの、という話ではありません。)」と寝惚けたコメントがありますので、丁度良い事例を紹介しておきましょう。

正に、質問者の「恐れる」と同じ「こわい」「こわがらせる」について述べられています。
行方昭夫『英語の心を読む』の「第一部 7 退屈するのか、させるのか」の一節です。最初に、「退屈するのか、させるのか」について述べられていますが、この点は、下記を参照下さい。

<「退屈」を英語で表現する形容詞 boring と bored の使い分け方>
https://eikaiwa.weblio.jp/column/phrases/natural …

そして、「こわい」「こわがらせる」について以下のように論じられています。「当方には何がなんだかわかりません。」というのは、ここに紹介されている「さじを投げた英米人」のレベルの発想で、他の回答者も同類ということになります。

なぜ、そうなるかを明らかにしなければなりませんが、他者の見解や、どこかの辞書を引用するしかないご仁では如何ともしがたいことになります。まずは、引用します。

日本語では「うっとりさせる話」といってもよいけれれど,むしろ「うっとりする話」の方が普通である。「興味を持たせるような実例」より「興味を持てる実例」の方が普通である。日本人にとっては,芝居を見に来た人が,「こわい、こわい!ああ,こわかった。とってもこわい芝居だから,子供は連れて行かない方がいい」というのはごく自然な文章だけれど,日本語を学んでいる英米人にはこの上もなく不可解である。「こんな非論理的なことがまかり通っている言語は,私にはもう無理だ!」と嘆いてさじを投げた英米人の日本語学習者を私は知っている。英語には「こわがらせる」という他動詞 frighten はあるけれど,「こわい」というのは、芝居がこわいというのなら,The drama is frightening. であり,見物人がこわいというのは、I am frightened . と言わなくてはならない。後者は直訳すれば、「(芝居によって)こわがらせられる」ということになる。英米人にとって frightening というのと(be)frightened というのは反対の意味である。それが、両者ともに日本語では「こわい」一つで表現するのだ,と聞いて驚くのも無理はない。
(行方昭夫『英語の心を読む』54~55p/ちくま学芸文庫:1996.6.10 )/

先に回答の通り、(膠着語がどうの、という話ではありません。)ではなく、受動/能動の変換が定形化している屈折語の英語では自他の区分が重要であることが理解いただけることと思います。

それとて自他同形の動詞があることからも相対的な問題で程度の問題ではありますが、認識の問題、矛盾の問題、相対的な独立という弁証法的な発想なしには問題の廻りをうろつき廻るしかないのは明らかでは。

引用するのであれば、せめて核心に触れる引用を心掛けたいものです。(持戒を込めて。)

では、また。■
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この回答へのお礼

ご自愛ください。
 今度は〝持戒〟?

お礼日時:2020/05/11 21:32

(No. 6の続きです。



  4 自他の区別の意義 再考
   学校文法で自他を教えるのは何のためか。また、国語辞典が自他の区別を示すのはなぜか。
   日本語の動詞の中に、大まかではあってもそのような意味的・構文的・形態的な特徴があり、言語
   の体系性の一端を示せるということ。また、それは英語や他の言語とも共通する考え方であるとい
   うこと、すなわち世界の言語間の共通性(と相違)を意識させることにもつながる。
   しかし、学校教育の欠点である「試験の重要性」がからむと、問題が生じる。正答・誤答の明確な
   線引きは難しく、試験問題は作りにくい。(生徒が使う国語辞典によって違う!)
   「現代例解国語辞典」「例解新国語辞典」は自他を表記しない。これらの辞典はその辞典名の通り
   用例を多く示すことを重視している。ある動詞を自動詞としようが、他動詞としようが、大切なの
   は多くの用例でその動詞の使い方を示すことである。[他]という記号は、「~を」の名詞をとる、
   ということを示すにすぎないと考えれば、必要のないものである。
   言語学にとっては、自他を厳密に定義することに大した意味はない。世界の言語で、そのような区
   別が理論的にできるかどうかは怪しく、あくまでも「傾向」があるにすぎない。典型的に「他動詞
   的」であるものと、「自動詞的」であるものは分けられる。しかしその間には様々な段階、グレー
   ゾーンが広がる。どういうものを「他動詞」とするかは個々の言語内の文法体系の問題である。
   そこでとられるのは「他動詞性 Transitivity」という考え方である。それぞれの言語において、他
   動詞性はどのように表されるか、それを分析する。世界の言語をそのような観点から比較して、そ
   れぞれの個性を明らかにしていく。(ここ、まったく不勉強なので以下省略。)

