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ズーフハルマを書写したり、
独学も相当したのだと思うのですが、
師事したのは永井青崖くらいではないのですか。
あ、佐久間象山もいましたが、ずっと習ったわけではないですよね。

長崎をはじめとして、様々な要職に就きましたが、
独学でそこまで幕府に認められますかね。

人物がすごかったのは西郷同様確かでしょうが、
彼は何を認められて重用されたのでしょうか。

わいろを断った話は有名ですが、
それ以前に彼が何をもって認められたのかを知りたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

時代が彼を求めたから。


当時、蘭学の知識が少しでもある人材は貴重でした。
長州の大村益次郎なども、オランダ語の翻訳が出来るという点だけで抜擢されてます。

その少し前、蛮社の獄で蘭学者達が酷い目にあってますが、海舟はその後継者の位置にいます。渡辺崋山や長野長英の支援者達の中に、海舟に注目した人がいたのでしょう。

佐久間象山絡みでは、海舟の妹が嫁ぎ、海舟は佐久間の義理の兄?になります。若干のコネにはなったかもしれません。

独学の方法が、書物を書き写し写本を作るで、その写本はけっこう高値で売れてます。一部を生活費に回しても、かなりの金額が残ったのでは。。それを、、
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この回答へのお礼

人物が傑出しているから、どの道を通っても誰かが注目したでしょうけど、
具体的にはどうやって出世コースに乗ったのかなと。
象山は世に認められ、大砲を作ったりもした人なので(でも失敗しましたが)、
その縁はあったかもしれません。

渋田さんのお金で蘭学塾を作ったのが評判になったのかもしれません。
そうだとしたら、運のいい男でもありますね。

お礼日時:2020/05/04 11:11

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