「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

太平洋戦争末期、アメリカの軍部は日本に3発目の原爆を落とす計画だったようです。それも東京にです。

もし東京に原爆が落とされたら、天皇陛下始め重臣達の命が失われ、終戦勅諭は出されず、だれも責任を持って終戦の手続きが出来ず、国民も天皇を殺された怒りに燃え、本土決戦は避けられなかったでしょう。そしてアメリカもさらに何発もの原爆を落とすに違いありません。

そうなったら、日本民族は皆殺し状態に成り、民族滅亡は避けられません。そうならなかったのは、幸運にも天皇陛下が生き残られ、終戦勅諭を出されたからです。

もし天皇陛下の存在が無ければ、想像するに恐ろしい事に成っていたでしょう。天皇陛下の存在は実にありがたい事です。

しかし近頃、その天皇陛下の存在の有難みを理解せず、女系天皇を立てて皇室を滅亡させようとする動きが有ります。実に罰当たりな事だと思いませんか?
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https://news.yahoo.co.jp/articles/d708a5c73ad74d …
米国は第3の原爆投下を計画していた
8/9(日)

1945年の夏、米国は広島、長崎に続く準備を着々と進めていた
テニアン島に到着した巨大なプルトニウム爆弾「ファットマン」。1945年8月9日に長崎へ投下された。

1945年の夏、米国が世界で最初の原子爆弾を投下したとき、戦争は永久に変わった。たった1個の爆弾が、都市とその住民を丸ごと消し去ってしまう時代が訪れたのだ。

米国は、7月にニューメキシコ州の砂漠で原子爆弾の爆発実験を行った後、8月に日本の広島と長崎に原爆を投下した。だが、長崎への投下から日本が降伏するまでの6日間、米国はこれで終わりとはまだ考えていなかった。次の原爆投下は間近に迫っていた。

長崎への投下で米国は原爆を使い果たしており、降伏しなければさらに原爆を落とすというのはハリー・トルーマン大統領の脅しだったとする主張が根強くある。しかし、それは決して単なる脅しではなかった。

第二次世界大戦末期、米国はできる限りの原子爆弾を製造していた。そして日本が降伏する直前まで、第3の原爆を落とす準備に入ろうとしていた。1945年8月15日に日本が降伏するわずか数時間前、米国時間では14日、英国の外交官を前にトルーマン大統領は沈痛な面持ちで、第3の原爆投下を命令する以外に「選択肢はない」と漏らしていた。戦争があと数日続いていたら、第3、そして第4、第5の原爆投下の可能性は著しく高まっていた。

米国の計画では、2発の原爆で戦争が終わるとは考えられていなかった。核兵器に加え、日本の本土決戦が必要になるだろうと予測されていた。原子爆弾は強力な新兵器とはなるかもしれないが、それが決定打となるのか、日本の戦意を左右しうるのかは、まったくわかっていなかった。

日本の通信を傍受していた米国は、日本の内閣上層部の意見が割れていることを承知していた。1945年半ばに内閣の多数派を占めていた軍部は、米国を「流血」させ続ければ米国民はやがて戦争に飽きてくるだろうという淡い期待を抱いていたが、「和平」派はこれを愚かな戦略と考え、そんなことをすれば日本が崩壊してしまうと危惧していた。

もし米国が日本の降伏を引き出すなら、軍部の支配を切り崩す必要がある。これまでの空襲作戦だけでは十分ではない。米軍は1945年3月から何度も日本の都市に対して空襲を行っていた。

東京大空襲では、一夜にして10万人以上が死亡したとされ、数百万人が家を失った。ほかにも7月までに日本各地で60カ所以上が空襲を受けていたが、日本が降伏する様子はなかった。直ちにその態度を変えさせるには、原爆が革命的な武器であることを日本に理解させる必要があった。

第3の原爆、標的は東京だったか

8月10日、スパーツ太平洋戦略航空軍司令官は陸軍航空軍の目標計画責任者ローリス・ノースタッドへ電報を打ち、次なる目標は東京にすべしと強く勧告した。

8月14日、スパーツは相変わらず東京を次の目標にせよとの主張を続け、「一刻も早く」第3の原爆を「東京へ投下すべく」、テニアン島へ運ぶよう求めていた。だが、またも決断は保留中であると告げられた。グローブスは、翌日にでも原爆投下に関する決定が下されると告げられていた。

その日の午後、トルーマンは英国大使と面会し、日本が無条件降伏に前向きでないことから、「東京への原爆投下を命じる以外もはや選択肢はなくなった」と伝えた。もしその命令が下っていれば、数日のうちに作戦は遂行されていたはずだ。