もう少し続けたかったのですが、ここで息切れ。
上の、「4」のところの内容はかなり怪しいですが、思ったことを書いておきました。

「自動詞」「他動詞」に関して国語辞典を調べる場合は、本文内の各項目を見るだけでなく、「文法解説」
があるものを探して、その解説でどういっているかを見るのがよいと思います。
私が見た中では、「文法解説」(その表題は何であれ)をしっかり書いているのは、No.6で引用した
「岩波国語辞典」「学研新国語辞典」「明鏡国語辞典」でした。「広辞苑」は、昔の版はおざなりなこと
しか書いてなかったのですが、最近のは解説が充実してきたようです。今は図書館で見ることができず、
一番新しい版で自他についてどう書いているかは調べられませんでした。


制限字数までまだたくさんあるので、以下はちょっと雑談気味に。

前回の投稿No.3であげた本から、松下大三郎の論文の最初を引用します。

日本語研究資料集 第1期第8巻 動詞の自他 (1995) ひつじ書房
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A

松下大三郎「動詞の自他被使動の研究」(1923-24)から
 総説
 動詞の自他動に関し我が国現時の学者の意見は三派に分かれている。
 一は実質派、二は外形派、三は懐疑派である。一の実質派は意義の実質に由って自他動を区別しようとするもので例えば「人が酒を飲む」の「飲む」の様なものは他物を処置するのであるから他動だが「鳥が空を飛ぶ」「人が道を行く」の「飛ぶ」「行く」の様なのは「空」や「道」を処置しないから他動ではないと云う様な類である。
 二の外形派は意義の実質に拘らず、文字に表れた外形に由って自他動を弁ずるもので、例えば「空を飛ぶ」の「飛ぶ」も「何々を」という客語を受けて居るから、意義の実質はどうでも、動詞は「酒を飲む」の「飲む」と同様他動であると論ずる。
 三の懐疑派は新しい学者に多い。これは自他動の区別を疑うもので動詞に自動他動などという厳正な区別はないというのである。元来自他動などということは人間が便宜上勝手に設けた区別であってだいたいはそれで分けられるが凡べての動詞を分けることは出来ない。中には自動とも他動とも附かない様なものも出て来る。英語などでも自他動の別の分らないのがあるが、殊に日本語には其れが沢山有る。其れを強いて自他動の二つに分けようとするのは愚なことである。「空を飛ぶ」の「飛ぶ」などは自他動を以て律すべきでない。自他動などというもとは余り問題にしないが善いというのである。
 此の三種の見解は何れが正しいであろうか。余は此の三種以外に一派を立てようと思う。三派とも欠点があると思う。(以下略:かなづかいは現代仮名遣いに直した)
          須賀・早津編『動詞の自他』(1995)ひつじ書房 p.13 より引用
 
1923年と言えば、ほぼ100年前です。このころからこうだったんですね。今でもあんまり状況は変わらないようです。(もちろん、それぞれの論は詳しくなっているとは思いますが。)
それにしても、最後の「余は」っていうのは、なかなかいいですね。


もう一つ、さらにさかのぼって、本居春庭。かの有名な本居宣長の息子です。

本居春庭「詞の自他の事」(『詞の通路』より) (1828)
 表の一部を省略して引用 (活用の型の欄は省略)

おのつから然る  物を然する 他に然する 他に然さする  おのつから  他に然せらるる
みつから然する                      然せらるる

 おどろく     おとろかす              おとろかるる おとろかさるる
 しりぞく     しりそくる       しりそかする しりそかるる しりそけらるる
          きる    きする   きせさする   きらるる
 きこゆる     きく    きかする  きこえさする  きかるる    きかるる
 たつ       たつる         たてさする   たてらるる
            

このような調子で、50ほどの動詞の大きな表を作っています。
これは、自他の対応だけでなく、使役・自発・受身などの態(Voice)を含めた、動詞の形の総合的な
一覧を目指しているようです。
こんなことを200年近く前に考えていた人がいるんですね。

寺村秀夫は、『日本語の意味とシンタクス第1巻』(1982)で、動詞の自他を「語彙的態」として受身や
使役とともに扱い、最後に全体をまとめた図を掲げています。その前のページには本居春庭の分類との
対照表まで作っていて、大きく影響されていることがわかります。

