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1. ひかりのタトへがあります。

[図式A] ひかりのタトへ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

光のタトへ・・・・・・・光(光源・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ)
三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1-1. 光は 光源から発耀し そのいづれからも 明るさ・暖かさが発出する。

1-2. 神は 父なる神から 《ことば》たる子なる神が成る。子の父と父の子と
のマジハリから 聖霊なる神が発出する。ちなみに 聖霊は 愛と呼ばれます。

1-3. 光は 経験世界にあって 時間的な事象である。かがやきも明るさも 相
対的で有限であり移ろいゆく。

1-4. 神は――想定(アブダクション)の上で―― 絶対性であり 時空間を超
えたナゾ(存在?)である。

1-5. 神の絶対的な三位一体に対して 経験事象における三つの要素の一体性は
――時間的な差をともなって成り立つところの――相対的な一体性ゆえ 三一性とよ
ぶ。


2. 光があたかも神のタトへに用いられるように ひとの存在からも 神のタトへ
が見い出される。

[図式B] 三位一体(神)と三一性(経験存在) ~~~~~~~~~~~~~

神: 父なる神――――子なる神――――聖霊なる神:三位一体
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人: 記憶行為・・・・知解行為・・・・意志行為 :三一性

国家: 司法・・・・・立法・・・・・・行政   :三一性
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2-1. 次の聖書記事をとおしてのヒラメキであるらしい。

▲ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神
のかたちに創造し、男と女とに創造された。


3. したがって――と言ってもこれは タトへですが・そして ひとは神の似像
(にすがた)であると言われるわけですが―― そのすがたを 社会現実に即して
次のように分析されうると考えられました。


[図式C] 神観 および ひとと社会の成り立ちについて ~~~~~~~~~~

 光のタトへ・・・・・光(光源・・・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ)
 三位一体なる神・・・神(父なる神―――――子なる神―――聖霊なる神)
 ____________________________________
  スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A )
 ____________________________________
 身体〔の運動〕・・・精神(記憶・・・・・・知解・・・・・意志)
 ・・・・・・・・・・↓・(↓・・・・・・・↓・・・・・・↓ )
 [S者 /S圏]
 個体・・・・・・・・家族(秩序・・・・・・労働・・・・・愛 )
 社会主体・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治)
 経済主体・・・・・・生産態勢(組織・・・・生産・・・・・経営 )
 政治主体・・・・・・↓・・・・↓・・・・・↓・・・・・・↓ 
 [A者 /A圏] ・・・・↓・・・・↓・・・・・↓・・・・・・↓
 社会科学主体・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 )
  〃  ・・・・・・(国家 :司法・・・・立法・・・・・行政 )

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3-1. したがって 政治とは あたたかさであり 愛であるという命題がみちび
かれます。


 
4. 問題は端的に言って 神なる三位一体は 時空間を超えており 父なる神と子
なる神と聖霊なる神とのあいだに 時間差がない。というのに対して 人間や社会に
おいては 記憶(秩序作用)や司法の判断内容と 知解(認識)や立法(法律条文)
と そして意志や行政の執行内容と これら三者のあいだに いかんせん 時間差が
ありまたその内容にも 食い違いが生じるということ ここに問題はあります。

4-1. 経験世界における《三一性》は――三権分立というがごとく――それぞれ
の行為内容が別々に実行に移され 互いに齟齬を来たし得て もしその一体性が保た
れるとしても 時間差がある。神のようには行きがたい。



☆ 問いは 次です。

5. もし神がこのような図解のとおりだとすれば そのような神の意志は 存在す
ると思うか?

6. むろん人間には分からないという前提で言うのですが 経験世界における行為
や出来事にかんして じつは神の意志が そのままではないが はたらいていると見
る見方は ありうるのか?

7. つまりそれは ものごとが即時に成るのではないわけだけれども 神にとって
は千年が一日だと言われるごとく 少しづつ 神のこころづもりに沿って じんるい
の歴史はいとなまれて来ていると見る見方は ありうるのか?

8. つまり 三位一体なる神にあっては すべてその意志は即時に成るのだが じ
っさいに人間とその世界にあっては 時間差をともないつつにでも 成就――たとえ
ば 自由の――に向かってあゆんで来ている〔と見る〕のか?

9. それとも 神は まやかしであり まったくのまぼろしであると見るのか?

