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「校則を作らないと秩序が保てない」は本当ですか?
「偏差値の高い学校の生徒は縛らなくても秩序を保て、偏差値の低い学校の生徒は縛らないと秩序を保てない」のような考え方の下で「偏差値の高い学校は校則が緩い」と言われているのですよね?
あくまで主観的な話ですが、私の周りの偏差値の高い学校はそこまで校則は緩くありませんし、私の周りの通信制高校(偏差値が低い)も校則はありませんが、全く荒れていません。それどころか縛られない分生徒が生き生きしている様です。「作らないと秩序を保てないから作る」なんて建前で本当はただ教師が生徒を支配下に置きたいから作っているだけなのではないでしょうか?ここまでは私の主観ですので、皆様のご意見を頂きたいです。

質問者からの補足コメント

  • ここでいう「校則」は服装、髪型などの法としての合理的な理由を欠いた規則に限ったものであり施設利用に際しての決まりや、生徒間での接し方の決まり等は必要だと考えております。

      補足日時:2020/07/25 08:59

A 回答 (19件中1~10件)

ありがとうございます。


十分回答になっていると思われます。

全くもって仰る通りです。
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回答ではなく確認です。


秩序とはどういう意味ですか?

例えば、『黒髪を強制する』という校則を導入した場合、髪の毛の色は黒に統一されます。
色の統一性をもって秩序と言うなら、秩序はこの規則がなければ保てないでしょう。
(実際、日本人は生まれつき黒髪以外もいますし、そもそもハーフや純粋な外国人の子もあり得ます。)

しかし、このような規則を導入した場合、
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/black-kou …
このサイトを参考にすれば、イジメが増える可能性があるとのことです。(確定情報ではなく、あくまで可能性です。)
つまり、イジメをしないという秩序は保てなくなります。

また、このような校則で育った人間は数十年後
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-10128 …
「金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせる」
などという差別的な考えを持つ可能性が高くなります。
つまり、差別意識を少なくするという秩序は保てなくなります。

貴方のおっしゃる秩序とは一体何でしょうか?
あくまでも確認ですが、お願いいたします。
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この回答へのお礼

秩序とは「その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」の事です。
そして、望ましい状態というのは「生徒の幸福が保たれた状態」の事です。
「生徒の幸福を保つ」というのは法の目的でもあります。ですので「黒髪を強制する」のような法としての合理的な理由を欠いた法は作るべきではありません。茶髪や金髪だったからといってそれだけでは他の生徒の幸福を妨げはしないでしょう。貴方の望む回答となりましたかね?

お礼日時:2020/07/25 22:05

確かにそういう側面はあると思います。


偏差値が高い学校に通えるような子なら家庭で行われる躾もしっかりしているということで、あれはダメこれはダメといちいち校則で指定してやらなくても自然と常識的で地域にも恥じない行動や身だしなみになるのではないでしょうか。

厳しい校則ってのは、親がサボった躾の肩代わりという側面があるのかもしれません。

紳士としての嗜みがあれば、「紳士たれ」の一文で済むのでしょう。
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この回答へのお礼

「偏差値が高い」の程度にもよりますけどね。
地方の進学校レベルだと中流家庭出身の生徒がほとんどなので校則が緩いとは感じませんね。都内の私立進学校なんかだと躾の厳しい環境で育った生徒も少なくないのではないでしょうか。

お礼日時:2020/07/25 16:03

no12です


質問者の他の人へのコメントを読ませていただいて、質問者のおっしゃりたいことある程度わかりました。
アメリカに住む「日本人の友人」が言っていました。日本の校則の中には「人種問題」になるものもあるよと
アメリカでは「校外指導」などありえないし「頭髪検査」をしたら「裁判所に訴えられる」と笑っていました
確かに「髪型」や「装飾品」の規制は「個人の自由」を奪うものという見方もできます。
「学校が責任を持つべきは生徒の学力であり、それ以外の規制はおかしい」というものです。
質問者の方も「ここでいう校則は服装、髪型などに限ったものであって」と言っていますが
実は、そこが大きな問題を含んでいるのです。「規制の線引き」問題です

