意味は覚えているのですが、
下の句が、みのいたづらになきぞかなしき、という句の
上の句と出典を教えてください。

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A 回答 (3件)

違ってたらすいません,「みのいたづらに…」ですか?


「みのひとつだに…」なら有名な太田道灌の話に出て来るんですが.
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき」という和歌です.
詳しくは参考URLに記述があります.
一応ご参考までに.

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~hidakk/hidakankou_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。探してたのはこれです!
お世話になりました。

お礼日時:2001/08/09 22:26

間違いかもしれませんが少し似ているので。



みのひとつだになきぞかなしき、だとすると江戸城築城の太田道灌にまつわる話が
有名なのですが。
急な雨に降られて、山の一軒家で雨宿りをしたとき雨具を借りようとしたら、そこの娘が山吹の花を一本差し出して悲しそうな顔をしたそうです。
そのときは、わからぬまま帰ったものの、後で山吹の歌があることを知って、道灌が大いに恥じ入り、その後勉学に励んだそうです。(うろ覚えですが・・・)

上の句は「ななえやえ はなはさけども やまぶきの」ですね。
実の一つだに(実の一つさえ)と蓑一つだにが、かけことばだと国語の先生の雑談で習いました。40年ほど前です。

中務卿兼明親王(かねあきらしんのう)( 914~ 987)の作だそうです。
参考URLをどうぞ。

別のURL(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/ …)によれば、歌の出来た由来として大田道灌の逸話と同じ話が載っているそうです。太田道灌の話のほうがよく知られていますが。

参考URL:http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/yamabuki …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
拾遺集のあはれとも~身のいたづらになりぬべきかなと
ごっちゃになってました。
探してたのはこれです。

お礼日時:2001/08/09 22:20

「七重八重 花は咲けども 山吹の」です。


ちなみに、下の句は「みのひとつだに無きぞ悲しき」じゃなかったかな。
兼明親王の歌で 後拾遺和歌集に入っています。
江戸城を造った、大工さん(爆)じゃなくて、太田道灌が狩りの途中、雨にふられて、とある民家で雨具を借りようとしたところ、出てきた娘がこの歌だけよんで、雨具は貸してくれませんでした。訳がわからないまま、帰った太田道灌は家来にどういう意味か尋ねたところ、「山吹に実が一つもない」と「蓑(雨具)一つもありません」(それくらい貧乏)とを掛けてよんだものだと教えられました。その娘、落ちぶれてはいても、学があったんですね。
以後、それを恥じた道灌は、一生懸命勉強したそうな。
めでたしめでたし。ってその娘はどうなったんでしょうね?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
あはれとも~身のいたづらになりぬべきかなと
ごっちゃになってました。
本当にお世話になりました。

お礼日時:2001/08/09 22:24

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出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典を探しています。その問題集の巻末にある主な出典一覧の中では、「村中季衣 デブの四、五日」というのがそれらしいとは思われるものの、そういう本を見つけることができません。もしかすると、これは書名ではなくて、その中の1作品のタイトルかもしれません。まったく別の本である可能性も多いにあります。どなたか、ヒントになる情報をお寄せ頂けると幸甚です。以下に引用文の一部を掲載いたします。

おばさんにつれられて、歩いて歩いて、そして、場所のほとんどわからない犬小屋の前で、わたしはデブと再会した。「さあ、わん公、ねむいだろうが、しっかり食べときな。」デブは、においをかぎつけていたらしく、格子になっている戸のすきまから鼻をつきだして待っていた。

Aベストアンサー

「デブの四、五日」は『小さいベッド』の中の一話です。

小さいベッド 村中李衣 著 かみやしん 絵
偕成社 1984年7月 ISBN 4-03-635210-5

参考URLは国立国会図書館国際子ども図書館の書誌情報です。

※村中李衣(むらなか・りえ)さんですね。
    ̄

参考URL:http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fSS.pl?nShoshiId=30961&nKihonId=30952&sGamen=SI

Q古歌の下の句・・・・

実は古い和歌の文句がわからないのです。

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・・・・だったと思います。

下の句の文句も厳密ではないかも知れませんし、
間違いはないと思いますが作者も違うかも・・・・

ほんとうにいい加減な情報で申し訳ありませんが、

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

rossettiさま

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という証言から手元の本「折々のうた」を探してみました。
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いかならむ明日に心を慰めて昨日も今日もすぐす頃かな 順徳院

