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歴史を今学校でやっているのですが、日本が太平洋戦争敗戦後の占領下ではヨーロッパと違い進駐軍の犯罪が少なかった、マッカーサーが犯罪行為が起きないよう軍に徹底していたと習いました。実際調べてみるとヨーロッパではどこももう混乱状態で仲間同士でも戦国時代でいう乱取りとかレイプとかもあったと聞きます。日本でもなかったことはないようですが(記録に多少は残ってる)そこまで聞きません(国によっては今でも混血問題がでてるが日本はほとんど聞かない)。考えれば婦女子を守れる男たちの多くは日本にいない訳で、そういう犯罪が他の占領された国などのように多発してもおかしくない訳です。これはマッカーサーや当時の米軍司令部がそういう厳しい命令でも出していたからですか?海外在住経験もあり、一部では混血児問題が大きいところもあるので気になって質問しました。もしこの質問を見て日本でも被害に遭った方がいるなら申し訳ございません。

A 回答 (4件)

ここ横浜でアート系の映画館が多い地域に黄金町という町があるのですが、そこはほんの数年前まで、誰も手がつけられないようないかがわしい場所でした。



そこは戦後、米軍の将校が暮らしていた地域とは違って、いわゆるカマボコ兵舎と言われるところに膨大な量の一兵卒を住まわせていたのです。それら独身兵を相手に、今で言う風俗店がひしめき合っていました。当時は売春も合法でした。

それがあったから犯罪が少なかったのか、そういう地域で実は犯罪がはびこっていたのかは、私は生き証人ではないの存じませんで、米軍が撤退したあとは、今で言う暴力団が町全体を仕切ることになりました。ゆえに、一般市民が安心して歩ける町になかなかできなかったのです。この状態が、実質的には、2005年の夏まで続きました。

その変遷を写真に撮り続けた写真家がいます。常盤とよ子といって、夫婦で写真家だったのですが、とよ子さんは女性だったので、売春宿や性病検査をする医院に、比較的容易に立ち入れました。

で、犯罪が少なかったのかどうかは知りませんが、混血児問題は深刻でした。エリザベス・サンダース・ホームなどは有名ですが、今も運営している聖母愛児園は「終戦後の混乱の中、病院の玄関先に子どもが置き捨てられていた(のを)収容、保護に当たったのが始まりとなった」孤児院で、昭和23には1年間に243名受け入れ、「50名死亡、32名は本会の他の施設に移る」ありさまでした。愛児園では、元孤児がいつでもルーツを探れるように、今も過去の記録を保存しているそうですが、逆に言えば、今も親を知らない日本出身の元孤児が大勢いるわけです。下記の「少年の町の混血児」の項もご覧ください。
http://seiboaijien.com/%E6%B2%BF%E9%9D%A9/

こうしたことは、公益財団が運営する横浜都市発展記念館でも詳しく展示解説されたことがあります。
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/news/event4. …

また、昭和末期には、成長した混血孤児たちが自分たちの苦悩を語る番組が製作されたものです。その孤児たちの多くは、今、お子さんを設けて、そのお子さんたちは幸せに暮らしているでしょうから、そうした番組は作りにくくなったのかもしれません。映画に話を戻しますと、フィクションではありますが『人間の証明』は、そうした孤児問題に触れた殺人ものですよね。

さらには、犯罪が少なかったからこそ記録に残ったという見方もできるのかもしれませんが、性犯罪以外にも「ジラード事件」が先日も毎日新聞が大きく取り上げていましたし、「戦後日本の米兵による犯罪」でググってみたら、神奈川新聞が記事を書いていました。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-193922.html

というわけで、私個人としては、GHQ下の日本での米軍による犯罪が、欧州の戦後のそれと比べて少なかったというのは初耳ですし、そういう印象も特にはありませんでした。ただ、どんな映画をご覧になってもおわかりのように、戦時中に日本は「鬼畜米英」と、さも連合国軍兵士が鬼のようであるかのように日本国民を教育しましたが、実際に入ってきた占領軍の多くは、普通に優しい青年たちだったわけです。

とりあえず、私が知っている事実は以上です。
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この回答へのお礼

そうなんですね。戦争中は前途ある若者が沢山戦争に巻き込まれた訳ですね。回答ありがとうございます。

お礼日時:2020/08/15 11:09

このようなテーマでは、放置すると嘘を言い散らかす者がでるので回答はしますが、次からは場を選ぶ努力をして下さい。


ここで扱うのは「映画」の「戦争・歴史」です。
史実を扱う場は他にあります。
カテ違いは他の質問を流す上に、質問するべき場を寂れさせます。

【カテゴリ一覧】
https://oshiete.goo.ne.jp/category/list/


>歴史を今学校でやっているのですが、
→歴史をやっている という文字列を日本語として解読できません。


>日本が太平洋戦争敗戦後の占領下ではヨーロッパと違い進駐軍の犯罪が少なかった、マッカーサーが犯罪行為が起きないよう軍に徹底していたと習いました。

その教師の所属している組合が不明ですが、日本が嫌いな人達や連合国の基準からはそうだったのかもしれません。

記録が無い=事実もない ではないと思います。
(そもそも「記録する者」がいたのでしょうか)


