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海外に住まれている、もしくは海外経験が豊富な方にお聞きします。
海外と日本で住む(働く)とすればどちらが良いと思いますか?
私はつい最近まで将来は海外で住み、働いてみたいと考えていました。しかし最近実は日本より便利で住みやすい国は中々なく、海外は年に何回かの旅行で十分なのではないかと疑問に思い始めました。海外に住むという華やかなイメージも、実際にやってみると時間が経つにつれて当たり前になり、その後実は日本が良かったと思うのではないかと考えています。

無論どの国に住んで働くか、またはその人の相性もありますので、できる限り一般論でお願い致します。ちなみにわたしはこれまで2カ国を旅行致しました。

A 回答 (13件中1~10件)

そりゃ~、日本人にとては、日本で働き、生活するのが、一番良いと思います。



海外の異文化の中で働き、収入を得て生活するのであれば、現地のネーティブの人達と競争するようになります。
そうなれば、勝負は自ずから付いていますので、幸せは感じられないかも知れません。
勿論、有能な人で、世界に通用するようなスキルを身に付けている人であれば、ネーティブの人達に伍して行けるでしょうから、問題ないかも知れませんが。。。

数年間のオーストラリアでの経験からですが。。。
資産があって、現地では収入を得なくて生活できるのであれば、現地のネーティブの人達と競争しなくて良いので、異文化や環境に適応できれば、快適に生活できるでしょう。
そういう人は、日本人でも、オーストラリアを気に入って、何とか永住権を手に入れたくて苦労している人もいました。

因み、ヨーロッパからの移民・難民で来た人達が住んで居る町で生活した事がありますが、偏見や違和感を持ちながら生活している人もいました。
自分達が、何処と無く差別されているのではないかと感じているようでした。

例えば、高校教師や公企業で管理職であった人が、最初は、タクシーの運転手で、数年働いて言葉が話せるようになり成績優秀であれば、路線バスの運転手になれるのだと言っている人もいました。
又、自分の国では、弁護士だった人が、改めて大学に入り直して、成績優秀だったので、教授が紹介状を書いてくれて、州政府の外郭団体に就職できた人が居ました。
でも、彼女、曰く「自分は東欧の出身で名前がアングロ・サクソンと違うので、幾ら仕事が出来ても、後から入って来たネーテイブの後輩に、追い抜かれて行くのだ。」と嘆いていた人もいました。

又、同じ日本人でも、日本企業の駐在員としてきている場合は、企業に守られて、収入も、現地手当てが貰えれば、ネーティブ並みの生活が出来ますから、良いでしょう。
でも、同じ日系企業でも、現地採用であれば、現地手当てが付きませんから、隣の席の日本から来た駐在員とは、収入が倍も違うと言っている人もいました。
そういう人は、若い時は夢を追っかけていたら良かったが、50を目前にして見ると、日本に郷愁を感じてしまう。
でも、兄弟は日本に居るけれど、両親が亡くなって仕舞ったので、実家ないので、帰る足場が無いので二の足を踏んでしまうと言って寂しがっていました。

なかなか一般論は書けないですが、実体験や上記の例の人達の聞いた話を考えてみると、自分の育った文化や環境の中で生きるのが、一番良いのではないかと思います。

女性は鋭いので、その辺の処ははっきりしています。
婚活のサポートで当たった女性でも、海外に憧れがあっても、駐在員のように数年の期限付きであれば良いけれど、現地採用で無期限に海外へ行くのは嫌だという人が殆どでした。
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貴方は賢い。

 
治安(安全)、教育、医療、衛生状況、利便性、言論の自由。
日本がベストでしょう。
BY:在米駐在経験10年。
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住むことと働くこと両方理想なのは日本でしょう。



働くことに限定の場合、語学力次第ですが海外の方が
チャンスは多いと思いますがその国情にもよります。

住むことも一人と家族とでは大きく違うでしょう。

海外で働き成功している人は成績優秀でスキルが
ある人とは限りません、プラスアルファの能力が
有る人です。あと健康体力精神力も必須です。
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どちらがいいかというのは、住む国にもよるので一般論としては語れませんが、楽なのはやはり自国でしょう。

