人生最悪の忘れ物

社会は自己責任論で成り立っているのは分かりますが
究極的に考えれば、生まれる環境によって考え方や価値観、思考は形成され、当然生まれる環境は選べないので自己責任で弱者を切り捨てるのって無情過ぎませんか?


この動画をみてそう思いました。
これを見て世の中はおかしいとは思いませんが
無情に感じましたね。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    この動画のコメント欄を見て、きつくなります。

      補足日時:2020/05/25 20:02

A 回答 (12件中1~10件)

社会は、自己責任と他者との相互扶助で成り立っています。

特に後者の、互いの弱点を補い合うような仕組みなくして、社会は成立しないし、持続可能性もないですね。ヒトは不完全な存在だからこそ、他者と助け合う社会を作るんです。ですから社会という扶助分業協業ネットワークのなかにいないと、人は生存を図れません。
    • good
    • 0

国民の所得格差



これを考えたときに
思い出した動画があったので

参考にでもなれば
(*・∀・)つ



豊かなのは幸せなのか?
豊なのは永遠につづくのか?

経済格差を考えるなら
参考にはなるとおもいますよ
    • good
    • 0

追記



貧乏と高校生てなはなしなら
関西の漫才師で
メッセンジャー黒田さんの
生い立ちや生き様
調べてみたら

貧乏が弱者理論は破綻しますよ~

麒麟の田村とかね

田中角栄も、たしか?貧乏やったような気もするからね


高橋是清なんかも?貧乏やったような


心が貧乏にはなりたくないですね
    • good
    • 0

国民一人一人の「知的レベル向上」は「国家の発展」にとって最重要課題です


加えて「潜在的に高い知的能力」子供が保護者の経済的な理由で「然るべき知的教育」を受けられない事で「潜在的に高い知的能力」が覚醒されないのは当人だけでなく「国家」においても損失となりえます
それも含め「子供達の知的教育」に投資するのは国家の重要な役目です
我が国が国際的な競争に打ち勝つ為に必要な事です
「個人が健康で幸せに生きるかどうか中学まで出てれば十分」なんて考え方は前時代的な考え方です
そんな考え方を国家が持てば我が国に世界から取り残されてしまいます
    • good
    • 0

弱者を切り捨てる


社会的に弱者だから保護してあげるべき
みたいな話ですね

貧乏だから勉強出来なかった
みたいな論点なんだけど
貧乏で新聞配達とかしなかったのかな?
ワシは中学生の時にしたよ!

貧乏で勉強する時間がなかったのか?
そもそも、それくらい貧乏なら
私学なんか受験させてもらえないし
親も了解しないと思うよ

ワシは貧乏人の息子やったけど
公立一本で受かったけどね

まぁ~名前を書けたら
入れるくらいだけど


今と昔は、時代が違いすぎるから
何の役にも立たないとは
思うけどね

私学に受験して、入学できるだけの余裕があったなら
確りと勉強しなかった
自己責任で
勉強しなかった言い訳を
親の経済力にすり替えてるだけだと
思いますよ

そもそも、税金の無駄遣いって
国民それぞれ、思うところはあって
選挙で当選した人に
直談判する話でもないとは思うよ

質問にある
日本がおかしい

てなてな想いも
人それぞれ持ち合わせてて
そういった想いを考えて
選挙に望まない

日本国民の責任なんですよね

政治にケチをつけたくなるのは
人として当然だけど



ケチをつけても、意味がないからね
この前の検察庁の定年法案なんかもね

ケチをつけて騒いでるけど
ちゃんと内容を理解しないで
ケチをつけてる人が多いような
気もするからね

長くなったけど
世の中がおかしいと感じますか

はい!感じます

色んな人が居てるから
おかしくなるのは当然です


逆に、世の中が正常だと感じる人しか居ない世の中なら
おかしいと感じさせないような
何かしらの圧力や暴力なんかが
ありそうですね

独裁国家や言論の自由を奪う国とかね
    • good
    • 0

「知的教育」に対する誤解をされている方々がいます


「知的教育」とは国民の知的レベル向上を図ることで国民一人一人の生活向上に資する事でありもって国家の発展に繋げる事です
これは「高等教育」においても言えることで「研究成果を社会貢献の為に使う」事は副次的に目的であり「高等教育」の真の目的は「より専門的な研究」を行う事で国民一人一人の「知的好奇心向上」にあります。
    • good
    • 1