首都圏の公立高校が「生活指導は止めよう」といった動きが出たことがあります。
生徒は「自由」であるべきだとして、「制服」「髪型」などの規制を廃止した学校が増えました。
その結果「私立高校」のレベルが急激にアップし「公立はだめだ」とまで言われるようになりました。
今私立で「20年くらい前、急に伸びた」学校はそうした学校です。
一方「荒れる公立高校」などと週刊誌が特集しました。
同じ雑誌が数年前には「自由や個性を無視したがんじがらめの日本の高校生」といった論調でした。
つまり高校も週刊誌も「お客様のニーズ」で成立しているわけです。

「作らないと秩序を保てないから作る」なんて建前で
「本当はただ教師が生徒を支配下に置きたいから」という見方は
そうした週刊誌と同じように、現実の問題を、自分の作った結論に誘導していると思えます。
何らかのデータに基づいた話ではない、自分の経験や感想だと思います
特に「本当は」という以降の文は「実証性に乏しい結論」です。質問者の思い込みが結論となっています。

日本では多くのことを学校がするようになっています。「部活動」などというものもその一つで、
いつの間にかほとんどの部活動が「全国大会」を目指し「苦しい練習」をするようになりました。
素人の先生が「顧問」という名で「指導」するなんておかしな話です。
そんなこと「クラブチーム」の「プロコーチ」がやればよいのにというのが普通の感覚だと思います。
でも「ニーズ」があると「文科省」も「現場」もそれに応えなければ「怠けている」という批判にさらされます
その結果「お客さん=生徒・保護者」はそうした高校に行かなくなります。

私は「規制はおかしい」という質問者の考えも一つの主張だと思います。
ただ「どこまで規制をすべきか」という線引きを、理想論でなく現実論として考えない限り
「教師が」とか「日教組が」といった「方向違いな責任転嫁」が行われると思います。
そして「その間違いをただす」という名目で新しい規制が始まるのです。
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この回答へのお礼

「本当はただ教師が生徒を支配下に置きたいから」というのがあくまで私の主観に基づくものである事は質問文でも強調しているところです。
まぁ私からしてもそういった法としての合理的な理由を欠いた法が「何故存在するのか」ということはあまり興味はなく法としての合理的な理由を欠いた法が「存在するのは良くありませんよね」ということの方を言いたいのです。ですので蛇足でしたね。
「まだ」高校生なのだからとか言っている回答者の方もいらっしゃるように日本ではまだまだ学校に任せっきりで自己責任の概念が浸透していないのでしょうね。「お客様のニーズ」が自然に変化して行くのを待ちたいところです。

お礼日時:2020/07/25 12:11

校則を厳しくする=が先生のいうことよくきく。

とはならないでしょう。
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この回答へのお礼

「校則を厳しくする=先生の言う事を聞くとはならない」について、
校則が厳しければ生徒は罰則を受けないように先生の言う事を聞きますよ。当たり前ですよね。

お礼日時:2020/07/25 09:56

「校則を作らないと秩序が保てない」は本当ですか?


 ↑
そんなことは無いでしょう。
ワタシは、校則など見たことも
調べたこともありません。
教師から、校則の説明を受けたことも
ありません。
手帳を渡されただけで、一度も読んだことは
ありません。
鼓腹撃壌です。




「偏差値の高い学校の生徒は縛らなくても秩序を保て、偏差値の低い学校の生徒は縛らないと
秩序を保てない」のような考え方の下で「偏差値の高い学校は校則が緩い」
と言われているのですよね?
 ↑
法律と同じで、日本のように治安が良い国の
罰則は軽いが、治安の悪い国の罰則は厳しいのです。




「作らないと秩序を保てないから作る」なんて建前で本当はただ教師が
生徒を支配下に置きたいから作っているだけなのではないでしょうか?
 ↑
法律にしてもそういう面があります。
支配者が、人民を支配するタメの道具です。
腕力で支配してもよいのですが、それだと
不安定で永続きしません。
法制化すると、安定し、永続きします。
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秩序とは本来、規則や法律によって成り立つものではありません。