ただ、楽なのはいいけど、それだけで人生終わっても面白くないんじゃないかと私は思いますが。
外国人にとっては自国以外に住むことはそれ自体がチャレンジです。特に駐在員のような守られた立場ではなく、すべて自分でやらなければならない現地人として生活するならなおさらで、リスクはあるが面白いですよ。リスクの全くない人生は退屈だと思います。

私はアメリカ(カリフォルニア)に住んでいますが、現実的な話をすると、仕事があるうちはアメリカのほうがいいですね。エンジニアをしていますが、まず収入は圧倒的にアメリカのほうがいい。給料に加えてRSUやボーナスを含めると日本のエンジニアの収入の2倍から3倍は行くし、401kのような税制上の優遇措置のあるリタイアメントプランも現地採用者には提供されている。それに加えて所得税が日本より低く設定されているので、日本で退職金や年金をもらえないということを差し引いても実入りはアメリカのほうがはるかに良い。
仕事も日本のように時間で縛られることはないので自由が利いてやりやすいし、休暇も問題なく取れます。さらに、日本だとある程度の年齢になると管理職になるのが当然みたいな考えで、エンジニアとして設計開発に従事し続けることが難しかったりしますが、アメリカだとそういう道もあるし、私としてはそっちのほうがおもしろいのでそちらに行きたいですね。
景気が悪くなると解雇なんてことはよくありますが、エンジニアだと中途採用の仕事を探すのが難しいということもないし、解雇されたからといって悲観的になることもなく次を探すだけです。そこであまり悲観的になるようでは、現地採用は勤まりません。
リスクがあるとすれば医療費くらいですが、雇用されていればグループ保険でカバーされるので、それほど悪くはありません。

あと、なによりもカリフォルニアは気候が良い。私は、寒いのは平気だが、高温多湿の気候が大嫌いです。正直、アメリカに住みたいというよりもカラっと乾燥した気候のカリフォルニアに住みたいという気持ちが強いですね。仮に給料が日本と同じだったとしても、気候の良さでカリフォルニアを選ぶと思います。

でも、仕事から引退したら日本に帰るつもりですけどね。アメリカでは仕事がないと医療保険だとかの出費が結構かさむし、家の固定資産税もカリフォルニアは高いので、引退後のFixed incomeだけだと大変かもしれません。

アメリカで稼いで、日本で引退、これを目指してます。
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プロファイルに記したような者です。


国籍は日本ですが、永住権を持ってアメリカに住んでいます。
言ってみると、一匹狼のエンジニアとしてやってきました。
それが出来たから、この国でやってこれたと思います。

外国に住むというのは旅行者が滞在するのとは全く違います。
また、会社が手取り足取り面倒を見てくれる、長期出張者や駐在者も、所詮はお客さんです。
自分で自分のことが出来る人なんてほとんどいません。
みんな、会社や業者がやってくれて暮らせてるというだけです。

この国でやってくるためにしてきたこと。
その一例を紹介しましょう。

私は、日本の方々が好きな免許も資格も持ってません。
仕事をしていて出身大学だの最終学位なんて一度も話したことはありません。
ではどうしているか。
私は、半導体の回路、それを使った電子装置の回路、その装置の回路実装、信号処理なんかの設計、耐久性・信頼性・耐環境性・操作性なんかの解析・評価、OS・通信・セキュリティなどのソフトウェア開発、を扱います。
これらのそれぞれにはそれなりの専門的な機関があり、その世界で必要とされる先端的な技術や手法を教えてくれるコンサルタントファームがあります。
我々はそういったところに行って教育と訓練を受けてノウハウを身につけます。
信頼できるファームで教育・訓練を受け、そこの終了証を手に入れれば、下手な免許や資格なんて足元にも及ばない仕事が出来ます。
ある年はA、ある年はB、と、そういったところに行って自分自身を磨きます。
会社には恩を着せられないよう、有給休暇など使いません。
半月から一ヶ月、休職し、すべて自費で行きます。
安くないですし、大変です。
午前中は講義とディスカッション。
サンドイッチとリンゴの昼食をかじりながら午後の実習・演習に臨みます。
その結果を使って夕方は再度ディスカッション。
夜はホテルに帰ってレポート作成、宿題の処理、翌日の予習。
翌朝はレポートと宿題のディスカッションののちに授業。
週末は週末で宿題が出ますし、やり残したまとめや翌週の予習。
かけるお金を考えると休む間などありません。
クラスはせいぜい数人。
講師やアシスタントは4~5人。
こんな場は格好の情報交換の場でもあります。
プロ中のプロが来てますから、仕事に戻った後でも、なんかがあった時の相談仲間になってくれる。
こんな強力な仲間はそうそう見つかるもんじゃぁありません。
こうして腕を磨いていれば、何かがあっても、会社には簡単に『サヨナラ』を言えます。
そうでないと安心してこんな暮らしは出来ません。