質問者さんにほぼ同意です。



弱者を切り捨てるのではなく、同じスタートラインにつくようにするのが「福祉制度」なのです。
ですから「福祉」はお上から恵んでやるものではありません。
ややもすると「自己責任論」でいえば、「オレ達の税金で」云々という発想がありますが違うのですよ。

たとえば点字ブロックがあります。
しかしその点字ブロックを利用する人って1%もいません。
経済合理制からいえば非合理な話なのです。
でも、目が不自由な人にはハンディキャップを少しでも埋めるために行う者なのです。

もしろん、すべての人に必要な施策はできないでしょう。
しかし一歩でも近づける努力をするのは政治の責任ではないでしょうか。

「自己責任論」は耳障りは良いです。
でも使われているシーンというのは、「悪いのは自分のせい」「彼らが貧しいのは彼らのせい」などですね。
すべて社会が悪いとはいいませんが、すべて個人の責任におしつけるかのような「自己責任論」はどうなんでしょう。

結局、それは政治の責任を免罪するためでしかありません。
    • good
    • 1

高等教育については、その後研究成果を社会貢献のために使うものであって


それが国が個人に投資をする理由です。
個人が健康で幸せにいきるかどうかは、中学まででていれば十分可能で
もし達成できないならそれは社会の問題であって
教育の問題ではありません
    • good
    • 1

社会は自己責任論で成り立っているのは分かりますが


 ↑
自己責任論だから、努力、頑張りが
意味を持つ訳です。
自己責任論を否定したら、努力した
人が報われない社会になってしまいます。



究極的に考えれば、生まれる環境によって考え方や価値観、
思考は形成され、当然生まれる環境は選べないので
自己責任で弱者を切り捨てるのって無情過ぎませんか?
  ↑
だから、生保などの社会保障が
あるのです。
勿論、それで救えない人も出て来ますが
百%救うなんてのは、そもそも無理です。

もっと豊かになれば、可能になるでしょうが
現代、そんなことを実現した国家は存在
しません。
    • good
    • 1

私は国家のやることが「おかしい」と思うことが多々あります。


ただ、それを裏付ける情報がなさすぎるし、民衆が興味を持たな過ぎたと
思います。

それを、一般大衆に興味を持たせ、様々な客観的情報を伝えるのがジャー
ナリストの仕事なのですが、権力者のケツを舐める奴ばかりです。
昔はそれこそ命がけで取材をする人たちがいましたが。

ハッキリ言って戦場カメラマンなどはそんなにいらないと思います。先人
たちがすでに戦場の悲惨さを伝えているからです。
そこに命を賭けるなら、他にいくらでもやることはあると思う。金にはな
らないかもしれませんが。

社会のおかしさというか、社会の現状を民衆がつぶさに知って、「さあど
うしよう」になるべきだと思うのです。
よくわからないから、猜疑心ばかり強くなり、無駄使いしている税金をも
っと「こっちによこせ合戦」になるんですよね。

かと言って、ネットの情報もあやしいものばかりで、この人はと見当をつ
けた人も、金儲けのことし考えていなかった、なんてことにもなるわけで
す。

結局、自己責任ではなく、エゴイズムに陥っているのが現代社会ではない
でしょうか?

私の結論としては、「公益」のために命を懸けるような人が出てきて活躍
することしか、この社会が変化する可能性はないだろうと考えています。

その姿を見て、若い人たちが本当の意味での自己責任というものを学ぶの
ではないか、と。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す