ネットが遅くてイライラしてない!?

飛鳥時代で中大兄皇子は王族中心の中央集権を目指した。

王族ってどういうことでしたっけ?
天皇系ってことですか?

では蘇我氏はいったい何者なんですか?

A 回答 (6件)

王族とは、天皇継承権を持つ範囲くらい。

だいたい天皇の兄弟姉妹、おじさん、従弟従妹くらいまででしょうか。
蘇我氏は畿内の豪族です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/07/19 16:32

天皇は昔は「大王(おおきみ)」とよばれており、天皇という呼称はなかった。


推古天皇も当時の呼び方に従うなら「推古大王」である。
(もっとも「推古」は諡だが)

天武天皇の頃にはすでに「天皇」のようだが、大王がいつ天皇になったのかは確定していない。
新しい資料が発見されるごとに年代が遡ったりして、まだ証拠が不十分である。
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あなたの知識の程度が不明なので、どこまでお話しして良いのかわかりません。


とりあえず、できるだけ簡単にしてみました。


A:>飛鳥時代で中大兄皇子は王族中心の中央集権を目指した。

飛鳥時代で とか、日本語が不自由な方なのでしょうか。



B:>王族ってどういうことでしたっけ?
C:>天皇系ってことですか?

B→どういうこと とは、どのようなことなのかわかりません。
C→天皇系 とやらの意味も不明です。
回答を求めるなら、自分の中で主旨を明確にしてからにして下さい。
私は、意味も定かでない垂れ流した思い付きや造語を、推理や忖度してまで答えてあげる気はありません。

当時は、まだ天皇という呼称は生まれておらず、大王(おおきみ、大君)と呼ばれていました。



D:>蘇我氏はいったい何者なんですか?

回答:当時の有力豪族のひとつです。

出自は、孝元天皇(8代)の子孫の武内宿禰となっています。
彼らは半島や大陸との外交を受け持っており、渡来人との関係も持っていました。
彼らは自分達の手で仏教を導入して広める事によって、影響力を広げようとしました。
その為に、蘇我氏は仏教を支持する王族を支援する事によって、権力を伸ばしていきました。
ヒント:聖徳太子


蘇我氏は、前述の方法で天皇に影響力を持つ事で権力を得ようとしていましたが、自分達が天皇(大君)になろうとはしていなかったと思います。
当時でも大君には王族しかなれない事になっていました。


蘇我氏が排除された理由ですが、仏教は当時は新興宗教でした。
一方で、各豪族は日本古来の神の子孫を名乗っていました。
なので、仏教やそれに付随する外国文化の流入による急激な変化に拒否反応を示す者はそれなりにいました。

大化の改新で中大兄の皇子を支持したのは、蘇我氏の増長を快く思わない者や、それらの保守派(?)でした。


誤解している方が多いようですが、大化の改新で蘇我氏は滅んではいません。
改新では蘇我蝦夷ー蘇我入鹿の系譜が絶えただけです。
蝦夷の兄弟の系譜は後の天智天皇の側で仕えたり、娘を妃に出しています。
「飛鳥時代で中大兄皇子は王族中心の中央集権」の回答画像4
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たぶん 中央集権などは目指していなくて、単に勢力争いで独占したかっただけだろうと思います。


主流からはちょっとずれた血統の葛城が野心を抱いて主流や主要人物を攻撃しただけだと思います。
政治、支配体制でいうと、それまでは、部族制というか、首長制というか、豪族連合のような状態だったですが、その状態はまだしばらく続きます。 近畿、北陸、東国(尾張や毛野)、中国、四国、九州にもいろいろな勢力がいて、それらの勢力をヤマト政権が支配下にできたわけでではないです。 ただ、各豪族は戦乱に明け暮れていたのではなくて、婚姻関係を造ったりしながら平和的協調と交易によるメリットも享受していたのです。 国、県のような名称を広範囲につけて認識を共通化し、扱いを単純化する動きは、もっと以前から行われています。 たぶん、そうした動きの中で、制度の標準名詞も広範囲になりつつあったのだと思います。 改新の詔では、「郡司」という役職の官吏をおく(「群」という行政組織を設ける)となっていますが、そのようなものは8世紀まで置かれませんでした。あったのは「評(こおり)」と呼ばれる地域社会でした。

中大兄(本名・葛城)には、沢山の親族、血縁関係者がいますが、それを言い出すと、あっちこっちに関係者は多くて、無関係のものがいなくなります。 奥さんみたいな人だって4~5人はいて、子もそれぞれだし、競って婚姻関係を中央、地方で作りまくる、王族というのを、どこまで考えるかになります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6 …

蘇我氏だろうが、藤原氏だろうが、継体だろうが、なにものなのかは、分からないです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93 …

発想を変えて、強いものは自分を強くし、正当化すると思った良いです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AD%A6 …
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蘇我氏は、聖徳太子とともに天皇中心の国づくりをしていた人です。

聖徳太子が亡くなった後、蘇我氏は天皇になろうとした。だが、中大兄皇子と中臣鎌足が簡単に言うと殺します。それを大化の改新といいます。間違ってたらすみません
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天皇系ってことですね。

天皇という呼び方は初代からあったわけではないので。

蘇我氏は有力豪族のトップですね。王家の外戚でもあるし。
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