親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

コロンブスってテレビとかで紹介される時、たいてい「アメリカ大陸を発見した人」ですよね。
なんであんなでっかい大陸と少々を発見しただけなのに、それに調べたら黒人奴隷制度を取り組んだらしいですね。それにそれに、自分が発見した大陸を死ぬまでアジアだと思ってたって話じゃないですか。
なのになんであんなに歴史の中心にいるんでしょうか?信じられません。この謎を解決してください。回答よろしくお願いします!

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A 回答 (11件中1~10件)

なんだかデタラメの回答が多いのでね。



15世紀の後半から16世紀の前半にかけてを大航海時代と言うんだけど、この時の航海の目的地はインドへ行くこと。で、インドってのはどこかと言うとヨーロッパ人にとっては本当の場所はわからなくて東の方の遙か彼方でしかないのさ。香辛料とかそういう貴重なものがやってくる場所という認識なんだね。陸続きで行こうとするとオスマントルコという大国があって行けないので海路でインドへ行こうとするんだけど、アフリカまわり(というオーソドックスな方法)はエンリケ航海王子がスポンサーとなっていたポルトガルが先行していたという訳。

で、ここでジェノヴァ人のコロンブスがトスカネリという人が地球球体説に基づいて書いた地図(でもその地図にはアメリカ大陸が書いてなかった=アメリカ大陸は知られてなかった)を見て、なんだ西に行けばインドへ行けるじゃんと思ったのね。

で、そのアイデアをポルトガルの競争相手だったスペインのイサベラに売り込んだのさ。で、費用を出して貰って「いざ行かん」と西に航海し出したんだけど、当時の一般常識では地球は平らだと信じられているし海図では西の方のある地点で海がゴウゴウと滝になって下に落ちている絵が描かれていたんだね。

だから、船員たちは西に行くことに反対して、コロンブスが寝ている間に船の向きを変えたりして妨害するわけ。で、それに気がついたコロンブスは怒ってもとの進路に戻させる、また進路を変えられると繰り返すので後になると2週間もあれば横断できる大西洋をわたるのに60日ぐらいかかる(このため正確な距離がわからず実際よりも遠くに行ったことになってしまう)。

だから、ようやく到達した島をインドあるいはその周辺の島だと誤解するわけ。海路でインドに行った初めてのヨーロッパ人の栄光を輝かすわけだからね(もちろん事実は違うけど)。で、戻ったコロンブスはインド総督に任ぜられてそのあと3回、合計4回彼の思っていたインドへ航海するんだけど・・そこは伝えられていたような文明もなく豊かでもなかったので、結局総督は辞めさせられるんだね。

ついでに言うと、ここが新大陸であると確認した人がアメリゴ・ベスプッチで、ドイツ人の地理学者がこの大陸を「アメリゴの大陸」として書いたのが広まってアメリカ大陸になったのさ。もう1つおまけに書くと、コロンブスの名前はコロンビアという国名となって残っている(このコロンビアも初めはずいぶん大きな国だったのがいくつかに分裂して小さくなった)。

さて、これだけの知識を前提として言えば、やっぱりコロンブスは大航海時代以後、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住するきっかけを作ったわけ。当時の迷信だらけのヨーロッパで実際に行くことで滝から落ちることはないと実証したのは大変大きなことさ。スペイン人たちはインカ帝国とかアステカ帝国とかを征服して、新大陸の金銀をヨーロッパに持ち込んで経済的にも大きな影響を与えたし、ヨーロッパが世界を支配するようになるきっかけを作ったんだから、重要視されても不思議でも何でもないんだよね。
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この回答へのお礼

へェ~、へェ~、へェ~、へェ~・・・。
そうなんですかー。真実を知ると謎じゃないですね。
語尾は腹立つけど、メチャ納得しました!
回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/14 23:17

ヨーロッパ人がアメリカ大陸を手に入れるきっかけを作ったからではないですか。

誰がコロンブスを発見したかという本がありますね。当時アメリカ大陸に住んでいた人たちの中で誰が最初にコロンブスがやってきたことに気がついたのかという話です。アメリカにしてもインドにしてもインディアン(!)にしても黒人にしてもヨーロッパ人から観れば同じようなものだったのではないでしょうか。
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ほとんど回答が出尽くしたと思いますが、、彼が歴史に名を残す事となった、自分なりの考えを書かせてください。



コロンブス以前の冒険家は、東回りの航海をして、喜望峰やインドに到達していました。#8さんの回答にもあるように、西は巨大な滝があって落ちると考えられていたからです。
でも彼は、危険を承知で西回りの航海に臨んだ。
結果、滝に落ちることなく大陸にたどり着いた。

