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日本語を勉強中の中国人です。中国の日本語勉強サイトで、石川啄木の「一握の砂」の中の句が紹介されております。お伺いしたいのですが、この作家は有名でしょうか。言葉の特徴は何でしょうか。「一握の砂」の中の日本語はどういう特徴でしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それもご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

何十年にもわたって中学・高校の国語の多くの教科書で創作した歌が取り上げられているため、知名度は非常に高いです。

広い世代の人が知っています。中には一般教養のうちと考える人もいるでしょう。(※念のため書き添えますが、日本の教科書は民間の何十社が文部科学省の規定に従い制作します。各学校はそれぞれ信じる教育方針に従い教科書を採択するため、同じ年齢の人でも学ぶ教科書が違うことがあります。)

明治後期に活躍した歌人ですね。幼いころから文字に対する卓越した感性で知られ、赤貧の生活苦のなか、肺結核により二十代半ばに早世した、という人生まで比較的よく知られています。

作家、歌人、詩人の意味は、日本語における狭義においては少しずつ違いがあります。
作家は比較的長い文章を書く人を指します。小説やエッセイ、脚本や漫画の原作(原稿は描かず話だけ作る人)を創作する人、ノンフィクションやルポを執筆する人、です。
歌人とは短歌あるいは和歌を詠む人で、詩人は詩を詠む人です。

啄木本人は作家を目指したたかったようですが、こちらでは芽が出ませんでした。彼の創作で代表作とみなされているのはいずれも短歌を収めた歌集ですので、歌人、詩人として紹介されます。

啄木は活躍が早かった、つまり思春期から作品を発表していたため、作風は初期から中期ほどは夢想的です。後期に入り、当時文壇で興りはじめていた「自然派」の一人として、現実である日常での感情のひだを言葉に表して詩歌にする作風に変わりました。

石川啄木の作風を理解しようとすれば、当時の社会情勢、それを反映した文学界の流れに触れないわけにはいきません。
明治時代は日本にとって非常に変化の多い時代でした。鎖国していた江戸時代から急転直下、西欧に追いつかなければならない、と資本主義を取りいれ、社会の仕組み自体を短期間で変えようとしました。
こうして掲げられる夢想はとかく現実から乖離しがちですし、人間像を美化したり過度にロマンチックに表現しがちです。そして現実の社会を置き去りにする矛盾がおきるわけです。
日本に限らず、この時期日本がとりわけ目を向けていた西欧でも激動の時代を経て、そうしたロマン主義に対する反発が起きました。私が説明するまでもなく、ご存じかもしれませんね。現実を冷静な目で見つめ実証主義的な精神を持ち、表現に取り入れようとする自然主義です。エミール・ゾラやモーパッサンが中心的な作家として知られます。
フランスを中心に起きたこの自然主義は日本の文学界にもすぐ紹介され、日本なりの自然主義として展開していくことになります。石川啄木の後期はこの自然主義の流行と重なります。
彼の第一歌集であり、代表作として知られる「一握の砂」はこの自然主義を踏まえた特徴を持っています。華美な生活や精神を歌い上げるのではなく、赤貧や母への思いなど実生活を率直な言葉で表現しているからです。


……ここからナイショ話です。

非常に知名度の高い和歌が、「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」の3歌です。
このため、日本での一般的なイメージは「自力ではどうにもならない貧困の中でも精いっぱい生き、不幸にも肺結核に斃れた、母親思いの文学青年」というはかなげで善良な人で止まっている気がします。個人的には。

しかし、石川啄木は一言でいうと「ダメ人間」です。よく言ってダメ人間です。
そもそも「働いても働いても楽にならない私の暮らし、両手を見つめるしかない…」みたいな歌を詠んだ当時、彼が貧乏だった理由は

