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昭和17年のミッドウエー海戦の大敗北で、もし講和を結んでいたら、東京大空襲も、広島・長崎の原爆も沖縄戦も無かったですよね?

A 回答 (5件)

どうだろう。

あの時点でアメリカが講和に応じるかはどうかはさておいて、そもそも太平洋戦争の相当前からアメリカは日本を叩き潰そうと画策していた。特に中国大陸の権益問題が大きな要因だったわけで、日本が大陸から手を引かない限りはやっぱり潰しに来ていたんじゃないかと思う。
 だとしたら結局東京大空襲も沖縄戦も広島・長崎の原爆も現出していたのかもしれない。
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ミッドウェー敗戦後にはもうどうしようもなかった。


「たら」があったのは、
朝鮮併合と満州国。
この二つはやるべきでなかった。
両方とも日本はお金をつぎこむだけで何のメリットもなかった。
とくに朝鮮併合は百害あって一利もなかった。
満州国はアメリカの石油禁輸につながる大失態だった。
関東軍の暴走を許してしまった。
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講和てのは、勝っているとき、優勢な


ときに締結するものです。


それはとにかく、日本が講和したくても
米国がウン、と言わないでしょう。

米国は戦争したくてしょうが無かったのですから。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕
31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。

こんな米国が、易々と講和などするとは
考えられません。





もし講和を結んでいたら、東京大空襲も、
広島・長崎の原爆も沖縄戦も無かったですよね?
 ↑
講和がなっていればね。
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そうだね ついでに真珠湾を攻撃しなかったら、ABCD包囲網がなかったら、統帥権干犯騒ぎを軍部が起こさなかったら明治維新がなかったら

・・・
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まあそうですけど、米国にとっては、「これからは俺たちが反撃する番だ!」って意気込んでいるわけです。


米国にとっては、その時点で講和をする理由は無かったですからね。
日本としても、それまでは勝利が続いていて、国民にはその大敗北は隠していたわけですから、その時点では講和って話は出せなかったでしょうね。
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