『順徳院御集』所収の歌だそうです。この歌だと質問が解決するのでいいなぁと祈っていますね(*^_^*)

Q次の漢文の出典と意味を教えて下さい

先日外出先で次の漢文が書かれた掛け軸を拝見しました。
蘭植中塗 必無經時之翠 
桂生幽壑 終抱彌年之丹

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Aベストアンサー

 自信がないまま、自分なりに調査・考察を進めていたのですが、No.1のmimireさんのお父様がおっしゃる解釈が自分のものとそれなりに一致しましたので、勇を得て現時点での一応のご報告を致したいと思います。

 まず「仏祖統紀」ですが、

http://www.tabiken.com/history/doc/P/P351R100.HTM

に(日本語で)詳しい解説があります。全54巻で、中国の宋代の僧・志磐の撰述。1269年完成。仏教の祖である釈迦牟尼仏より宋代に至る高僧の業績とその足跡を列記したもので、中国の正史の体裁に従い、紀伝体で書かれているそうです。和訳したものが『国訳一切経』に収録されているとのことですので、該当部分をご覧になったらと思います。図書館蔵書を検索してみましたが、田舎住まいの私の近辺の図書館では無理のようです。

 で、該当部分(外国語の方の質問〔923658〕に引用なさっている部分です。)の大意ですが、

 キン(竹冠に均)州の僧である惠洪【「あざな」は覺範】は、宰相であった張商英と節(度?)使であった郭天信(の事件)に連座して崖州(海南島)に流罪となった。靈源清禪師がそれを聞いて、嘆いて言うには、「蘭を中塗に植えると、必ず長年の間の緑色がない。桂(=肉桂や木犀などの仲間)の木は深い谷に生えて、ついには年を経て赤い花をつける。昔の人はこういった。『賢くて深く物事を察してながら、(自ら)死に近づく者は、人のことをあれこれ悪くいうの好む者である。』と。(確かに)覺範(=惠洪)にはそういうところがあった。」と。

というくらいだと思います(自信なし)。惠洪・張商英・郭天信は宋代の互いに親交のあった人物であることは間違いないようです。(中国語のサイトの記述を、分かるところだけ拾い読みしました。よければ、

http://ykyz.net/yuwen/Article_Show.asp?ArticleID=2034

などを参考にしてください。)

 mimireさんが、詩の「前半と後半はまったく逆の意味だそうです」とおっしゃるのは、蘭をいいかげんな植え方をすると、本来の緑色が発揮できないのに、桂は人知れず育ってその持ち前の美しい赤色を発揮するという点だと思います。私は、惠洪が僧でありながら政治にかかわって(仏教・禅を通しての親交でもあったと思いますが)流謫されたことを、蘭にたとえ、桂のたとえで、人知れず寺に籠もって修行を積めば立派な僧になれたのに、という嘆きを表したのではないかと思っています。

 詩の作者である靈源については、「宋代靈源惟清禪師」という記述のあるサイトがあり、

http://iriz.hanazono.ac.jp/data/zenseki_172.html

に記述がある霊源惟清(?-1117)のことかな、と思います。

 それから、「古人謂。聰明深察而近於死者。好議人者也。」の部分は『孔子家語』の巻第三「観周第十一」にある、礼を学びにきた孔子が帰る際に、老子がはなむけとして贈った言葉の一部に相当します。これは近辺の図書館の貧弱な蔵書で確認しました。

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 こんばんは。

 「翁凡兆に告て曰、一世のうち秀逸三五あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり」

 芥川龍之介『芭蕉雑記』の「四 詩人」より。

 芥川は出典を明示していません。凡兆が編集した『猿蓑』か、『書簡』か何かだろうと思います。ちなみに、『去来抄』『三冊子』『旅寝論』はざっとみたところ、ありませんでした。でも、熟読すればあるかも(でも、三冊とも芭蕉のことを、「師」「先師」と読んでるんで、ちがうかも)。

 情報が充分じゃなくてすみません。芥川が写し間違いをしてる可能性だってありますしね(大丈夫だと思うけど)。

 でも、言った相手が凡兆だってことが、なんとも示唆的ですね。

 付けたりに、堀辰雄さんの『雪の上の足跡』に出てくる凡兆の句を、

 鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ


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