10. つまりは ここで人間の側から言って 《非思考の庭 つまり 信仰》の観
点を持ち出すなら この信仰は いったい何をのぞんでいるのか? 
何を 将来ヘむけて予感しているか? 
あなたのヒラメキは なにか?
あるいはそれとも 信仰もまぼろしであって 何もないか?

A 回答 (10件)

応援してます。

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基本的に、成果とは工学。



だからあなたのやっていることは役に立たなくても正解。
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この回答へのお礼

☆☆
9. それとも 神は まやかしであり まったくのまぼろしであると見るのか?

10. あるいはそれとも 信仰もまぼろしであって 何もないか?

☆ こちらの側の見解なんですね?


☆☆
10.
つまりは ここで人間の側から言って 《非思考の庭 つまり 信仰》の観
点を持ち出すなら この信仰は いったい何をのぞんでいるのか? 
何を 将来ヘむけて予感しているか? 
あなたのヒラメキは なにか?

☆ このような問いは ご自分には関係ないということですね?




★ 応援
☆ ともども ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2020/08/03 02:29

お礼を読んで。



あなたは感謝されたことありますか?
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この回答へのお礼

わたしが 人びとから一般的に言って:
★ 感謝されたことがありますか?
☆ という意味ですか?


失礼な! といちいち返さなければならない問題がどこ
にあるかを 先に指摘すべきでしょう。

お礼日時:2020/08/04 14:20

もし感謝されたことがあるなら役に立ったんでしょうたぶん。



役に立ったなら問題ないかな。
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この回答へのお礼

そんな人間査定は のぞまないし うけつけません。

お礼日時:2020/08/04 14:39

他の人からみて楽しいとか有益ならあなたの投稿にもっと人が寄ってくるでしょう。

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この回答へのお礼

要らぬお世話。

お礼日時:2020/08/04 18:13

疎通テストですか?

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この回答へのお礼

何のこと?

お礼日時:2020/08/04 18:17

私のレスには楽しさや益があるようだ。

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私の個人的な意見です。



大昔病気になっても薬もなくて、
周りの人が倒れていく中で

「何かにすがりたい」と言う人々の
気持ちに漬け込んで
在りもしない者を商売にしたのが
宗教だと思ってるの

今は科学も発達してるから救われてる
人は沢山いる訳で、もう宗教は必要ないとさえ思ってるのね。

でも発展途上国や心の弱い人には
「信じられる物」が必要な訳よ。
それが神だと思ってる。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 私の個人的な意見です。
☆ はい。