GHQ月例報告(9月)
「日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた」

W・J・シーボルド(GHQ外交局長)
「(米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった」、「米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない」
(「マッカーサーの日本」1970年刊、新潮社より)


それに、日本は「彼ら」専用の「慰安所」を用意させられていましたし。
(そういえば、いわゆる従軍慰安婦問題では、慰安所の経営に軍が関与していたということで日本政府が非難されていましたね)

内務省警保局の「連合軍進駐経緯ニ関スル件」は、連合国が「マニラ会談」で
「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」
と語っています。
それを受けて↓が設けられました。

【特殊慰安施設協会】(RAA)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A …
《第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた、東京都京橋区銀座七の一(現在の中央区銀座南部)に設置された慰安所である。》


しかし、それだけでは我慢できないお元気な方達もいたようです。
日本の特高警察は1945年10月4日に解散させられるまで進駐軍の素行調査をして、【進駐軍ノ不法行為】(国立公文書館所蔵)という記録を作っていました。

それによれば、解散当日までに強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件《警官への事件や、一般人に対する強盗・略奪など424件(これには、強姦されたとは言えず、強盗として届け出たものも含まれると思われます)


↑の【進駐軍ノ不法行為】によれば、RAA設立後も↓の事件が特高解散の日まで起きています。

八月三十日午後六時頃横須賀市OO方女中、34右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手ロハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵人シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ

八月三十日午後一時三十分頃横須賀市○○方。米兵二名裏ロヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年二対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)

 ○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(ニハ)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上ご三人ニテ輪姦セリ(9月1日、房総牛島)

九月一日午後六時頃トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来り女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内二於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ仮死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送り届ケラレタリ

九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、被害者之ヲ拒否シテ戸外二逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。更二連中ノ三名ノ黒人兵ガ同所二於テ輪姦逃走セリ


当時の警察官も暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられたりしています。
一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」までも奪われていました。

九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中区山手町二ー二番地共立女学校内、校長神保勝也二侵入各室ヲ物色シタル後現金二千七百十圓及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ


一部ではこれを「最小限の被害で済んだ」と仰る意見もあるようですね。




(進駐軍の犯罪については10:45から)


新聞はこれらの事件を報道していましたが、9月19日にGHQ「プレスコード」が発令され、それ以後は米兵絡みに犯罪報道はできなくなりました。
(しかし、 新聞各社は「色の黒い男」「一三文の靴を履いた大男」などの表現で事実を伝えようとしていました)
「戦後の日本の進駐軍について」の回答画像4
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この回答へのお礼

そうなんですね。実際結構あったようですか、、、これからも勉強したいと思います。

お礼日時:2020/08/14 12:08

GHQというか日本進駐米軍の犯罪は、たしかにヨーロッパに比べれば少なかったのは事実です。



理由はいくつかありますが、そもそもヨーロッパ戦線にアメリカが参戦し、志願兵を募集した時に「フランスを解放したらフランス女性がお礼に体を提供してくれる」と言うプロパガンダを使っていたので、収拾がつかなくなっていた、と言うこともあります。またドイツ・イタリアの占領に際しては大陸の戦争で常識だった「勝者の権利」が無言の圧力となり(本当は国際法違反なのだが)ソ連兵などが略奪・強姦などを繰り返しても不問に付された、と言う経緯があります。

これらの統治の問題点を知っていたGHQは進駐米軍に対して厳しい規律を要求しました。理由は「アメリカに対する日本国民の感情が悪化すると、日本が赤化して共産国になる恐れがある」からです。だから米兵はチョコレートを常にもっていて、日本の子供たちに優しくしたりしていたわけです。

とはいえ、米兵も死線をさまよった若者たちがほとんどですから、なにもしなければ強姦などが多発することは自明のことだったので、日本政府は進駐米軍のための慰安婦を用意し、米兵と交流することで一般人への強姦被害を最小限に抑えたのは事実といえます。

とはいえ、日本でも強姦被害などは多発したのも事実です。戦争に負ける、ということはそういうことであり、GHQをどのように評価するかは、時代によってもその人の価値観によっても異なると言えます。
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この回答へのお礼

そうなんですね。回答ありがとうございます。

お礼日時:2020/08/14 11:32

進駐軍の犯罪って普通にありましたよ。


日本の警察が進駐軍を逮捕することはできませんでしたのでやりほうだいです。

占領期日本における強姦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E9%A0%98 …
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この回答へのお礼

そうなんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2020/08/14 09:36

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