私がアメリカに来たのは、もともとは半導体の回路設計で身を立てたかったから。
でも、半導体とか電子機器の会社で電気屋さんっていっぱいいるでしょ。
そんなところで電気の仕事したって競争に疲れちゃって自分を見失うんじゃないかって考えました。
先輩たちを見ていてね。
なので、乗り物が好きだったので、その世界の電気屋になろうと思いました。
そこで考えたのが日本にあまりない航空宇宙の電気屋。
それになりにきました。
それと、東京のようなゴミゴミした、人ばかりいる、コンクリートの塊のような町で暮らしたくなかった。
もともと、私は東北の山間地、カミさんは九州の港町と言う田舎出身なので。
カミさんも私の負けない豪傑です。
日本の短大の家政科しか出てないのに、40を過ぎて一念発起。
州立大に掛け合って日本の通信制の大学2校の単位を認める約束を取り付けて卒業し、その単位で州立大に編入を果たし、子供のいる前で学長からアーナー(優等生)の称号の卒業証書を手に入れました。
こういった生活を見ていたからか、子どもも頑張ってます。
高校時代から企業や財団が募集する論文に応募を繰り返し、それが認められて普通なら3~4年生からしか受け入れてもらえない医歯薬生物系の学部長の研究室のインターンにいれてもらえました。
欲があるらしく、医療機器や臨床・病理の世界も勉強したいと言い出し、今は自分の大学にはない工学系の勉強にために隣町の州立の工科大に、そして、別の隣町の私大の医学部にも通っています。
学部時代はそれでも必要単位が足りないということで、4年間の夏休み全部を使ってフランスの大学の夏期講座に行っていました。
自分の大学は、州立大とは言えど、学費も州外なら年額400万円近いところですが、他の大学や交通費や滞在費なども含め、国や州、財団やスポンサー企業が賄ってくれて助かってます。
日本だと2~3か国の外国経験は貴重でしょうが、欧米、とりわけレベルが上がるほどそれは高くなります。
ウチは年寄の貧乏家族ですが、こどもは日本語、英語、スペイン語、フランス語はネイティブで、ほかに、イタリア語、中国語、ラテン語なんかは私たちの英語より使えてます。
今はコロナ禍で途絶えてしまってますが、近くの空港からはロンドンとパリに毎日定期便が飛んでいて、年に何度も私たちは利用していましたし、全米や極東・東南アジアともよく行き来してました。
そういうふうにやりたければ、やれるように手を尽くす。
それにつきます。
やらなきゃできません。
やり方を間違えても出来ません。
やれる方法を自分で探し、努力して切り開いてはどうですか。
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プロファイルに記したような者です。


国籍は日本ですが、永住権を持ってアメリカに住んでいます。
言ってみると、一匹狼のエンジニアとしてやってきました。
それが出来たから、この国でやってこれたと思います。

外国に住むというのは旅行者が滞在するのとは全く違います。
また、会社が手取り足取り面倒を見てくれる、長期出張者や駐在者も、所詮はお客さんです。
自分で自分のことが出来る人なんてほとんどいません。
みんな、会社や業者がやってくれて暮らせてるというだけです。