「終戦時、もし天皇陛下の存在が無ければ、想」の質問画像

質問者からの補足コメント

A 回答 (8件)

なっていましたよ。


日本の敗戦が確実になった時、ロシアとシナ、それに彼の未開の蛮族までもが戦勝国を名乗り、
卑しくも日本の割譲を迫ったのですが、それを阻止したのが皇室の存在を慮ったマッカーサー
でございます。
※未開の蛮族=ゆすり・たかりを国策とする南半分と、誘拐・拉致を外交の手段としている
 北のキチガイミンジョク。

皇室は日本国民の心の拠り所であり、それがあるから自力復興も出来る。どこぞの卑しい蛮族
とは異なり、強い精神力と民族の誇りを持っている、と卑しくすり寄って来た屑共を一蹴した
のでございます。

この事実は共産党や立憲民主党、風前の灯火・社民党の屑共とその支持者(オール沖縄や反天連
などの国家反逆組織に籍を置くテロリスト予備軍)は1㎜も知らされてはいない筈でございます。
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おっしゃる通りです。



昭和天皇はご慈悲のある方でした。

終戦のご聖断に従わず、反乱を起こしてでも続行しようとした(宮城事件)一部の帝国軍人は異常です。
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訂正 ぐんぐん→軍の  御正直→御聖断

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満州を取った後の関東軍を始めとするぐんぐん動きは明らかにおかしいです。

私の観測では、おそらく満州で手に入れた破片などの巨大な利権に目がくらみそれを手放したくないがために戦争を続行させたのでしょう。



昭和天皇が軍による暗殺の危険をかえりみず終戦の後正直なさった事はまことに良い決断だったと思います。

原爆を二度も落とされ、昭和天皇が終戦の決断をなさった後でも、一部の陸軍将校が戦争続行望んでクーデターを起こし、宮城l事件と呼ばれたことを考えると、いかに当時の軍部が自己中心的であったかが分かります。
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>米国の計画では、2発の原爆で戦争が終わるとは考えられていなかった・・・・・・


原爆を落とそうとした時には、日本は天皇陛下保全の条件さえ出せば降伏することを、米国は十分知っていました。
日本はソ連ルート・重慶ルート等降伏の道を必死になって探していたのが事実です。(国内的には極秘)
米国も日本には戦闘能力は無く、降伏の打診がされていた事実を知っていましたが、今戦争が終わっては、都合が悪いために引き伸ばしただけです。
ソ連に参戦させ分け前をあげる約束もあるし、大金を叩いて作った原爆の性能確認も出来なくなります。
その他引き伸ばしの理由はあったと思われます。

戦争を引き伸ばしたと言えば日華事変の中国もです。
日本からの幾度の和睦打診の話も時間稼ぎとして利用し、最初から和平を行う積りはなく戦いを続けています。
裏に、米国(ルーズベルト)の思惑が働いていたからです。実は戦争が終わって困るのは米国・中国だったのです。
(中国共産党はその事を十分知っています。だから田中角栄が国交正常化での宴席で戦争の反省を言ったときに、中共の出席者がどっと笑った訳です。)

基本、太平洋戦争は米国(ルーズベルト)が日本へ戦争を仕掛けた事件であり、迂闊にも日本はその戦略に踊らされてしまった。
戦後60年この事実は秘密にされて来たが、「フーバー大統領の回顧録」などが近年公開されたことにより、この様な意見を述べていた、変人扱いされていた方々の意見は事実ではなかろうかとなりつつあります。
(例:「ユダヤは日本に何をしたか」渡部 悌治等々・・・山本五十六スパイ説が実証されたら世の中ひっくり返るね・・・・)

この現実が判明しつつある現在。そして落としてしまった2発の原爆。
アメリカ国民は人間としてその倫理感と道徳感で、取り返しの付かない重い反省の上に立ち続けることになります。
アメリカ人で無くてよかった・・・・・
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昭和天皇陛下が、戦局を知らなかった訳がないです。

 

マッカサーもGHQも分かっていたでしょう。 ですが戦犯にはしなかった・・そして・・

そこから戦後・・日本は躍進的に高度経済成長をし今日の日本になりました。
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軍人は誰一人戦いをやめさせようとしなかった



吉田茂が大使をした英国に送ってくれたらチャーチルと会って話をしたいからと言ってたみたいだったが

真珠湾攻撃を考えた山本五十六は戦争終りの手順も踏めず自殺らしき戦地訪問の帰途に帰らぬ人になった
天皇が東京大空襲を受けて現場を視察した後にでも玉音放送をしたら本土の空襲も少なく原爆は朝鮮半島で使われ日本の被害は少なくて済んだだろう
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