その組織の構成員それぞれの意識の持ち様と価値観によると思います。規則や法律は、本来、構成員の価値観がバラバラである時に、価値観を統一するために示される方針や指針でしかないと思います。
以前、当時はかなり前衛的だった会社内のあるシステムを構築維持管理する立場にいたことがあります。その様なシステムに不慣れな社員が多く、システムそのものの必要性について社内の意識も統一されないまま運営を任せられたので、随分、苦労しました。細かな経緯は省きますが、私はそのシステムの利便性と有効性を全社員に理解した上で協力してもらうべく奔走しておりました。そんな時に、ある上司が大真面目に「しても良いこと、してはならないこと、などを全て紙に書き出してはどうか。」等と無理難題を言ってきたことがありました。その時、私は大きく落胆しました。みんなが、そのシステムが必要だと感じ、守っていきたいと考えていたならば、細かなルールなどは不要だからです。そのシステムは稼働したものの、思った通り、社員から充分な理解と協力を得ることに時間がかかり運営を続けるのにはかなり苦労させられました。投稿を拝見して、当時のことを思い出し色々考えさせられました。
質問者様は、偏差値とおっしゃっておられましたが、それは学業の成績などではなく、組織としての意識の高さや価値観の統一性の偏差値なのかな、と思いました。仮に、全生徒が伝統まで含めてその学校を愛し誇りに思い、守り続けたいと願っていたならば、恐らく細かな校則などは必要ないでしょう。また、全生徒の価値観がほぼ同じなら校則などまったく不要であるかもしれません。校長であるならば、細かな校則を様々にどうこうするよりも先に、愛校心や価値観を高めるように、努力するべきなのかもしれません。数年おきに職員が交替する公立高校では、職員の意識や価値観にもバラツキがあって簡単にはできないでしょうが。(その様な行政による教育システムそのものが無意味な校則を生み出す土壌となっているのだ、と個人的には考えています。)
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この回答へのお礼

校則など無くとも秩序が保てればそれが理想ですが、実際全生徒がその学校を愛しているわけでも価値観が同じなわけでもないでしょうから、結局秩序を保つためには最低限の校則は必要だと思うのです。

お礼日時:2020/07/25 08:52

理論の順番が逆です「秩序を保つために、校則が増えていった」のだと思います。


校内秩序が日常的に保てるなら、校則は要りませんし
教育する側が、秩序を保つ必要を感じていなければ、校則ができないわけです。
通信制高校がどちらの例になるかは、質問者の方がご判断ください。
ただし「高校があれていないのは、校則がないから」ではないと思います。別に理由があると思います
また、偏差値の高い高校がどちらの例になるかもお考えいただきたいと思います

「トイレットペーパーの1回の使用の長さ」を決めてある校則を、テレビで笑って放送していましたが、
本当は、笑われるのはその学校の卒業生だと誰も指摘しませんでした。
「トイレットペーパーを窓から放り投げる奴」がいたから、「長さの規定」ができたのだということに
だれも気付いておらず「学校の管理体制」を笑っていました。実態を知らない人たちの空論です

「本当はただ教師が生徒を支配下に置きたいから作っているだけ」だと質問者の方はお考えですか。
その理論で行けば「法律」は「国民を取り締まるためにある」ということになってしまいます。
実際は「法」は善良な国民を守るためにあるので、その網を掻い潜ろうとする「不誠実な奴」が問題なのです
そんな不誠実な奴を取り締まるために、法がゆがんだ方向に細分化されていったとは思いませんか?

校則も同じで、多くの真面目な生徒を守るために、出来上がっているのだと考えられませんか?
頭髪や服装規定は単なる「強制」だとお考えですか?最近封切られた映画の中の高校生の髪形や姿を、
多くの日本の大人達は認めるとお考えですか?それを変えるために「服装規定」が出来上がってしまうことが
「本当はただ教師が生徒を支配下に置きたいから作っているだけ」だとお考えでしょうか?