この国でやってくるためにしてきたこと。
その一例を紹介しましょう。

私は、日本の方々が好きな免許も資格も持ってません。
仕事をしていて出身大学だの最終学位なんて一度も話したことはありません。
ではどうしているか。
私は、半導体の回路、それを使った電子装置の回路、その装置の回路実装、信号処理なんかの設計、耐久性・信頼性・耐環境性・操作性なんかの解析・評価、OS・通信・セキュリティなどのソフトウェア開発、を扱います。
これらのそれぞれにはそれなりの専門的な機関があり、その世界で必要とされる先端的な技術や手法を教えてくれるコンサルタントファームがあります。
我々はそういったところに行って教育と訓練を受けてノウハウを身につけます。
信頼できるファームで教育・訓練を受け、そこの終了証を手に入れれば、下手な免許や資格なんて足元にも及ばない仕事が出来ます。
ある年はA、ある年はB、と、そういったところに行って自分自身を磨きます。
会社には恩を着せられないよう、有給休暇など使いません。
半月から一ヶ月、休職し、すべて自費で行きます。
安くないですし、大変です。
午前中は講義とディスカッション。
サンドイッチとリンゴの昼食をかじりながら午後の実習・演習に臨みます。
その結果を使って夕方は再度ディスカッション。
夜はホテルに帰ってレポート作成、宿題の処理、翌日の予習。
翌朝はレポートと宿題のディスカッションののちに授業。
週末は週末で宿題が出ますし、やり残したまとめや翌週の予習。
かけるお金を考えると休む間などありません。
クラスはせいぜい数人。
講師やアシスタントは4~5人。
こんな場は格好の情報交換の場でもあります。
プロ中のプロが来てますから、仕事に戻った後でも、なんかがあった時の相談仲間になってくれる。
こんな強力な仲間はそうそう見つかるもんじゃぁありません。
こうして腕を磨いていれば、何かがあっても、会社には簡単に『サヨナラ』を言えます。
そうでないと安心してこんな暮らしは出来ません。

私がアメリカに来たのは、もともとは半導体の回路設計で身を立てたかったから。
でも、半導体とか電子機器の会社で電気屋さんっていっぱいいるでしょ。
そんなところで電気の仕事したって競争に疲れちゃって自分を見失うんじゃないかって考えました。
先輩たちを見ていてね。
なので、乗り物が好きだったので、その世界の電気屋になろうと思いました。
そこで考えたのが日本にあまりない航空宇宙の電気屋。
それになりにきました。
それと、東京のようなゴミゴミした、人ばかりいる、コンクリートの塊のような町で暮らしたくなかった。
もともと、私は東北の山間地、カミさんは九州の港町と言う田舎出身なので。
カミさんも私の負けない豪傑です。
日本の短大の家政科しか出てないのに、40を過ぎて一念発起。
州立大に掛け合って日本の通信制の大学2校の単位を認める約束を取り付けて卒業し、その単位で州立大に編入を果たし、子供のいる前で学長からアーナー(優等生)の称号の卒業証書を手に入れました。
こういった生活を見ていたからか、子どもも頑張ってます。
高校時代から企業や財団が募集する論文に応募を繰り返し、それが認められて普通なら3~4年生からしか受け入れてもらえない医歯薬生物系の学部長の研究室のインターンにいれてもらえました。
欲があるらしく、医療機器や臨床・病理の世界も勉強したいと言い出し、今は自分の大学にはない工学系の勉強にために隣町の州立の工科大に、そして、別の隣町の私大の医学部にも通っています。
学部時代はそれでも必要単位が足りないということで、4年間の夏休み全部を使ってフランスの大学の夏期講座に行っていました。
自分の大学は、州立大とは言えど、学費も州外なら年額400万円近いところですが、他の大学や交通費や滞在費なども含め、国や州、財団やスポンサー企業が賄ってくれて助かってます。
日本だと2~3か国の外国経験は貴重でしょうが、欧米、とりわけレベルが上がるほどそれは高くなります。
ウチは年寄の貧乏家族ですが、こどもは日本語、英語、スペイン語、フランス語はネイティブで、ほかに、イタリア語、中国語、ラテン語なんかは私たちの英語より使えてます。
今はコロナ禍で途絶えてしまってますが、近くの空港からはロンドンとパリに毎日定期便が飛んでいて、年に何度も私たちは利用していましたし、全米や極東・東南アジアともよく行き来してました。
そういうふうにやりたければ、やれるように手を尽くす。
それにつきます。
やらなきゃできません。
やり方を間違えても出来ません。
やれる方法を自分で探し、努力して切り開いてはどうですか。
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国籍は日本ですが、永住権を持ってアメリカに住んでいます。
言ってみると、一匹狼のエンジニアとしてやってきました。
それが出来たから、この国でやってこれたと思います。

