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寝返った者など周囲は秀吉方が多かった事から距離を取りたかった、というのは本当ですか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    皆さんありがとう!
    ベストアンサーは私の知識では選べないですが笑

      補足日時:2020/05/23 10:11

A 回答 (7件)

秀吉に命じられたからです。



秀吉にしてみれば、家康は危険なので
なるべく遠ざけたかったのです。

家康の、積極的な意思ではありません。
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うそ。


転封は秀吉の命であり、家康の意志でなかった。
もし転封を拒めば、織田信雄のように改易の目に逢った。
信雄は家臣の反対により秀吉の転封命令を拒否していた。

当時家康はもはや単独で領土を保持できなくなっており、豊臣政権の政治的・軍事的保護下に置かれることによりはじめて大名の地位を保てたのである。

もう二つ、うそである根拠を挙げる。

家康は関東移封後親類や重臣を各地に配置し守りを固めている。
しかしその配置についてはいちいち秀吉の許可を取った。
なぜなら、徳川氏の関東移封は関東・奥羽総無事の達成のためであり、家康の家臣団の配置にはそのための重要な戦略的な意味があったからである。
彼は豊臣政権の意志によって関東に移ったのである。
その後の奥羽の状況によっては、さらに奥羽への転封もありえたらしい。

家康の関東移封の際、秀吉は安房里美氏から下総を取り上げ徳川家の重臣本田忠勝に与えている。
実際与えたのは家康だが、この配置には秀吉の指令があった。
なぜなら、下総は江戸湾に面している。
下総を制するものは江戸湾の制海権を得る。
そして江戸湾には鎌倉があり、そこは秀吉の関東・奥羽支配の策源地だった。
秀吉は重要拠点の防御に際し、里見氏でなく徳川氏を信用したのである。
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当時は多くの大名が国替えを命じられている。


秀吉に臣従を決めたからには、一応名目的には石高増加であるし、その命令に逆らえる立場ではなくなっている。
三河から離れたいとは思っていなかっただろう。
そもそも関東は広いとはいえ、当時はまだまだ未開の地であるうえ、富士山の火山灰が積もった関東ローム層のために稲作には向かない土地も多かった。
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こういう説もあります:



家康が関東への移封を命じられたのは1590年(江戸幕府開闢の13年前)の北条氏征伐の後です。この時、秀吉は、自分の地位を脅かすかもしれない家康を関東に封じ込める道を選びます。
https://globis.jp/article/3987
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江戸は沼地ばかりで発展させるには厳しいと思われていた時代です


そこへ徳川を贈り徳川の財力(国力)を減らしたかったのです

その目論見は失敗したのです

ですです
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秀吉に国替えを命じられたから。



その後江戸に幕府を開いた理由ならコチラ

https://rekikatsu.com/2015/01/31/post-388/
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三河豪族と徳川家の切り離し工作である国替えを、拒否できるほどの力がなかったから

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