【無料配信♪】Renta !全タテコミ作品第1話

ここではない別の場所で
「大航海時代にスペインやポルトガルは、実は日本だけは植民地にする意図が皆無だった。秀吉や家康がキリシタン弾圧したのは、イギリスオランダにそそのかされた上に秀吉たちが自己保身欲に駆られたから。」

……と強弁し続ける方がいました。 これって本当なんですか?

スペインとポルトガルは1494年に、当時のローマ教皇アレクサンドル6世の仲裁承認の下で、世界をスペインとポルトガルで2分してしまおうというトルデシリャス条約を結びました。 
当時のローマ教皇が植民地化にキリスト教を布教することを条件に、いわばお墨付きを与えましたね。

そして、下の画像を見る通り、スペインやポルトガルはアフリカや中南米やアジアを植民地化していきました。 そしてポルトガル船やスペイン船は日本にも到達しました。 青が当時のポルトガル領で、ピンクが当時のスペイン領です。

ただ、確かにスペインやポルトガルは、日本を直ちには植民地にせずにイエズス会日本支部を長崎に設置するなどして、まずはキリスト教の布教を始めました。

ですが、スペインも中南米や、日本にかなり近いフィリピンを植民地にしていましたが、果たして日本だけは植民地にする意図が皆無で見逃してあげる慈愛の精神に満ちていたのでしょうか?

自分としましては、当時の日本はまだまだ戦国時代の頃であり、武力の備えが充分にあったため、スペインやポルトガルなどの西欧は、とりあえず一旦は植民地化を後回しにして、まずはキリシタン大名などを増やして味方を増やしておこうとしていただけだろうと感じるんですが・・?


それとも、あの強弁していた人のように。 当時の西欧列強は日本だけは植民地にしないで上げようという慈愛に満ちていたのでしょうか?
それを日本との貿易を独占したいイギリスやオランダからの「スペインとポルトガルが、日本をキリスト教化しながら、植民地にしようとの野心を隠しながら布教している」という進言を、秀吉や家康が真に受けてしまい、保身欲に駆られて残酷なキリシタン弾圧をしたというのが真相なんですか?

皆さんは次のどちらが真相に近いと思いますか?
A.「日本の武力の備えが予想以上に強かったから、とりあえず植民地化するのを一旦諦めていた」
B.「スペインやポルトガルは、日本の武力には関係なく、日本だけは植民地化しないで上げる意図だった」

皆さんはABどちら寄りですかね、回答待っております。

「スペインとポルトガルは、日本を植民地化す」の質問画像

A 回答 (9件)

Aですね。



そもそも宣教師たちは日本をどうやったら占領して植民地化できるか、という視点で日本を観察しレポートにして本国に送っています。つまり最初は「植民地化する気でやってきた」のです。

ところが戦国時代の日本武士はやたらに強いこと、鉄砲を渡したらすぐにコピーしてしかもヨーロッパよりも大量に作ってしまったこと、などから武力による植民地化はすぐに放棄します。

日本兵がどれぐらい強かったかについては、宣教師などが手引きして東南アジアに渡った日本武士が傭兵になって「東南アジアの覇権を握るには、傭兵として武士をたくさん雇っている方が有利」というぐらい大活躍したからです。
その活躍を見た宣教師たちは「鉄砲もあるし、これだけ強い武士が居る日本に船で兵隊を送っても占領は無理」と判断したのです。

武力による植民地化を諦めた宣教師が次に行ったのが布教活動で、特に大名に対する布教により、カソリック教会に領地を与える大名まで現れ、一時期まで不況による日本乗っ取り計画は成功しかけていたのです。

それを見抜いたのが秀吉で、その結果秀吉はキリシタンを禁止、さらに徳川家康もキリシタン弾圧を行って、布教活動をしないイギリスとオランダだけに貿易を許すことにつながっていったのです。

ということでAですが実態は「日本の武力の備えが予想以上に強かったから、布教活動で日本の橋頭保を築き、軍事的に優位になってから植民地化する作戦に変えた。しかし秀吉がそれをつぶした」です。
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この回答へのお礼

やはり最初は植民地化する気満々だったんですね欧米は。 でも、当時の日本が強かったために断念せざるをえなかったようです。
布教活動してキリシタン大名を増やしてから植民地化する作戦を、秀吉が察知して潰してくれたようです。 納得です!