外国に住むというのは旅行者が滞在するのとは全く違います。
また、会社が手取り足取り面倒を見てくれる、長期出張者や駐在者も、所詮はお客さんです。
自分で自分のことが出来る人なんてほとんどいません。
みんな、会社や業者がやってくれて暮らせてるというだけです。

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私は、日本の方々が好きな免許も資格も持ってません。
仕事をしていて出身大学だの最終学位なんて一度も話したことはありません。
ではどうしているか。
私は、半導体の回路、それを使った電子装置の回路、その装置の回路実装、信号処理なんかの設計、耐久性・信頼性・耐環境性・操作性なんかの解析・評価、OS・通信・セキュリティなどのソフトウェア開発、を扱います。
これらのそれぞれにはそれなりの専門的な機関があり、その世界で必要とされる先端的な技術や手法を教えてくれるコンサルタントファームがあります。
我々はそういったところに行って教育と訓練を受けてノウハウを身につけます。
信頼できるファームで教育・訓練を受け、そこの終了証を手に入れれば、下手な免許や資格なんて足元にも及ばない仕事が出来ます。
ある年はA、ある年はB、と、そういったところに行って自分自身を磨きます。
会社には恩を着せられないよう、有給休暇など使いません。
半月から一ヶ月、休職し、すべて自費で行きます。
安くないですし、大変です。
午前中は講義とディスカッション。
サンドイッチとリンゴの昼食をかじりながら午後の実習・演習に臨みます。
その結果を使って夕方は再度ディスカッション。
夜はホテルに帰ってレポート作成、宿題の処理、翌日の予習。
翌朝はレポートと宿題のディスカッションののちに授業。
週末は週末で宿題が出ますし、やり残したまとめや翌週の予習。
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クラスはせいぜい数人。
講師やアシスタントは4~5人。
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こうして腕を磨いていれば、何かがあっても、会社には簡単に『サヨナラ』を言えます。
そうでないと安心してこんな暮らしは出来ません。

私がアメリカに来たのは、もともとは半導体の回路設計で身を立てたかったから。
でも、半導体とか電子機器の会社で電気屋さんっていっぱいいるでしょ。
そんなところで電気の仕事したって競争に疲れちゃって自分を見失うんじゃないかって考えました。
先輩たちを見ていてね。
なので、乗り物が好きだったので、その世界の電気屋になろうと思いました。
そこで考えたのが日本にあまりない航空宇宙の電気屋。
それになりにきました。
それと、東京のようなゴミゴミした、人ばかりいる、コンクリートの塊のような町で暮らしたくなかった。
もともと、私は東北の山間地、カミさんは九州の港町と言う田舎出身なので。
カミさんも私の負けない豪傑です。
日本の短大の家政科しか出てないのに、40を過ぎて一念発起。
州立大に掛け合って日本の通信制の大学2校の単位を認める約束を取り付けて卒業し、その単位で州立大に編入を果たし、子供のいる前で学長からアーナー(優等生)の称号の卒業証書を手に入れました。
こういった生活を見ていたからか、子どもも頑張ってます。
高校時代から企業や財団が募集する論文に応募を繰り返し、それが認められて普通なら3~4年生からしか受け入れてもらえない医歯薬生物系の学部長の研究室のインターンにいれてもらえました。
欲があるらしく、医療機器や臨床・病理の世界も勉強したいと言い出し、今は自分の大学にはない工学系の勉強にために隣町の州立の工科大に、そして、別の隣町の私大の医学部にも通っています。
学部時代はそれでも必要単位が足りないということで、4年間の夏休み全部を使ってフランスの大学の夏期講座に行っていました。
自分の大学は、州立大とは言えど、学費も州外なら年額400万円近いところですが、他の大学や交通費や滞在費なども含め、国や州、財団やスポンサー企業が賄ってくれて助かってます。
日本だと2~3か国の外国経験は貴重でしょうが、欧米、とりわけレベルが上がるほどそれは高くなります。
ウチは年寄の貧乏家族ですが、こどもは日本語、英語、スペイン語、フランス語はネイティブで、ほかに、イタリア語、中国語、ラテン語なんかは私たちの英語より使えてます。
今はコロナ禍で途絶えてしまってますが、近くの空港からはロンドンとパリに毎日定期便が飛んでいて、年に何度も私たちは利用していましたし、全米や極東・東南アジアともよく行き来してました。
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言ってみると、一匹狼のエンジニアとしてやってきました。
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また、会社が手取り足取り面倒を見てくれる、長期出張者や駐在者も、所詮はお客さんです。
自分で自分のことが出来る人なんてほとんどいません。
みんな、会社や業者がやってくれて暮らせてるというだけです。