こういう人たちの仕事を見ていると、私なんぞの出る幕ではないのだな、と思わされます。

saburoo
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こんにちは。



問題を整理しましょう。
 1 国語辞典で「恐れる」の自他表示が揺れている。
   こんな動詞はほかにあるか。
    → たくさんある。
   (「奇怪な動詞」がたくさんあるわけではなく、国語辞典の編集者がよくない。)
 2 他動詞の定義はどう考えればよいか。
   「他動詞の定義」は現在はっきり決まったものがあるのか。
 → ない。それぞれの論者による「定義」があるだけである。

学説の対立というものは、どんな学問分野でもあるものでしょうが、学校文法で教え、国語辞典で自他の表記がなされている現状で、その定義がはっきり定まらないというのは問題です。

「自他」を示すことにどういう意味があるのかを考えなおすところから始めなければなりません。

ちょっと考えてみたので書いてみます。
      
 3 では、そもそも日本語で自動詞と他動詞を分ける意義はあるのか。(これが問題)
    → ある。日本語の動詞の大きな分類として有意義である。動詞の自他は、意味的・構文論的・
      形態論的な対立を(それぞれ程度の差はあれ)反映していると言える。

  3a 意味的対立
   岩波国語辞典第八版「語類解説」より(p.1703)
      動詞は自動詞と他動詞とに分けられるが、国語の場合この区別は文法的なものというより
      意味上のものである。他動詞は動作・作用が他に影響を及ぼす意を積極的に表した動詞、
      自動詞はそういう意を積極的には表していない動詞である。
    ▽これには、反論、例外を指摘することが容易であること、周知の通り。

  3b 構文論的対立
   A 「を」の問題 岩波国語辞典第八版「語類解説」より(p.1703)
      他動詞は助詞「を」のついた文節によって修飾され得るが、逆にそういう連用修飾語を
      伴えば必ず他動詞かというと、そうとは限らない。「山を越える」「空を飛ぶ」「席を立つ」
      などの「越える」「飛ぶ」「たつ」は皆、自動詞である。これらの動作の影響が他に全く
      及んでいないわけではないが、表現の重点がそこになく、この助詞「を」は動作の基準点
      ・通過点を示すものであるから、これらは自動詞ということになる。「山を越える」と
      「山を越す」を比べてみるとよい。「越す」は他動詞である。
     岩波国語辞典第八版「越す」の項より
      越す 1手前から向こうに移るために、その上を過ぎて動きを進める。「山を-」(略)
         ▽「越える」と互換的でも、「越す」はその動作や作用をもたらす意。「を」が動的
         目標の格助詞。
    ▽岩波国語辞典は「越す」を他動詞とするが、他の多くの国語辞典は「越す」を自動詞とする。
     岩波は「ヲ格」をとる、という構文的特徴に対して否定的。自他の区別はあくまで「意味上の
     もの」と考えるようだ。なお、執筆者はおそらく水谷静夫。

   B 対象の「を」
     学研現代新国語辞典 第六版「現代日本語の文法」より(p.1579)
      自動詞・他動詞
        ア 水が流れる。授業が終わる。
        イ 水を流す。 授業を終える。
       右のアの「流れる」「終わる」は、<対象>を表す目的語を必要とせず、それ自身の働き
       として、充足した意味を表すことのできる動詞であり、イの「流す」「終える」は、ある
       事物(水・授業)に及んで、それに対する働きかけを表す動詞である。その場合、その
       事物に「を」を添えて表す。アの類の動詞を自動詞、イの類の動詞を他動詞といい、対応
       に応じて意味も異なる。
       「を」を受ける動詞がすべて他動詞かというとそうではなく、「家を出る」「零度を割る」
       「道を歩く」のように、離脱点や基準点や移動の場所などを表す「~を」の下にくる動詞
       は自動詞である。この「を」は<対象>を表してはいない(本文「を」を参照)。
    ▽自動詞は「目的語を必要としない」ものであること。逆に言えば、他動詞は「目的語を必要と
     する」ものであること。「働きかけが及ぶ」かどうかでなく、意味的に必要とするかどうか。
       鈴木は田中(という男)を知らなかった。
     「知らない」のだから、「鈴木」から「田中」に対する「働きかけ」も何もありようがないの
     だが、「知る(知らない)」ということを言うためには、その「対象/目的語」を「言語表現
     として」必要とする。そういう動詞を「他動詞」とする。
     もちろん、「歩く」ためにも、何らかの「場所」が物理的に必要だが、「言語表現として」は
     必要でない。
       彼らは一晩中歩いた。
     したがって、この「歩く」は自動詞とする。
     (しかし、この議論のしかたで行くと、「家を出る」「零度を割る」は他動詞となる。)

