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飛鳥時代〜平安時代の人々にとって「仏像」とはどんな存在だったと思いますか?

A 回答 (9件)

死後の世界の 道しるべや 行き先案内人のようなものです。

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平安時代の終わりごろに、民間に仏教が広まるまでは、仏教と言うのは知の体系であって、国を動かす指針となるようなものでした。

なので仏像というのも、個人が自身のために拝むというより、国のためにつくるとか、そいういう感じだったんじゃないでしょうか(良く知らない)。

もともと仏教というのは、でっかいものを作って畏怖の念を引き出す宗教なので、大仏とか五重塔とか本堂とか、一目見てデカって思えるものが多いです。だから小さいものを造ってもあまり意味がないw
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飛鳥時代は神道との折り合いを如何に付けるかという大問題があり、神仏習合思想が芽生え始める。


奈良時代に東大寺大仏建立&国分寺建立で、仏教の国教化が本格化。それに合わせて神仏習合も本格化する。
平安時代には神仏習合が定着し、多くの「神」が菩薩などの称号も与えられ、神社でも読経が行われるようになる。

以上が日本における仏教の浸透というか、神仏習合の歴史だ。
「仏像」は神道における神と同じ感覚で浸透し、拝まれていたということだろう。
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飛鳥時代から平安時代にかけて「仏像」などは一般庶民には観ることができなかったと思います。

もちろん仏教などという概念も一般庶民にはなかったと思います。仏教はあくまでも貴族のためのものでした。もちろんそう簡単に寺に入って仏像を拝むことはなかったです。

 平安時代までは「鎮護国家」などとした国と貴族のものでしたが、比叡山での修行のもと、鎌倉新仏教として豊年、親鸞、日蓮、道元、一遍などが新しい仏教を民衆の救済のために広めていきました。特に豊年やその弟子の親鸞はだれでも「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生できるとしたわけで、それがお金を使って高い教育を受けた上で「仏教」を学び僧となれるとしていた「既得権益」をもってた国家にとっては都合が悪く、豊年も親鸞も日蓮も流罪を受けたわけです。
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信仰の対象でもありましたが「下手なことしちゃいけない神聖な存在」…というほどでもなかったようです。



あくまで「象徴」であって「仏像」より「仏僧」の方が立場は上でした。
だからこそ石仏が石垣に使われたりもしてるのです。
一度大仏も燃やされてますしね。
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拠り所の階層構造として深いほうから


信仰→科学→日常、とすると
科学の帯域が今より狭い分、日常と信仰の位置が近く
科学のわかりづらさから、
信仰=迷信になってしまいがちな現代と比べて
仏像というのは
日常の中で素直な信仰心を向ける対象という傾向が
高かったのではないかと思います。
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海外から伝来した、ありがたくも新しいもの。


今風に言うなら「映える」もの。
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グッズ

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仏教によって世の中の不安を和らげ、平和な未来を祈るためにすがったもの


でしょうか、、?
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この回答へのお礼

なるほど、回答ありがとうございます。
今もそのような存在なんですかね、

お礼日時:2020/08/09 02:53

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