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私は、日本の方々が好きな免許も資格も持ってません。
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私は、半導体の回路、それを使った電子装置の回路、その装置の回路実装、信号処理なんかの設計、耐久性・信頼性・耐環境性・操作性なんかの解析・評価、OS・通信・セキュリティなどのソフトウェア開発、を扱います。
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我々はそういったところに行って教育と訓練を受けてノウハウを身につけます。
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ある年はA、ある年はB、と、そういったところに行って自分自身を磨きます。
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半月から一ヶ月、休職し、すべて自費で行きます。
安くないですし、大変です。
午前中は講義とディスカッション。
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翌朝はレポートと宿題のディスカッションののちに授業。
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クラスはせいぜい数人。
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でも、半導体とか電子機器の会社で電気屋さんっていっぱいいるでしょ。
そんなところで電気の仕事したって競争に疲れちゃって自分を見失うんじゃないかって考えました。
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それになりにきました。
それと、東京のようなゴミゴミした、人ばかりいる、コンクリートの塊のような町で暮らしたくなかった。
もともと、私は東北の山間地、カミさんは九州の港町と言う田舎出身なので。
カミさんも私の負けない豪傑です。
日本の短大の家政科しか出てないのに、40を過ぎて一念発起。
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こういった生活を見ていたからか、子どもも頑張ってます。
高校時代から企業や財団が募集する論文に応募を繰り返し、それが認められて普通なら3~4年生からしか受け入れてもらえない医歯薬生物系の学部長の研究室のインターンにいれてもらえました。
欲があるらしく、医療機器や臨床・病理の世界も勉強したいと言い出し、今は自分の大学にはない工学系の勉強にために隣町の州立の工科大に、そして、別の隣町の私大の医学部にも通っています。
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自分の大学は、州立大とは言えど、学費も州外なら年額400万円近いところですが、他の大学や交通費や滞在費なども含め、国や州、財団やスポンサー企業が賄ってくれて助かってます。
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ウチは年寄の貧乏家族ですが、こどもは日本語、英語、スペイン語、フランス語はネイティブで、ほかに、イタリア語、中国語、ラテン語なんかは私たちの英語より使えてます。
今はコロナ禍で途絶えてしまってますが、近くの空港からはロンドンとパリに毎日定期便が飛んでいて、年に何度も私たちは利用していましたし、全米や極東・東南アジアともよく行き来してました。
そういうふうにやりたければ、やれるように手を尽くす。
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国籍は日本ですが、永住権を持ってアメリカに住んでいます。
言ってみると、一匹狼のエンジニアとしてやってきました。
それが出来たから、この国でやってこれたと思います。