繁華街で身の丈以上の遊興に溺れる、知己友人に金を借りては売春宿に繰り出す、という放蕩生活のせい

ですからね。
彼が貧しい家庭に育ち、同じくダメ人間な父親を持っていること、若くして結婚し養うべき妻子がいたことは事実です。
でもなんで実家が貧しかったかというと、寺の住職だった父親が村を追われるほどの失態をやらかしたからですし、給料が低かったのは石川啄木が職を転々とするような人だった上に、遅刻や無断欠勤の常習犯だったからですし、「俺は作家になる!」と自分の才能を頼みに上京後は妻子にろくな仕送りもしていません。

私の高校時代の国語便覧には、彼の生涯として「中学校を中退して上京し」とあります。しかし国語の先生が「自分の意思で中退したかのように書かれてるけど、本当は校則違反をやらかして反省の色がなかったので退学処分を受けたんだよ」と教えてくれました。いったいなにをやっているのでしょうか。
また上京後は上に書いたように、お金がないのに人に金をたかっては遊興・放蕩にふけり、当時から借金魔、社会不適合者とみなされていたあたりは野口英世などをほうふつとさせます。

つまり、彼の不幸は大部分、自業自得ともいえます。彼を擁護するならば、育ちが悪かったためにまともな生活を建てる知恵がなかったことは彼のせいではないでしょう。
また、昔の文学界に名の残っている人は奇行で知られる人が多いです。現代の価値観で判断するからと思いきや
、当時でも批判されていたりします。日本限定かは私は存じませんが、「天才とバカは紙一重」「作家先生たるもの、常識人ではつとまらない」といった共通認識も生まれたぐらいです。
当時の社会情勢を考えても、辟易させられるような人が多いのは時代のせいかもしれません。

というわけで、石川啄木の裏話でした。
処世術としては、これを石川啄木を歌でしか知らない日本人に得意げに話すのはお勧めしません。だから、これはナイショ話ですよ。
でもこういう時代背景や石川啄木の人生を知った上で「一握の砂」を読むと、また違ったスパイスが利いてきませんか?
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この回答へのお礼

ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。興味深く拝見いたしました。彼の作品に触れる際に、いっそう理解が深まると思います。どうもありがとうございました。助かりました。

お礼日時:2020/05/24 08:30

余り恵まれなかった生涯のこともあって、一部には熱烈なファンもいます。

かくいう私もその一人でした。「言葉の特徴」と言っても、当時の歌人(短歌を詠む他の歌人)とそれほど違いがありません。その内容の方に特徴があり、「センチメンタル」(感傷的)な内容が多く、特に若い人たちの心を捉えました。また、短歌を書くのに、3行書きを使ったのも特徴でした。(この形は彼が始めたのでなく、同時代の土岐善麿が始めたものです。)また、中学生時代の同級生に「金田一京助」がいて親しかったようです。
 
  東海の小島の磯の白砂に      石をもて追はるるごとく
  われ泣きぬれて          ふるさとを出でしかなしみ
  蟹とたはむる           消ゆる時なし       
                
代表歌です。
 貧しさと肺結核に祟れた彼の一生でした。(私は中学生時代の夏休みに彼の歌集をノートに書き写しました。若いとき単身北海道旅行をこころみたのも、彼の住んだ後を巡るためでした。)
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この回答へのお礼

ファンの方からのご意見は大変嬉しいです。どうもありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2020/05/24 07:59

有名だと思います。

作品の特徴は、五七五七七の短歌形式ですが、これを三行に分けて書く、という日本では珍しい書き方をしています。日本語は平易ですがいわゆる文語で書かれています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_ …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D …
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この回答へのお礼

ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。だい理解できるようになりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2020/05/24 07:55

有名です。

作家というよりも歌人、詩人です。
「一握の砂」は啄木の最初の歌集です。例えばこんな歌が載ってます。どの歌も有名ですね。
言葉の特徴、、、。歌人ならではの表現をする人、とでも言えばいいでしょうか。

----一握の砂より
ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな

石をもて 追はるがごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし

はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ (陸前高田歌碑にもなっている)

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。いろいろとても参考になりました。

お礼日時:2020/05/24 07:54

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