つまり、西回りの航路を最初に切り開き、その後、様々な冒険家がアジアへ早く到着するため、西方航路を研究するようになったきっかけを作ったからだと思います。
(悪く言えば、スペイン、ポルトガルがアメリカ大陸の国々を侵略するきっかけ)

またそれは、地球が丸いという証明にもなりました。
そして、たどり着いた大陸が、今までヨーロッパ人に知られていない大陸であったということも、コロンブスの知名度(?)を上げていると思われます。
「アメリカの発見」という、センセーショナルなネーミング(キャッチコピー?)のせいだと思います。その当時、「アメリカ」なんてないし、「発見」という言葉も語弊がありますしね。

しかし、航海術がすごいから、、という理由にはイマイチ賛成しかねます。
コロンブス以前にも、大航海をした人々はいくらでもいるからです。
コロンブスより80年程前、中国人の率いる大艦隊は、東南アジアからインド、アラビア半島のメッカなどを渡り、アフリカのケニアにまで到達しています!

以上、思ったままを書いてみました。
蛇足にて申し訳ないです。
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当時の航海というのは沿岸航海と言って、陸地を確認


しながら進むものが主流だったんです。

その方法で1488年にバルトロメ・ディアスと
言う人が喜望峰というところまで行ったのも
大成果だったんですが、コロンブスは一気に
何の目印もない大海原を進んだところに
歴史的価値があります。

コロンブスが経度方向の移動距離の
測定に失敗したことはNo.6のご回答
のとおりで、これが船の上でも使える
機械式時計、いわゆるクロノメーター、
ウォッチの開発に繋がりました。
ウォッチの原型説はいくつかあるのですが、
一例は1502年ころのドイツ製の
ものだったと言われています。

大航海時代は、探検の時代で、悪く言うと
行き当たりばったりだったのですが、
商業用ルートとして使うには、安定した
航海が必要で、星の位置をもとに
正確に航行するために、精度の高い
天体観測データが重要視される中、
17世紀には貴族の私的な天文台
ではなく、国が天文台を作る
ようになったんです。

この大元はやはりコロンブスの
大航海ということで、特に
歴史的に意味があるんです。
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#6さんに補足。



アメリカという名は南アメリカを探検したイタリア人、アメリゴ=ベスブッチの名前にちなんでいます。

これだけだと質問の回答じゃないので、一応回答も。↓

冷蔵庫なんか無い当時、非常に重宝されていた香辛料はほとんどアジア製で、ヨーロッパからアジアに船で行くのにはアフリカ大陸の先っぽをグルっと迂回して行くのが当たり前だった。
それをコロンブスは「地球は丸いから逆から行ったら近いんじゃね?」と、当時誰も考えなかった発想で大西洋に飛び出した。
大西洋の西に何があるかもわからないのに、自分を信じて西に進み続けた。
偉大なるバカ、コロンブスは歴史に名を残すのに十分な功績を残したと思います。
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この回答へのお礼

えっ?当時地球は丸い説があったんですか?
でも自分を信じて進むという事は凄い事ですよ。
ジョークが通じないバカですみません・・・。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/14 22:33

だいたい発見者だっていうのに、その大陸の名前と


して残らないのも変です。(笑)
 アメリカは確か、アメリカーゴ???だとか
言う人の名前にちなんで名づけられた。


>自分が発見した大陸を死ぬまでアジアだと思ってたって話じゃないですか。
なのになんであんなに歴史の中心にいるんでしょうか?

 非常にに精度が悪いながらも、近代航海術を
使った歴史的航海だからでしょう。

 インドと間違えたというのは、コロンブス
の間抜けさを象徴するものでなく、
経度方向の測定技術の未熟さを物語って
いるんです。つまり、その程度の航海術で
アメリカまで行ったというところがすごいんです。

 航海をするためには、船の正確な位置、
つまり、緯度、経度方向の測定が必要です。
緯度方向は太陽などの高さで比較的簡単に
分ります。農業のために、いつ頃の季節に
どのくらいの高さに太陽があるかは
よく知られていたんです。
赤道に近づけば同じ時期でも太陽は
高く見えます。これを六分儀という
望遠鏡つき分度器で測ればいい。

 ところが経度方向は、基準点からの
移動距離で割り出さなければならず、
そのためには、船の速度、経過時間の
測定が必要で、これと星の位置を
組み合わせることから、高度な測定
技術と精度の高い天体観測データが
必須なんです。
 船の速度に経過時間をかければ
移動距離が出るといった具合です。

 1492年当時、精度の高い機械式の時計は
柱時計、つまりクロックしかあり
ませんでした。これはゆれる
船の上では使えません。
確かコロンブスは砂時計を使って
いたと思います。
ゆれる船の上でも使えるようにと、
ゼンマイ式時計、つまりウォッチの
原型が作られたのは16世紀になって
からで、実用に耐えうるようななものが
できたのは17世紀になってからです。

