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文化庁の調査ページですが、60歳以上とそうではない世代での意味のとり方が全く異なっています。
なぜ、ここまで世代に寄って意味が変わったのでしょうか?
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_gep …
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_gep …

A 回答 (5件)

人と人との関わり方が変わってきたこと。


国語的には、反語表現を理解できなくなったこと。

などが原因ではないでしょうか?

農村的共同体意識が強かったかつての日本社会では、同じ地域で何世代も続く地縁血縁集団を基盤の生活が主流でした。

なにか不快なことがあっても「お互い様」でやり過ごし、曖昧さで衝突を回避することが、社会の継続的な安全性を担保する知恵だったと思います。
そういう集団では、他者に無償の善行を施すことは、いずれ自分が困った時に助けてもらえる
という期待を持つことができます。

今、目の前にいる「困っている人A」は、自分の知ってる人ではないけど、Aの親はCで、Cは自分の知り合いDと親しいということがあり得る社会です。

また集団の中で、「知らない人でも困っていたら助ける」という暗黙のルールができていれば、自分が、あるいは自分の子供が誰かに助けてもらうことがありうる、と期待できます。

こういう社会で成長すると、自分が他人にかけた情けが回り回って自分の利益になる、という論理をすんなりと理解できます。
「袖振り合うも他生の縁」と思って、他者を見る心情が自然に育ちます。

この調査は12年位前です。
当時の60歳はおそらく、高度経済成長期に成長し、オイルショック前後に社会に出た世代です。
高度経済成長政策は、日本の伝統的農村型社会を壊して、農村人口を都市に集めて日本を工業国にする政策でした。
日本は農村的人間関係社会から都市型孤立型人間関係社会に変わっていったわけです。

60代以上は地縁血縁関係で結ばれた狭い人間関係社会=農村型共同体で育ち、都市に出て行って結婚し家庭を作った世代でしょう。
都市に住み核家族で暮らしても意識は簡単に代わるものではないので、精神的には農村共同体大家族型のままです。

その後の世代の多くは都市型核家族人間関係の中で成長していったので、分散型孤立型意識になり、社会の中の赤の他人との間の「情けの循環」というイメージは持ちにくい。
さらに、祖父母同居で育つ人も少なくなったので、古めかしい反語表現はなじみが薄い。

そういうわけで、60代以上とそれ以下世代でこうもくっきりと違いが出たのではないかと推量しました。
高度経済成長政策は日本社会を精神面まで含めて大転換させた政策だったのだと思います。

長文になり、失礼しました。
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この回答へのお礼

私もなんとなく人とのつながりが昔よりも希薄なイメージを持っていました。時代背景を考慮した説明ありがとうございます!納得できました。

お礼日時:2020/05/10 19:30

もともと紛らわしい言葉であったのと、このことわざの解釈がたまたま時代に合い、或る世代に支持を得た、ということでしょう。

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誤用する人が各世代にいるだけで、意味は変わってないと思いますけどね…。

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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
グラフご覧になられましたか?60歳以上とそうではない人の違いがあきらかにあるわけです。つまり、ここには何かしら言葉の意味を変えるほどのことがあったと感じ質問致しました。

お礼日時:2020/05/10 19:32

ヤバいと言う言葉も同様に年配と若者では全く使い方が違いますよね?年配の人はまずいけない事と思うはずですが若者は美味いと言う風に使います。


解釈の違いですね。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2020/05/10 19:32

>この言葉を本来とは違う意味で理解してしまうのは,「ためならず」の解釈を誤ってしまうからだと考えられます。


との事です。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2020/05/10 19:32

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