   C 他の構文との関係
     学研現代新国語辞典 第六版「現代日本語の文法」より(p.1579)
      自動詞・他動詞は、「結果が残っている」ことを言い表すときの違いによって区別すること
      もできる。「戸が開いている」「戸が開けてある」のように、「ている」のついたものが自動
      詞、「てある」のついたものが他動詞であるが、この方法はすべての動詞に適用できないと
      いう弱点がある。
      また、「犬が人をかむ→人が犬にかまれる」のように、直接的な受け身を作るかどうかも
      自他動詞の弁別のために使われるが、「犬が人にかみつく」のように「~に」をとるものも
      直接的な受け身を作ったり(人が犬にかみつかれる)、「私は右手を骨折した」などでは純
      然たる他動詞でありながら受け身を作らなかったりするので、これも自他動詞弁別の有効な
      手段とはならない。あくまで、<対象>の「を」をとるかどうかで他動詞と自動詞の区別が
      つけられることに注意したい。
    ▽受身・「てある」構文も自他に関わるが、弁別の基準とはしがたい。関連する構文、である。
     学研はこのあたりのことを丁寧に書いていてよい。

  3c 形態論的対立
     明鏡国語辞典 第二版「品詞解説」(p.1887)より
      自動詞・他動詞は、以下のように区別する。
      (ア) 「割れる/割る」のように、形態的な対と「~が/~を」の格の対応があるものは、
       「~が」を取るものを自動詞、「~を」を取るものを他動詞とする。「夜を明かす」のよ
       うに、「~を」への働きかけは希薄でも、「夜が明ける」のような対を持つものは、他動
       詞とする。
      (イ) 対を持たないが、「~を」を取る動詞のうち、「ご飯を食べる」「石を蹴る」のように
       意味的に「~を」への働きかけの強いものは、他動詞とする。
      (ウ) 「道を歩く」や「幸福な人生を送る」など、移動や時間の経過を表す動詞で、対もな
       く、「~を」への働きかけも認めにくいのは、自動詞とする。
      (エ) 「人にかみつく」のように、対象への働きかけはあるが、「~を」にはならないもの
       も、自動詞とする。
      (オ) 「ダンスを踊る」「マラソンを走る」のように、対がなく、しかも動詞と意味的に近接
       した名詞(いわゆる「同族目的語」)だけが「~を」で現れるものは、項目の品詞表示で
       は自動詞とするが、[語法]で他動詞としての用法があることを注記する。
    ▽形態的な対を重視するという、珍しい論。「同族目的語」などということまで書いている。
     なお、「越す/越える」はどちらも「を」をとるので、どちらも自動詞としている。

 (字数制限を超えたので、続きはNo. 7に。)

saburoo
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この回答へのお礼

なんと申しましょうか。
 やはり「自他」の問題は、素人が興味をもつことすら間違いの気がしてきました。

 辞書の記述にここまで違いがあるのは驚きでした。
「自他」の問題は、他の外国語との比較を考慮しなくても、日本語の問題を考えるときに重要なものだと思います。かなり昔から(本居春庭!!)話題になっていてこの状態ですか。
 
 はっきりした結論が出ないにしても、せめて学校文法レベルでは一応の結論が出て辞書がそれに従っていないと、学校の授業で「自他」の問題を扱うことができないような。
 思えば数年前までは「〜を」をとるのが他動詞、と考えていました。
 一般的な感覚はそんなものではないかと。
 強力な例外に、「移動を表わす動詞」があり、可能動詞関係があり……そのうえにこの食い違いの山(泣)。

 前問をはじめ、妙な断定をしている説はいろいろ目にしますが、相当無茶なことがわかってきました。

お礼日時:2020/05/10 15:04

お礼のコメントを有難うございます。


日本語の自他は既に回答の通り、語の本質的な区分ではなく、相対的な問題だということです。

この点をもう少し事実に即し説明させていただきます。
その前に、いただいたコメントに先ず若干応えさせていただきます。

>>2)擬態的な説明―の両方が必要だと思います。

これは具体的の誤りかと愚考致します。その点は後ほど。

>>論理はいつも同じことを繰り返すばかりで、何も伝わってきません。

これは、伝わってこないのではなく理解する論理を持たないために理解のしようがないということです。何度も繰り返すように、言語は対象→認識→表現という過程的な構造を持ち、言語規範を媒介とした立体的な表現であるということです。