 正確な天体観測データが集まり
始めたのもやはり17世紀から
で、海上の商業用ルート
開拓のために各国が国立天文台を
設立し始めたのがきっかけでした。

 イギリスのグリニッジ天文台が
経度方向測定の世界的基準点になった
のは、グリニッジの観測データの
測定精度が高かったことが1つの
理由です。

 ということで、正確な天文データも
正確な時計もなく、太平洋上では
目安にできる陸地も見えなかったため
コロンブスは移動した距離を正確に割り
出せなかった。
それでアメリカをインドと思ったわけです。

 しかし、経験則による古代的
航海術から、一歩進んだ航海方法に
よって成功した大航海のため、
コロンブスは歴史に残ったんです。





 
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この回答へのお礼

う~ん、やはり船を操縦する事は難しいんですか。機械なんて無かった時代ですからね。自分が当時の船でコロンブスと同じ脳を持ったとしてもアメリカには辿り着けないでしょう。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/14 22:23

コロンブスはアメリカ大陸を発見などしていません。


なぜならアメリカにはもとから原住民(ネイティブアメリカン)が住んでいたからです。
コロンブスが発見したなどというウソを大々的に宣伝するのは、白人のアメリカへの侵略を正当化するためのものです。
コロンブスがやったことは結局はネイティブアメリカンを虐殺し、彼らの土地を奪うきっかけを作ったことと、黒人をアフリカから誘拐してきて奴隷にする原因を作っただけです。

しかし、世界はアメリカの白人が動かしています。
だからコロンブスは重要人物であり、英雄でもあるのです。
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この回答へのお礼

ワォ!メチャ偏ってませんか?自分は白人も黒人も先住民も好きですが、こういう回答は望んでません。・・・でも1里ありますね。アメリカ大陸を発見!というと、コロンブスが初めてアメリカ大陸を踏んだ人みたいな感じになりますからね。

diseaseさんみたいに、アメリカ人を白人、黒人、ネイティブアメリカンと別けるのは良くないです。人種を意識する人間にはならないで欲しいです。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/14 22:16

こんばんは。


想像で答えます。根拠なしです。

コロンブスはヨーロッパとアメリカ大陸の間にある海(大西洋)を初めて渡った人なのでは?
コペルニクスが天動説を唱えるか、ガリレオが「地球が丸い」というまでだったか、「世界は平坦である」という考えが当時の主流。ヨーロッパの西にはるかに広がる海の先は切れているとみんな思っていたようです。
その切れていると思われていた海に向かって出向し、新大陸を発見したのは大きいことなのではないのでしょうか?
この発見に伴い、ヨーロッパ諸国の新大陸(アメリカ)への進出がはじまり、大航海時代の幕上げとなりました。
13世紀にマルコポーロがアジアを旅した時に書いた「東方見聞録」は確かコロンブスの愛読書だったと聞いています。それを読んでアジアに対する思い入れは強まり、陸路ではなく海路からアジアへ行く方法を当時のスペインは模索していたのではないのでしょうか?
当時のスペイン海軍と言えば「無敵艦隊」と言われるほど海では「敵なし」状態。国あげてアジアへの航路を切り開こうとしていたのです。
コロンブスはイザベル女王の依頼を受けて航海しました。なぜ東ではなく西に向かったのかはわかりません。地中海を東に向かうとどんつきになっていて、イスラム諸国につくのはそのときは分かっていたのかも知れませんね。だから、まず西に向かって南下してそれから東に変更して・・・としている内にアメリカに着いたのかも。
自分の進んだ経路は決して間違っていないと思い込んで、発見した陸を「インド」と勘違いしたんでしょうね。
当時の南米に湧き出るほどあった「金」も彼の誤解に拍車をかけたのではないのでしょうか?(「東方見聞録」で「シパング」は「黄金の国」と紹介されているので)
とにもかくにもコロンブスは大航海時代を切り開いた人物なのです。これにより世界はぐっと変化します。
そう言った意味で歴史の中心に位置するのではないのでしょうか。
コロンブスの大陸発見後、パスコ・ダ・ガマが世界1周し、コロンブス以上にいろんな発見をしますが、所詮は2番煎じ。知名度ではやはりコロンブスにはかなわないってことですね。

長文すみません。
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます!
推測としてはしっかりしていて納得させられました。
初めての事をやった人は永遠と語り継がれるんですね。コロンブスって言う名前を覚えやすいですし。
関係ないですが、二番煎じという言葉頂きます!(笑)

お礼日時:2005/01/14 22:09

こんにちは。



大陸を発見したというのはものすごい偉業だと思うのですが。
船でどんどん行けば誰でも見つけられたのではないかと思いますが、それをやろうと思い立ったことと、船旅を続けた勇気は当時としては称賛に価すると思います。
(別にコロンブスファンではありません)

