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消防局は江戸幕府の町火消の消防団から始まったというのは本当でしょうか?

A 回答 (5件)

江戸時代八代将軍吉宗が大岡越前に命じてできた町火消を引きついているので事実だと思います

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本当ですが、ちょっと説明が必要だと思います。



江戸時代というのは、今の市役所のような「行政を担う主体」が実は存在しませんでした。ではどうやっていたかというと「町人たちが寄合で全部決めるしお金も出す」と言うやり方だったのです。だからいろは組の消防組織もそうだし、番屋や番人などの自治警備員もいたし、護岸工事や運河にかける橋なども町人たちが自分達でお金を出してやっていたのです。

もちろん幕府や各藩も警察の仕事などはしましたし、広域の防災計画などは作りましたが、実施運営は町人や農民たち自身が寄り合って決めてお金を出す、と言うやり方だったのです。

明治になると明治政府ができ、廃藩置県から「各地域に行政府を置く」と言うやり方に変わります。この時に町民自治だった町火消は「市町村レベルの消防組織」になり、幕藩が持っていた警察組織(いわゆる奉行)は警察・検察・裁判所に分けられたうえで、国家組織(警察は戦後都道府県組織に変革)に変化したのです。

だから「東京消防庁は住人の自治行政府である都に所属していて、町火消からの伝統がある」とされます。他の地域も市町村に消防があるので、村など小さな自治体では自前で消防車を買う予算も厳しいので、郡単位で「広域消防組合」という自治的な組織を作っています。
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町火消が元です 大岡越前か誰かの時 いろは48組の町火消を配置して火災を広がらないように燃えそうな家をつぶしてました

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まぁそうなんじゃ無い?



他にそれらしい組織って、大名火消か旗本の定火消しかなかったのだから
江戸に単身赴任中の兼任である大名火消は国に帰ったろうし

旗本は元々官僚のようなモノだからねぇ
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …

大政奉還に伴い、従来の常設消防機関であった定火消は姿を消し、江戸以来の町火消は消防組と呼ばれるようになる。明治になると、内務省は消防組を警察機関の一部として吸収していった。いわゆる警察消防時代の幕開けである。


ってことで、ウィキでの説明では本当ですね。
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