これは、文字、文が感性的な形、つまり物理的な形式として示されていると同時に、超感性的な概念や文規範を媒介とした話者の認識を表現し意味を表わしているということです。つまり、文、文章は感性的であると同時に超感性的でもあるということです。この点は否定できない事実だと考えますがいかがでしょうか。

この、ある物であると同時に他のものでもあるという対象は矛盾を背負っているということで、この矛盾の立体的な構造、論理を解明することなく、無矛盾な形式論理により解釈できると考えているところに本質的な限界、誤りがあります。『弁証法は言語の謎を解く』というのが、三浦―時枝が指摘しているところです。

この限界に気付くことなく、単なる現象論、機能論による解釈、質問を飽きることなく繰り返している典型が質問者であり、No.3の回答者です。

No.3の回答の場合、動詞の自他を論じているのにも関わらず、その定義すら示すことなく他者の引用に終止し、「私も、ほんの少し、責任を感じます。」などと白々しいコメントを寄せながら、反省の結果は全く示されていません。そして、「研究者がはっきりした説を出して、学問的議論をし、ある程度の見解をまとめないのがよくない」と全く他人ごとです。

これでは、全く回答になっていません。
「多少勉強になりました。」というのは関連文献を探してみたというだけです。

質問者も当然、毎回まともな回答や前進の足掛かりなど得られる訳がなく問題の廻りを空回りするだけです。

これまでの質問も何ら本質的な進歩もなく、適確な問題提起にも至っていないのが理解できますか?

まず、当方の指摘、回答をよく噛み締めて下さい。

>その動作・作用が他に影響しないのが<自動詞>で、他に影響するのが<他動詞>ですが、これは物理的な作用を基準としたもので相対的な区分に過ぎません。
 だからなんなのでしょう、以下いろいろ書かれていても何をおっしゃりたいのか、サッパリわかりません。

上記に指摘の通りで、話者の認識という過程的構造を捉えることができないために、客体としての世界と表現を直結して理解するしかないため「サッパリわかりません。」ということになります。「恐れる」というのは客体界そのものの動作ではなく、話者の主観を客体化し捉え概念化したものです。したがって、物理的な因果関係ではなく、心的な内容の概念化です。そして、話者は自分の主観を観念的に自己分裂し対象と対峙しなければ理解することはできません。

このような心的世界の概念化は物理的な因果関係とは相対的に独立な事象であることを先ず理解する必要があります。

No.3の回答者は、「膠着語がどうの、という話ではありません。」と根拠もなく短絡的に当方の回答を否定していますが、屈折語である英語の規範と膠着語である日本語の規範がどのように異なるかの理解なしに判断できるものではありません。そもそも規範の理解もなしに、単に客体の在り方から自他の問題を展開できるという発想自体がナンセンスです。

>話者自身としては「お化けを恐れ」自動詞となりますが、他からみれば「お化けを恐れて」いることになり他動詞ということになります。― 意味不明です。

当然、そうなるしかないのはこれまでの記述から明らかと思います。

>>「川を渡る」「橋を渡る」なども、「渡る」のは自己の運動で自動詞になりますが、他から見れば川、橋との相対的な運動で他動ということになり、格助詞「を」を使用することからも他動詞ということになりますが、学校文法では自動詞に分類しています。
 それはかなり有名な話ですよね。わざわざ書く意味は?

つまり、話者による対象の捉え方の相違を無視し客体世界の物理的な在り方だけから自他を定義することはできないということで、ここに自他の区分の相対的な事実がすでに明らかであるということです。

では、日本語の自他の区別が如何に相対的かを具体的に明らかにしなければなりませんが、夜も更けてきましたので、この点は別途。

コロナのせいで大学の図書館他も休館しており不自由しております。■
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この回答へのお礼

>>論理はいつも同じことを繰り返すばかりで、何も伝わってきません。

>これは、伝わってこないのではなく理解する論理を持たないために理解のしようがないということです。
 いくら繰り返しても水掛け論でしょうね。
「補足」をご確認ください。「理解」も「納得」も「共感」もできない人の一例です。
 どちらの感覚がフツーかお考えください。

>質問を飽きることなく繰り返している典型が質問者であり、No.3の回答者です
 まともなコメントに、デタラメな論理でインネンをつけるのはやめてください。
 ムダで迷惑なだけではなく、無礼ですし、不快です。

