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美濃国守護の土岐氏は、清和源氏の足利氏と同族の新田氏両者が闘った南北朝時代、帝に背いた勝利した足利氏に組して美濃国守護職を得た氏族ですよね?
明智光秀が足利氏に従った土岐氏の庶流だとしたら、朝廷や帝に謀反を起こすことも考えられませんか?
本能寺の変では主君である信長を殺していますが、信長はこれ以前に将軍家である足利氏を追放しています。つまり、将軍職は空席です。
本能寺の変の後、明智光秀は朝廷に金を送り自分を征夷大将軍に任命するよう要求しています。
もし、誰も明智光秀を撃ちに来なかったら、明智光秀が天下を取っていたなら、世を二分した南北朝の闘いになったのではないでしょうか?
南北朝時代、足利尊氏は帝に逆らい、帝側についた新田氏と闘い、勝利しています。

A 回答 (2件)

想像や推測するのは、言論の自由なので、どうでも良いのですが、


足利市民の為に、一言、足利尊氏が帝に逆らったのではなく、帝が世の流れに逆らったから起きた事です。
最初に新田、楠に負け九州に落ちて行きました、その時、負けた方の足利尊氏に、多くの武将達が付いて
行きました。
鎌倉幕府を倒して朝廷に返上しましたが、世の流れを無視した、天皇は貴族達に向けた政策ばかり行い、
戦った武士達には、論功行賞などをほとんどしませんでした、不満が起きるのは当然のことでして、
戦いが始まりました。
勝った側にいた武将達の中に、あれ!?尊氏さんが我々の為に戦っているじゃないのと気付いて、
尊氏の後を追ったのですね。
こうなると、体制を整えるのは容易で、大勢力で尊氏は反撃に出ました、もう勝負にはなりません。

明治政府が天皇の権威を高める為、足利尊氏を全国規模の反逆者に仕立て上げたのです。
NHK大河ドラマで太平記が放映されるまで、足利市民は長きに渡って肩身の狭い思いをしていたのです。
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憶測に憶測を何度も重ねた、小説のような質問に、意味はあるのでしょうか?

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