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私は当時首都圏で走っていた高台の103系の電車の前展望について聞きたいことがあります。

あの電車は今はもう走っていませんが、103系は前方を見ることができたと思うんですが、ただあの車両は前が見えても運転手が見えないのと運転手が見える車体があるようですが、あれってどんな構造してるんですかね?

「私は当時首都圏で走っていた高台の103系」の質問画像

A 回答 (4件)

余談



仙石線の72系は103系後期型に車体だけ更新されてモハ72形970番台・クハ79形600番台になり、吊り掛けのまま走っていました。
http://www.filmscan-print-s.com/0151-SENSEKI-01. …

後に床下機器を103系のものに変更して新性能化され、103系3000番台になり、川越線などに転属しました。国鉄が旧性能車を新性能かしたのは珍しいことです。
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こんにちは。



高運転台の103系は、山手線や京浜東北線で導入する車内信号方式(CS-ATC)に対応すべく、機器搭載するスペースを確保した後期車です。
当時のATCは大型でスペースを取るので、床下だけで収まらず運転士の背面の窓を潰して制御盤や機器を搭載していました。

ただ、並行して、中央・総武緩行線向けなど同じ高運転台にも関わらず、CS-ATCを最初から搭載するつもりでない車両も作っていました。それらはスペースがあるので客室を広げ、運転士背面に窓を設けていました。

乗務員室のドアと第一ドアとの間に、戸袋窓がありました。

同じ車体でも上記のような違いがあり、質問者様の今回のご質問に繋がる内容になります。

同じ車体の仕様違いとなります。
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ATCユニットの収まっている車両(ATC車)は高い窓です。


窓下の銀色の横帯が目印です。
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背の高い制御盤客室側の壁にあり窓を小さくしていました。

盤の位置の違いだと思います。
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