それと、良いことをしたことだけが歴史に残るわけではありませんので、黒人奴隷制度は歴史上の大きな事件ですし、新大陸を発見するという偉業を成し遂げたにもかかわらず、それをアジアと勘違いしたまま死んでしまったというのも充分な話題です。

私はコロンブスが特に歴史の中心にいるとは思わないのですが……。
すっきりと謎を解決するに至らなくてすみません。
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この回答へのお礼

いえいえ、回答してくださるだけでもありがたいです。
もちろん大陸を発見したのは凄い事です。でも、遣隋使とかの時代にはもうすでに海を隔てて大陸を発見してるんですよね~。なんでこんなにも有名なんですかね?
回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/14 21:47

別に良い行いをした人だけが歴史に残る訳ではありません。


悪い行いとして歴史に名を残す人もいます。

コロンブスがアメリカ大陸に到達した最初のヨーロッパ人であり、
そこからインディアンの住むアメリカへの侵略が始まったのですから、
それなりに大きな事をしたのは事実でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
うーん、でもちょっと腑に落ちないと言うか・・・。テレビで見るかぎりだと、「いいもん」に写ってるんで。でも大陸でも発見する事は凄い事ですよ!

お礼日時:2005/01/14 21:43

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この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
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Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む

Q「充分」と「十分」の使い分け教えてください

題名のとおりですが、どう使い分けるのか知りたいです。

たとえば、「私はじゅうぶん満足した」のときは、十分でいいんですよね???

どちらをどう使い分けるのか教えてください。

Aベストアンサー

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。
☆この二つの文字の違いは何か?
【十】:1・2・・・・・・と来て数が満ちる。
  原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。
     九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。
     更に9+1は十分大きい ⇒ 数が足りている状態。 
  ☆数詞、段階を踏むデジタルな思想です。
【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。
  原意:長い、高い から 成長した大人、肥満、肥大、振る舞う、 
     などを意味するようになり、現在に至っています ⇒ 充ちる(満ちる)。
  ☆基本は動詞、切れ目なく満ちる、満たす、果たす、アナログ的思想です。
【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。
  【十分】の発音はshi2fen1   【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。
  【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 

さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。
 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。
 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。
    としたいところです。
  
【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。
 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc)
ついでに、
  「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。

いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
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QDoとDoesの使い方

DoとDoesの使い方がよくわかりません。
それで、問題集をやっていたのですが、
( )Mark and judy study jyapanese?
の質問文の( )に入るのはDOとDOESどちらですか?
私はdoを入れたのですが、なんとなくでよくわかっていません。
どなたか、英語がものすごく苦手な自分にも分かるようにDOとDOESの使い方を教えて下さい!お願いします。

Aベストアンサー

簡単ですよ。難しく考えないことです。
 
主語が「I」と「YOU」以外の単数(一人、一つのもの)ならDoesを使います。これだけです。 

 ・主語が単数(一人、ひとつ)ならDoesで、複数(二つ以上)はDoです。
 ・「I」と「You」は例外です いつでもDoです。

この場合主語はMark and Judy(二人)で複数ですから、正解はDoです。

 中1で完全にわかることは難しいので、このくらいの覚え方でいいと思いますよ。あきらめずに続けていれば、だんだんとわかります。たくさんの例文を暗記していくと、はじめ質問者様のように、混乱することもありますが、あきらめずに暗記を続け、文法問題を少しずつこなしていくと整理がついてきます。気になったら学校の先生にすぐ教えてもらうことです。一番安くて身近ですから。
頑張ってください。

Qコロンブスが新大陸を発見しましたが、スペインにどのような変化を与えたの

コロンブスが新大陸を発見しましたが、スペインにどのような変化を与えたのか。

また、現在のスペインにどのような影響を与えたのかを知りたいです。

Aベストアンサー

コロンブスエクスチェンジ(交換)という言葉があります。
この言葉で検索してみてください。

コロンブスによってユーラシア大陸とアメリカ大陸で交換されたものがたくさんあります。
アメリカ大陸から持ち帰った有名なものは
・ジャガイモ
・トマト
・唐辛子
・カボチャ
・煙草
などです。

イタリア料理がトマト料理のようなイメージがありますが、イタリア料理にトマトが取り入れられたのは200年前です。

中国や韓国料理で唐辛子をたくさん使いますが、これもコロンブスのおかげで比較的新しい文化と言えます。

肝心のスペインですが、影響としてはいち早くアフリカ経由でインド航路を開拓したポルトガルに対抗できる新たな富を得る航路を手にして国が発展したということでしょう。
文化についてはよく知りません。

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。


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