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世界史に詳しい方教えてください

第一次世界大戦前の国際状況で、
イギリスはロシア対抗を目的に日本と日英同盟(1902)を結びつつ、ドイツ対抗を目的にロシアと英露協商(1907)を結んでいた。この時戦争が起こらなかったのはイギリスの立ち回りがうまかったのかな、と思ったのですが、調べたところ日英同盟は3回にわたって結ばれて、だんだんロシア対抗からドイツ対抗に目的が変化していったと書かれていました。そのため、その後英露協商を結ぶことで筋が通り、戦争は起こらなかった、と考えていいのでしょうか?

A 回答 (2件)

>日英同盟は3回にわたって結ばれて、だんだんロシア対抗からドイツ対抗に目的が変化していったと書かれていました。

そのため、その後英露協商を結ぶことで筋が通り
ここまでは、ざっくりと言ってしまえばそうですね。
ドイツはビスマルクの外交手腕により、フランスに対して包囲網を敷くことで安全を確保していたのですが、後を継いだヴィルヘルム2世はそれをひっくり返して、フランス・ロシアと接近してイギリスと対抗しようとしました。
その一方で海外に植民地を求めたため、フランス・ロシアとも対立していくことになります。

日露戦争前から世界1位の海軍力を持つイギリスは、海軍力で2国標準主義を取っていました。
2位のフランスと3位のロシアよりも強力な海軍力を保持し、イギリスの覇権を守ろうという考えです。
日清戦争の三国干渉の国が1位以外の上位を占めていましたのですが、ドイツはまだ出始めという感じですね。
日露戦争によりロシア海軍は壊滅してしまい、3位の国はドイツとなりました。

日露戦争直後の1906年に、イギリスでドレッドノートという1隻の戦艦が竣工します。
この戦艦は今までの戦艦とは異なり、単一巨砲を多数搭載し攻撃力が倍増し、蒸気タービンの使用により従来の艦よりも高速を発揮する画期的な艦です。
ドイツ海軍が勃興してきたため、イギリスは一挙に差を開こうと建造したのですが、当時、イギリスを含めて他国が持つ戦艦を全て旧式化させてしまいました。
即ち、どの国も海軍力に対して同じスタートラインに立つことになってしまい、イギリス海軍の意図は逆になってしまいました。
イギリスとドイツの建艦競争はここから再スタートとなります。ドイツは植民地獲得の手段として大海軍を作ることになりました。

また、ドイツ陸軍の軍人でシェリーフェンという人がいて、対仏対露の2正面作戦を考え、それがシェリーフェンプランと言われている作戦計画がありました。
ドイツはベルギーやオランダ、ルクセンブルクを侵攻路にしてフランスと早期決戦をして、フランスを屈服させた後ロシアを叩くという作戦でした。
軍事作戦の計画ですから当然軍事機密な訳だったのですが、各国に漏れていてベルギーやオランダ、ルクセンブルクは恐怖していたと言います。
また、シェリーフェンプランは軍事的な側面から発案されており、政治的な側面は一切考慮されておらず、ベルギーやオランダに侵攻した場合どの国が支援するのかも考慮していませんでした。

また、バルカン半島周辺では1912年にイタリアとトルコが戦争をしており、1913年には第2次バルカン戦争が発生しバルカン諸国側とトルコが戦いバルカン諸国が勝利しています。
決して戦争が無かった訳ではなく、小さな戦争は起こっていて、戦争が無かったわけではないです。
このバルカン半島が第一次世界大戦の切っ掛けになったと言われるのですが、諸説有り現在でも研究が行われています。

他にもまだまだあるのですが、その中で1914年6月27日にサラエボ事件が起こり、本格的なドイツ-ロシアの開戦8月1日まで1ヵ月程あるのですが、外交交渉は上手くは進まず、ヨーロッパ列強各国の動員(戦争準備)だけが進行することになります。
ドイツ・オーストリア・イタリアは三国同盟を結んでいたのですが、その前にイギリスと秘密協定を結んでいて戦争参加には微妙でしたが、ドイツ・オーストリアはそれを知りませんでした。
この動員令(戦争準備)が止まることなく各国で続いてしまったあたりは、前述のシェリーフェンが墓の中から戦争の引き金を引いいたと言われているところです。
20世紀初頭ののヨーロッパは、何時大戦争になるか判らない状態の中、たまたま大きな戦争にならなかったと私は考えますが、これが本当かは判らないです。

WW1でもそうなのですが、歴史は調べると調べるほど本当に判らなくなります。
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この回答へのお礼

確かに、調べれば調べるほど分からなくなりますね...本当のことなんて分からないし... でも、おかげでもやもやしてたところがスッキリしました!とても丁寧に詳しく書いていただき、ありがとうございますm(__)m!!

お礼日時:2020/06/28 17:43

クリミア戦争に敗れたロシアは、バルカン半島方面の南下政策を断念し、極東方面の南下政策に注力します。

アヘン戦争・アロー戦争に便乗して清の味方の振りをして外満州を清から獲得します。さらに露仏同盟による仏の技術支援・資本支援を得て内満州への進出を加速させ義和団事件に便乗して内満州への軍事駐留を正当化します。そうした様に驚いた英が日本をそそのかして露を牽制しようとしたのです。日露戦争に仏が参戦するなら英も自動的に日本側で参戦すると宣言して仏参戦を牽制しようとしたのが日英同盟の意味なのです。果たして日英同盟に勇を得た日本は露との戦争に踏み切り、仏は自重し露は敗北します。仏は自重したことで英仏協商にこぎつけます。露も日露戦争の敗北で極東方面の南下政策を断念したことで英との利害対立がなくなり英露協商が結ばれたのです。そうして三国同盟を包囲する三国協商が完成しました。露の標的が極東方面に移った鋤に着々とバルカン半島方面の進出を企んだ独の思惑は、日露戦争での露の敗北で破綻したのです。また露封じ込めの為に結ばれた日英同盟は、目的が変質して独封じ込めのために三国協商と同様の性質に変わっていきました。
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この回答へのお礼

なるほど...!!よく分かりました〜!!
ありがとうございますm(__)m

お礼日時:2020/06/28 17:40

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