お礼日時:2020/08/21 18:17

その当時たまたまオランダ船漂着、種子島漂着ポルトガル船と似ている、オランダ人とイギリス人が家康の家臣となる、トム・クルーズが出演したラストサムライ、ヤンオーステンとイギリス人は仲が悪かったらしい、冬の陣、島原の乱で活躍、大砲を家康に献上、大阪城本丸に砲撃たまらず和睦、堀は埋められ真田丸も取り壊し、島原の乱立て籠もるキリシタン廃墟の城に船から砲撃、船を見たとき歓喜に湧いた、砲撃されると同じ仲間なのに戦意喪失、日本を征服する暇がない考えはあった、アメリカ、アフリカ、オーストラリア、A,Bでもない、手が回らないC!オランダは80年間スペインの植民地イギリスが代理戦争で勝利、独立、南アフリカ、オーストラリアはオランダが先に入植、当時オランダにはユダヤ人大勢住んでいた、後にドイツ、ポーランドにも移住、ユダヤ人が移り住む国は栄、迫害する国は衰退、神に選ばれた民族、コロンブスもユダヤ人。

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秀吉が禁教に回ったのは、当時のイエズス会が日本の子供達を奴隷売買していたからだそうです。

そもそもイギリスもキリスト教国ですから、そのイギリスがキリシタン迫害をそそのかすなんてまずあり得ないでしょう。
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もちろんポルトガル・スペインとも日本を植民地にしようとする意志はありましたが、ポルトガルを併合したスペインは、それよりも当時世界一の武力(銃の保有数)を誇った日本を利用して、明を征服することを企んでいました。

 宣教師バリニャーノがスペイン王に対して、秀吉を利用して明を討てと勧めている書簡が残っています。 しかし、同じ頃もう一人のスペイン人宣教師・コエリョは、フィリピ総督に対して、「明より先に日本を征服するように、、、」と意見書を送っています。 このような宣教師の行動を秀吉は知っており、明が白人の支配下に落ちれば、日本自体の安全が危険にさらされるゆえ、スペイン人宣教師の計画を先取りしなければならないと思い、唐入りを決意したと思われます。 当初秀吉はスペインと同盟を結んで唐入りを実行しようとしており、宣教師に「明」征服の方法や輸送船の調達などの相談をしていました。 しかし、宣教師・コエリョのような日本征服論者がいることを知った秀吉は、明を征服すると同時に日本からカトリック教徒を一掃することを考えるようになり、高山右近をマニラに追放したり、博多にいた宣教師・コエリョに「バテレン追放令」を出したのです。
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この回答へのお礼

やはりコエリョのように、日本を植民地にしようとする者たちは少なくなかったのですね。 やはり秀吉は日本を守ろうとしたようです。

お礼日時:2020/08/21 18:13

1:>これって本当なんですか?



侵略の定義や内容が不明ですが、彼らに全くなかったとは言えないと思います。
しようと思ったが以下のような様々な事情があって諦めた の方がより近いと思います。
鉄砲いっぱい持ってる、100年以上戦争ばかりしているので兵の強さが半端ない、僧侶のレベルが高い(議論したら負ける)、庶民の知能や知能が非常に高い(下手な事を言うと逆に突っ込まれまくる)等。


2:>秀吉や家康がキリシタン弾圧したのは、イギリスオランダにそそのかされた上に秀吉たちが自己保身欲に駆られたから。

私は(自分も含めた)国を守ろうとするのは、当たり前の事であり、
それが身内ならまだしも、それが異文化では警戒して当然だと思います。
その方にとっては それ=保身 なのかもしれませんが。