>では、日本語の自他の区別が如何に相対的かを具体的に明らかにしなければなりませんが、夜も更けてきましたので、この点は別途。
 繰り返しますね。
 アスナロウさんのコメントは、論理(しかも本質?)ばかりで具体性に欠けているようです。しかも論理はいつも同じことを繰り返すばかりで、何も伝わってきません。
 これで何を理解しろと言うのでしょうか。

 どうせ「具体的」な話も、誰も理解できない内容なんですよね。
 ヨソでお願いします。

お礼日時:2020/05/06 21:38

えー、お気づきとは思いますが、ひどい誤変換がありました。



  多動性 → 他動性

です。失礼しました。

saburoo
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こんにちは。



「こんな奇怪な動詞」という表現の意図がわかりません。「恐れる」を指しているのでしょうか。

国語辞典の「自他」の指定が辞典によっていろいろ違うことは以前から指摘されてきたことだと思います。(つまり、かなりいい加減だということ。)

(そのことと、日本語の中で「自他の対立」がどういう体系的意味を持つかという問題の大きさとは別の問題です。)

国語辞典の自他の表記については以前少し調べたことがあります。それに多少書き加えたものを下に。

       新明解  明鏡  三国  岩波  学研  小学日  集英社  旺文社
 焦る     自   自他  自   自   自他   自    自    自
 恐れる     他   他  自他  自    他   自他   自     他
 怖がる    自    他  なし  自    他    他    他   自
 喜ぶ     自    他  自    他   他   自他   自    自他
 嘆く      他   他  自他  自他   他   自他   自他    他
 誇る      他   他  自他  自    他   自     他    他
 忍ぶ     自他  自他  自他   他  自他   自他   自他   自他
 向く     自   自他  自他  自   自他   自    自    自
 頼る     自他 (自)他  自他   他  自他   自他    他   自
 働き掛ける   他  自   自   自   自     他   自    自
 話しかける  自    他  自   自   自     他   自    自
 持ち寄る   自    他   他   他   他    他    他    他
 持ち越す    他  自    他   他   他    他    他    他 
 割る      他  自他  自他  自他  自他    他    他    他 

まあ、こんなもんです。辞書によってけっこうバラバラ。

辞書の編集者の不勉強と言うべきか、研究者がはっきりした説を出して、学問的議論をし、ある程度の見解をまとめないのがよくないというべきか、そこをどう考えるかは立場によって意見の分かれるところでしょう。(私は両方とも言えると思います。私も、ほんの少し、責任を感じます。)

言語学において、動詞の「多動性 Transitivity」というのは非常に重要な問題ですし、日本語も大いにそれにかかわっています。(膠着語がどうの、という話ではありません。)

日本語の動詞の自他について真面目に考えるには、まずは次の本をじっくり読むのが最低条件でしょう。

  日本語研究資料集 第1期第8巻 動詞の自他 (1995) ひつじ書房
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A …

その書名のごとく、動詞の自他に関する基本的な論文を集め、解説を加えた非常に良い本です。
今はこんなに高くなっているんですか。元値は2500円だった(税抜き)のですが。

この本の内容を良く理解し、巻末の先行研究のリストを見、その中のいくつかを探して読み、さて、それから自分の考えをまとめるという手順が必要です。
それにしても、これはずいぶん前の本なので、このあとに出された研究書・論文を読まなければなりません。

https://bibdb.ninjal.ac.jp/bunken/ja/result?per= …
(ただし、これは網羅的なリストにはまったくなっていないと思います。)

動詞の自他という問題は、「ハとガ」や「テンス・アスペクト」や「受身・使役」などとともに、日本語の文法研究の中で一つの中心的な位置を占める大きな問題です。

とまあ、大げさなことを言ってもしかたがないので、さしあたっては、

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …

この辺を読んでみるのがいいんじゃないでしょうか。12ページの短いものですし。これもまたちょっと古いけど。

著者の森田良行は「基礎日本語辞典」の著者で、言語学的・理論的な観点からの分析はありませんが、地道に、多くの用例から議論を組み立てていくタイプの研究者です。
残念ながら、質問者の取り上げたような、心理動詞に対する自他の認定の揺れ、という問題は扱っていません。

久しぶりに、動詞の自他なんぞという問題を振り返ってみました。多少勉強になりました。

saburoo
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この回答へのお礼

またしても意味不明のインネンが入っているようです。よほど●●なんでしょうね。申し訳ございません。

 類似の例はいろいろあると思っていましたが、こんなにも。ちょっと仕事がたてこんでいるもので、週末に読ませていただきます。
 取り急ぎ御礼まで。

お礼日時:2020/05/06 21:41

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