外国に住むというのは旅行者が滞在するのとは全く違います。
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これらのそれぞれにはそれなりの専門的な機関があり、その世界で必要とされる先端的な技術や手法を教えてくれるコンサルタントファームがあります。
我々はそういったところに行って教育と訓練を受けてノウハウを身につけます。
信頼できるファームで教育・訓練を受け、そこの終了証を手に入れれば、下手な免許や資格なんて足元にも及ばない仕事が出来ます。
ある年はA、ある年はB、と、そういったところに行って自分自身を磨きます。
会社には恩を着せられないよう、有給休暇など使いません。
半月から一ヶ月、休職し、すべて自費で行きます。
安くないですし、大変です。
午前中は講義とディスカッション。
サンドイッチとリンゴの昼食をかじりながら午後の実習・演習に臨みます。
その結果を使って夕方は再度ディスカッション。
夜はホテルに帰ってレポート作成、宿題の処理、翌日の予習。
翌朝はレポートと宿題のディスカッションののちに授業。
週末は週末で宿題が出ますし、やり残したまとめや翌週の予習。
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講師やアシスタントは4~5人。
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プロ中のプロが来てますから、仕事に戻った後でも、なんかがあった時の相談仲間になってくれる。
こんな強力な仲間はそうそう見つかるもんじゃぁありません。
こうして腕を磨いていれば、何かがあっても、会社には簡単に『サヨナラ』を言えます。
そうでないと安心してこんな暮らしは出来ません。

私がアメリカに来たのは、もともとは半導体の回路設計で身を立てたかったから。
でも、半導体とか電子機器の会社で電気屋さんっていっぱいいるでしょ。
そんなところで電気の仕事したって競争に疲れちゃって自分を見失うんじゃないかって考えました。
先輩たちを見ていてね。
なので、乗り物が好きだったので、その世界の電気屋になろうと思いました。
そこで考えたのが日本にあまりない航空宇宙の電気屋。
それになりにきました。
それと、東京のようなゴミゴミした、人ばかりいる、コンクリートの塊のような町で暮らしたくなかった。
もともと、私は東北の山間地、カミさんは九州の港町と言う田舎出身なので。
カミさんも私の負けない豪傑です。
日本の短大の家政科しか出てないのに、40を過ぎて一念発起。
州立大に掛け合って日本の通信制の大学2校の単位を認める約束を取り付けて卒業し、その単位で州立大に編入を果たし、子供のいる前で学長からアーナー(優等生)の称号の卒業証書を手に入れました。
こういった生活を見ていたからか、子どもも頑張ってます。
高校時代から企業や財団が募集する論文に応募を繰り返し、それが認められて普通なら3~4年生からしか受け入れてもらえない医歯薬生物系の学部長の研究室のインターンにいれてもらえました。
欲があるらしく、医療機器や臨床・病理の世界も勉強したいと言い出し、今は自分の大学にはない工学系の勉強にために隣町の州立の工科大に、そして、別の隣町の私大の医学部にも通っています。
学部時代はそれでも必要単位が足りないということで、4年間の夏休み全部を使ってフランスの大学の夏期講座に行っていました。
自分の大学は、州立大とは言えど、学費も州外なら年額400万円近いところですが、他の大学や交通費や滞在費なども含め、国や州、財団やスポンサー企業が賄ってくれて助かってます。
日本だと2~3か国の外国経験は貴重でしょうが、欧米、とりわけレベルが上がるほどそれは高くなります。
ウチは年寄の貧乏家族ですが、こどもは日本語、英語、スペイン語、フランス語はネイティブで、ほかに、イタリア語、中国語、ラテン語なんかは私たちの英語より使えてます。
今はコロナ禍で途絶えてしまってますが、近くの空港からはロンドンとパリに毎日定期便が飛んでいて、年に何度も私たちは利用していましたし、全米や極東・東南アジアともよく行き来してました。
そういうふうにやりたければ、やれるように手を尽くす。
それにつきます。
やらなきゃできません。
やり方を間違えても出来ません。
やれる方法を自分で探し、努力して切り開いてはどうですか。
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No.2&3です。

サーバの不調なのか、なぜか同じ投稿が重複してしまいました。すみません。
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