この問題ですが、欧州での宗教対立が影響しています。
スペインとポルトガル:カトリック
イギリスとオランダ:プロテスタント
当時の欧州ですが、プロテスタントとカトリックが勢力を争っており、


押され気味のカトリックは植民地での布教に力をいれていました。
そして、それはその国の植民地政策にとっても有益な事でした。


一方で、プロテスタントは教義が影響して布教にそれほど熱心ではありませんでした。
(教義を極論すると、この世の事は始まりから週末まで神が全て完璧に設計しており、入信する者は神が決めているので我々が努力して布教する必要は薄い。 というものです)


(カトリックとプロテスタントについては、3:00から)


秀吉がカトリックを禁止し、家康がプロテスタントのオランダに交易を許したのは、
プロテスタントの方も、それなりの働きかけはしたと思いますが、
以上から、「貿易はしたいが、布教→信徒の増加→その地域の独立や植民地化 は困る」
という「彼ら」の思惑によるものだと思います。


ちなみに、当時の彼らは互いを異端と蔑み異教より憎んでおり、同じ人間とすら思っていませんでした。その為に白人同士ですら凄惨な宗教戦争を繰り広げていました。
ヒント:30年戦争
「スペインとポルトガルは、日本を植民地化す」の回答画像6
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この回答へのお礼

その国の国家元首ならば、自己を含めた自国を守るのは当然のことなのですね!
カトリックとプロテスタントは互いに人間とすら思わずに、凄惨な宗教戦争を続けていたのですね、驚きです。

お礼日時:2020/08/21 18:12

鉄砲大国となっていた日本を知ったからには、スペインは日本を植民地化するのは不可能と判断していたでしょう。


異説として、秀吉の唐入り構想を知ったスペインのフィリピン総督は、スペインの海軍力を利用して、海軍力の弱い秀吉の陸兵を中国に向かわせ、共同で明を植民地支配する計画を持っていた。というものがあります。

結局、九州征伐で秀吉が、宣教師が九州のキリシタン大名と結託して、火薬の原料である硝薬の代金として日本人を奴隷として売り飛ばすなどの悪行を働いていたことを知り、激怒した秀吉が宣教師たちを追放。スペインの中国征服の野望も潰え去るとともに、秀吉も朝鮮半島から唐入りせざるを得なくなってしまうことになりました。
そのうち、硝薬も意外に簡単に自前で製造できることを日本も知り、スペインは硝薬をネタに日本を揺さぶることも出来なくなってしまいました。さらに、本国の欧州方面ではスペインの無敵艦隊が、英国のドレーク艦隊に完敗し、英国やオランダとの抗争でスペインはアジアどころの話ではなくなります。
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この回答へのお礼

スペインは日本よりも唐を攻めたかったのですね!

お礼日時:2020/08/21 18:14

どちらかというとAに近いと思っています。


ただ、植民地というよりも、キリシタン大名をふやし属国として利用しようとおもっていたことは事実でしょうね。

当時は日本は戦国時代がおわったばかりで、軍事大国だったんですよ。なにしろ鉄砲の数がヨーロッパ全土よりも多く所有していたぐらいです。そのような軍事大国の占領というのは地理的な面からいっても困難であるでしょう。

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この回答へのお礼

ふむふむ、植民地というよりも属国にしたかったんですね。

お礼日時:2020/08/21 18:15

Bの日本だけを例外扱いするという考え方に関して、


合理的な根拠が説明できない限り信じられませんねぇ
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この回答へのお礼

合理的な根拠なんかないのでしょうねw

お礼日時:2020/08/21 18:15

武力を使わずに植民地化するのがキリスト教布教の意味です。

現にキリシタン大名は、日本人を奴隷商人に売り飛ばし、土地を教会に寄進しました。その行き着く先が日本の植民地化であることに気づいた豊臣秀吉がポルトガル商人・宣教師を日本から追放したのです。
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この回答へのお礼

やはり秀吉は日本国民を守ろうとしたんですね!

お礼日時:2020/08/21 18:16

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