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なぜ公地公民制から土地の私有をみとめるようになったのですか?

A 回答 (4件)

この問題は、一冊の本が書けるくらい複雑な問題です。

長文になってしまいましたが簡単に説明します。
これでもできるだけ短くしたつもりです。申し訳ない

古代の農民負担の一つに「出挙(すいこ)」があります。
国が貧しい農民に5割の利息で種もみを貸し出す制度です。
この制度がいつの間にか「強制的に貸し出す」という風に変わり、国司や役人の私的な収入になりました。
また班田不足が激化し、実際は耕作できないような土地を与えられ、さらに農民は労働意欲を失い、
寺社や出挙で私腹を肥やした有力者のもとに逃げ込みます。

その結果、耕作者を失った班田は荒れる一方、土地を持たない浮浪農民は増加します、
この時、国が出したのが有名な「三世一身の法」です。
こうして国が中途半端に「班田の増加」を狙ったため、事実上土地の私有が始まってしまったのです。
本当は荒廃地は、一身で国に返すはずなのですが、この方が出た20年後に「墾田永年私財法」が出ます。
その中で「三世一身を論ずることなく私有してよい」と書いてあります。
これが、制度上の荘園(私有地)の始まりです。

簡単に言えば「有力者が税負担を逃れ浮浪化した農民を使って、荒れてる班田を耕し私有した」ということです。
なぜ国は、黙っていたのかと言えば、国は税収が減らなければ、地方がどうなっても気にしなかったからです
そんな国のやり方に怒って、新しい土地支配体制を作った、現地の支配者を武士と呼び
その支配者たちに支持され鎌倉幕府ができました。
ちなみに支持を失ったのが平氏でうまく続けたのが北条氏です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2020/06/20 21:34

もともと公地公民というのは、現実を無視した絵空事だったのです。


本場の中国でも完全実施できませんでしたが、日本はもっとひどく、最初の班田収授でも与えるべき班田が不足していました。
そこで現実を直視して、民間資本を導入して耕作地を増やそうと土地の私有を認めたのです。
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土地が、天皇や国の持ち物だったんだけど


日照りや干ばつ!水害などで
農業がしづらくなると

田畑の整備をするより
農耕しやすい土地に人が流れてしまうので

定まった税収が取れなくて困ったからです

あくまでも、借り物の土地だから
手入れするくらいなら
破棄してしまいますもんね

自分の土地になるなら
手入れして
少しでも多く、収穫しようと努力しますもんね

ここら辺の理由だと
思われますよ


あくまでも過去の話なんで
正確な答えではないですけどね
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人口増による食糧不足を補うに開墾を勧める必要があったため

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