プロが教えるわが家の防犯対策術!

 こんにちは。私は法政大学の哲学をB方式(国語と小論入試)で受験しようと思います。私にはソコしかなくて、何が何でも受かりたいと思っています。

 と、いうわけで、課題のゴルギアスを必死に読んでいるわけですが・・・本番でどのように問題がでるかとか分からないし、大学側がどうして「ゴルギアス」を課題にしたのか(何を私たちに理解してもらいたいのか)がわからないので、見えない相手に四苦八苦しています。

 受験経験がある方、詳しい方、おなじ立場の方の意見おなちしています。

 ・・・という文を大学のカテゴリに載せたところこちらの方が良い回答がでるのでは・・という意見を頂いたのでこちらにのせることにしました。

 過去の質問をみると「正しいってどういうこと?」「どういう風に生きたらいい?」というのが議論と書いてありました。・・つまりそういうことなのでしょうか?

 大学は私たちにゴルギアスを読むことで、上の二点について考えさせたのでしょうか。やっぱりまだ理解できません。経験者の方やゴルギアスを読まれた方意見お願いします。

 ・・なんだか哲学や倫理を読むようになってから、自分の行動一つ一つを疑問に思うようになりました。何も考えなかった時の方が楽でしたが、今の方が私にとって善いことをしているような気がします。

 でも考えても考えても答えって出ないんですね。

A 回答 (4件)

昔、ゴルギアスを読んだことがある者です。



ゴルギアスは、プラトンの初期対話編の一つだったと思いますが、プラトンの初期対話編の大きな特色であり、かつ魅力的なのは、ソフィスト(弁論術に長けた者)と哲学者(ソクラテス)の論戦です。

ゴルギアスの場合で言えば、
 ゴルギアス:ソフィスト
 ソクラテス:哲学者
です。

ソフィスト達とソクラテスの、一番の大きな違いは、物事を考えるときの『考え方』だと思います。ソフィストは、相手を弁論によって打ち負かすための思考とその実現への技術を磨くのに対して、ソクラテスは、ソフィスト達の弁論が成り立つところの、その原因、つまり彼等が物事を語る上で『前提』としていることに対して、徹底的に問う姿勢を持っています。

少々悪い例かもしれませんが、何か出来事があったとき、そのことについての善悪を考え、自分の意見を述べるということは、ソフィストの行為です。今の時代でも、新聞、雑誌、テレビ、あらゆる媒体で、政治家やコメンテイターを通じてそのような行為を見ることがあるでしょう。
それに対して、ソクラテスの議論の核は、物事の善悪を考えるのではなくて、物事を善悪のどちらかで判断するところの、善悪そのものを問うものです。つまり、そもそも善とは何か、悪とは何か。

そして、世の中に起こる事象についての善悪は、すべて時代と共に移り変わるものであるのに対して、時代の影響なく、善そのもの、悪そのものを問い、考えようとするのが真理を探究する行為であり、哲学だ、というわけです。これが、プラトン初期対話編に見られるソクラテスの一貫した姿勢だろうと思われます。

たしかゴルギアスの場合は、最後、ゴルギアスとソクラテスの、お互いの主張ではなく、『議論の進め方』について、互いの問題意識の違いを確認しあったという形で終わっていると思います。(正確ではありません)

大学側の意図はわかりませんが、ソクラテスとソフィストとの対比という点に焦点を置いてみると良いのではないでしょうか。そこに、ソクラテスの戦いの姿を見ることができると思われます。

ちなみに、哲学とは、問うものであって、勿論そこに答えを導き出すということも含まれますが、むしろ、答えへの考え方、問い方を、さらに深く考えるものだと私は思っています。答えを出すためだけに偏ってしまうなら、それは哲学ではないかもしれません。プラトン前期対話編のなかで、ソクラテスは、何か明確な一つの思想、『答え』のようなものは、ほとんど語っていないように思われます。

参考書としては、藤澤令夫の『プラトンの哲学』(たしか岩波新書)を読むといいと思います。新書で読みやすいですし、(内容は深いですが!)プラトン哲学の全貌を学ぶことができます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。とてもためになる回答でした。試験前に見るべきでした・・。

 予想外の問題につまずいてしまい、落ち決定です。哲学の勉強したくてしかたないです。。本当にくやしいです。

お礼日時:2005/02/08 13:45

「何も解っていない」んですって。



このぐらいしか憶えが無くて、スミマセン。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 何も解っていない・・とは!?ソクラテスがですか?記憶をたどっていただいてありがとうございます。何か思い出したらまた書き込んでもらえるとありがたいです。

お礼日時:2005/01/20 13:24

corpusです。

先のことを最初に言ったのはニーチェだったと思います。哲学の先生(永井均)が、ゴルギアスの誤謬を見破られたら哲学的センスがあるといえると言っていて、永井均の著書「<子ども>のための哲学」に善悪についてのところで、特にゴルギアスの名前は出ませんでしたが、それらしきことが書いてあったので、そうではないかなと思ったわけです。もちろん、他の読み方もあるので、一概には言えないのですが。
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この回答へのお礼

今から本屋さん行って探してみますね。

 No・1の話なのですが、それって「偏見」という言葉でくくってもかまわないんでしょうか?

偏見が悪い=啓蒙ですか?それとも、その辺の思想とはからませない方がよいですかね。

 corpusさんの返信には大変感謝しています。哲学関係はすべて独学なので勘違いしている所が多々あると思います。その際は注意してやってください。

お礼日時:2005/01/20 13:20

ゴルギアスは弁証法をつかっているんですよね。

ソクラテスは、それに対して、反論しているわけですが。
うろおぼえですが、よいーわるい、には、好きー嫌いという個人の感情と道徳的に善いー悪いの2種類があって、それを混同して使っているからソクラテスはおかしいのだということではなかったでしょうか?
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 ということはそれがメインテーマではと、corpusさんはお考えですか?

お礼日時:2005/01/19 21:14

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