高校で勉強もせず「喧嘩と遊び」を楽しんでいる高校生を
放ったらかしにして良いというなら校則は要らないでしょう。
その時困るのは「喧嘩と遊び」以外を楽しみたい普通の高校生であっても、
質問者の方は、それは覚悟の上での「校則批判発言」なのですね
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この回答へのお礼

ここでいう校則は服装、髪型などに限ったものであって、施設利用に際しての決まり、生徒同士で接する際の決まりなどは含まれていません。
言葉の不足をお詫び致します。
「通信制高校が荒れていない」と言いましたが、校則が無いから荒れていないとは言っていませんよ。校則が無いけど荒れていないと言っただけです。
法が善良な人を守るために存在するのは同意です。しかし、髪型や服装がどうだったからといって人を傷付け幸福の追求を妨げますか?極端に反社会的なものは除いて、です。法というのは合理的な理由があってこその物でそうでなければ法と呼べたものでは無く単なる教師の自己満足だと思います。国の法律であれば上記のような「合理的な理由のない法」というのはすぐに是正されるため、学校特有のものなのです。ですので私は法律が「国民を取り締まるためにあるもの」とは思っていませんよ。
「喧嘩と遊び」について、喧嘩は校則で厳しく取り締まりますし、遊びは本人にしか影響がない範囲であれば勝手にすれば良いのです。その辺は高校生の年齢ですので自己責任ですね。ですので「喧嘩と他人にまで影響が及ぶ遊び」に関しては私は許容しませんし、「それを覚悟での校則批判発言」というのも当てはまりません。
全体的に私のここでの「校則」の定義不足が食い違いを招いたようです。改めてお詫びします。

お礼日時:2020/07/25 02:01

全国には生徒主導で校則を定めてる学校ってのも結構多いんですよ。


そういう学校ってアニメみたいな生徒会が全権を握って、部活や委員会や生徒指導も生徒が管理してってなるので、
大抵、学校主導の校則より厳しい生徒会長の独裁政治になります。で、生徒会長のリコールも生徒総会でできて革命とか起きちゃう。

私は中学校では上記のような学校ではありませんでしたが、原則校則がない学校でした。
校則の代わりに、生徒主導で「学生ルール」をとりきめ、毎年改定する仕組みで、
今までのこれは意味ないから廃止して、これを追加しましょう。って募集する。
これを繰り返しても、大抵、生徒に不都合な厳しいルールを撤廃するけど、更に厳しいルールが採用されるんですよ。
学生こそ建前の綺麗事が大好きで、自分の嫌いなものを是正したがるから、自分たちの首を絞めたがる。

生徒が生徒を管理するのって非常に非効率なのです。毎年入れ替わって同じ歴史の過ち繰り返すから。教師にとってはいつまでも成長しない。

学生時代も大人になっても校則は不要だと思っているし、未だに守らないものだと思っていますが、
校則ってのは、ただ教師が生徒を支配下に置きたいから作っているものではなく、ルールを守らせるための学習で、反抗心を煽るような目的であって、基本学生と生徒が交渉をするためのルールなのです。
教師って日教組であって左翼だから粛清と革命大好き。生徒が大人になれないのが教師みたいなもの。

だから、とことん戦えばいいんですよ。自由は戦って勝ち取るものって理念が校則の元だから。
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この回答へのお礼

生徒主導のシステムを採っている学校もあるのですね。学校主導を前提とした質問文なのですが、それはそれとして参考になりました。

お礼日時:2020/07/25 00:26

昔みたいなトップ高だから自由ってのはだいぶなくなりしまね


勉強もトップの学校なら放ったらかしなのが、今は手厚く見るし
そもそも地方のこう偏差値高は旧制中学校の流れを組んでたりはするから
そこそこ厳しかったりしますよ
あと、学校によってはホワイトカラーを生み出すからそれにあわせて
礼節や服装を厳しくしてるとこもあります。社会訓練として。
銀行員や省庁の人が気崩した私服でアザーっすとか言わないですよね

通信制高校はそもそも、秩序を乱すような子は来なくなる、やらなくなる、退学する
また10代だけじゃなくて何十台まで居るから
統一の規律とかでは規制できないんですよ

教師が支配下に起きたい、それもあるでしょうけど
悪いことではない
日本では大人数への一斉講義というスタイルをとってるので
ある程度統制をとるだけの権限がないとまとめにくい

ほんとーに、トップ気質の高校だと補講も参加自由とか勝手に自習とかして足りしますね
一昔前は制服で来なくても何も言われないとか、髪型ももちろん。
でも変な格好する子はそんなにいませんでしたね
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この回答へのお礼

日本で三本指に入るような偏差値の高校などですと確かに校則は非常に緩いようですが、ちょっとした進学校くらいだと割と校則はきつい印象です。

お礼日時:2020/07/25 00:33

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