★ ~~~~
大昔病気になっても薬もなくて、
周りの人が倒れていく中で

「何かにすがりたい」と言う人々の
気持ちに漬け込んで
在りもしない者を商売にしたのが
宗教だと思ってるの
~~~~
☆ だいたいそうでしょう。


★ 今は科学も発達してるから救われてる
人は沢山いる訳で、もう宗教は必要ないとさえ思ってるのね。
☆ それは 信仰と宗教とを分けていないから こんがらがっている
のでは?

信仰は 人知を超えたナゾの何ものかを 無条件で無根拠にてわが心
に受け容れること・つまり信じることです。

その信仰を得ているとき ヒラメキをさらに得てそこから宇宙観であ
るとかあるいは倫理にかんする規範といったものを言葉にしてゆく。
それが オシへでありこれを説くのが 宗教ですが あやまって組織
宗教は この《考えるべき》オシへを――何を思ったのか――《信じ
なさい》と説き始めた。

信じるときには 思考は自由におこなわれます。
オシへを信じるとするなら 考えるべき思想を鵜呑みにするというこ
とです。思考停止を要求しています。

この宗教とそして個人の内面なる信仰とを分けて捉えなければいけな
いと考えます。

宗教は 要りません。人間性に悖ります。



★ でも発展途上国や心の弱い人には
「信じられる物」が必要な訳よ。
それが神だと思ってる。
☆ ですから 《信じる》は いいわけです。良心・信教の自由に基
づきます。

考えるべき思想を――思考停止の状態で――そのまま受け容れなさい
と・つまり信じなさいと説くなら 宗教は 精神錯乱です。

お礼日時:2020/08/04 21:18

信じる事の押し付けは違う


とゆう事ですよね。
私もその通りだと思います。

救われる気持ちは個人で様々違いがあり
それが偶像であったり、神社仏閣で
あったり、生きた人間であったり、
そして、救ってもらったという
感謝の気持ちが大事だと感じます。

「信仰は信じる事の教え」要するに
信じる事の教科書が沢山あり、
勝手な解釈を付けて売っているのが
宗教ですよね。

信じ方も人それぞれで良いと思うの
ですが、間違ってますかね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 信じる事の押し付けは違う
とゆう事ですよね。
私もその通りだと思います。
☆ わたしの思うところによって コメントしてまいります。

微妙なんです。

あくまで〔神をあつかっていたとしても〕すでに経験思想と
なったオシへを――それは 考えるべき対象であるのに――
無条件で受け容れなさいと(つまり 信じろと)説くのは
その説くという意志行為そのものが すでに人間性に悖りま
す。

思考すべきところを 思考停止して 鵜呑みにしなさいと人
に向かって説くという発想じたいが 狂っています。みづか
らの人間性を傷つけています。

ですから そのような宗教は 精神錯乱でなければできませ
ん。




★ 救われる気持ちは個人で様々違いがあり
それが偶像であったり、神社仏閣で
あったり、生きた人間であったり、
そして、救ってもらったという
感謝の気持ちが大事だと感じます。
☆ 《きっかけ》がさまざまであるということだと思います。

信じる対象は 決まっています。普遍神です。名前は これ
またさまざまですが そのシルシが別であっても 普遍神じ
たいは 不変です。

神に別の神があっては たまりません。


★ 「信仰は信じる事の教え」
☆ いいえ。信じるにとってオシへは 何の関係もありませ
ん。

関係があるなら そのオシへを受け留めてすでに思考してい
ますから その思考を〔非思考たる〕信じることだと間違っ
て認識していることになります。





★ 要するに
信じる事の教科書が沢山あり、
☆ 教科書やオシへやアドバイスや何やかやから 信じるは
まったく自由です。だれもが ふつうに自然に信じることを
おこないます。

無条件で無根拠にて 神なら神を・《無い神》なら無い神を
わが心に受け容れることです。

それとは別に人間は 考える葦ですから さまざまに自由に
思考します。

★ 勝手な解釈を付けて売っているのが
宗教ですよね。
☆ 解釈をつける前に 《思考》と《信仰》とを取り違えて
います。


★ 信じ方も人それぞれで良いと思うの
ですが、間違ってますかね。
☆ 信教・良心の自由です。おおいなる自由です。これを
宗教者は知りません。あほです。

お礼日時:2020/08/05 04:10

ちょっと待って


大体は共感出来るんですが、
一つ聞きたいんです。

信じる対象は決まってますと…仰いますがそこに矛盾を感じるんですよ。

確かにあなたが信じる神は一つかも
知れない。
ですが、それは十人十色で自由である
べきではないですか?

「あなたが癒され感謝する神」 と
「私が癒され感謝する神」 は
同じではないはず。

「神は一つ」と言ってしまうのは
押し付けている事にならないですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ちょっと待って
大体は共感出来るんですが、
一つ聞きたいんです。
☆ はい。どうぞ。

★ 信じる対象は決まってますと…仰いますがそこに矛盾を感じ
るんですよ。
☆ どんな?

★ 確かにあなたが信じる神は一つかも
知れない。
ですが、それは十人十色で自由である
べきではないですか?
☆ ただひとつの普遍神。そしてその具体的な名前は 民族の数
だけある。
ひょっとしたら 人の数だけ名前やその捉え方が違っているかも
知れない。

普遍神は 経験事象としての有る無しを超えているので じつは
人が好みにおうじて 《有る神》か《無い神》かのいづれかを自
由にえらべばよいのです。

普遍神のもとに 有神論と無神論とが許容されています。

かみと言おうが ゴッドと言おうが アッラーフと呼ぼうがみな
同じです。シルシが違うだけです。

オホモノヌシの神と呼ぼうが ヤハヱ―と言おうが ブラフマン
なりアミターバ・ブッダなりすべて シルシが異なるだけで中身
は みな同じ普遍神のことです。

多神は 普遍神のそれぞれ分身です。

信教・良心の自由は じゅうぶんまもられています。



★ 「あなたが癒され感謝する神」 と
「私が癒され感謝する神」 は
同じではないはず。
☆ ですが 《違う》とも証明しえないんです。

★ 「神は一つ」と言ってしまうのは
押し付けている事にならないですか?
☆ なりません。《絶対性》は その全体として・総合としてひ
とつなんです。

ふたつ別々の絶対性があるというのは 矛盾です。


くわしくは 次の趣旨説明欄をごらんください。
【Q:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または
宗教への絶対的批判】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11794336.html

お礼日時:2020/08/05 13:25

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