この人頭いいなと思ったエピソード

「鉄腕アトム」のなかにロボットについての論争があります。

お茶の水博士
 「アトム・・・
  たしかにあいつは天馬博士の残した完全な芸術品じゃった」
スカンク草井
 「アトムは完全でないぜ
  なぜなら悪い心を持たねからな
  完全な芸術品といえるなら人間と同じ心を持つはずだ
  へへへへへへ」
お茶の水博士
 「そりゃあちがう
  よいことをさせるだけのためにロボットはもともと作られたでしょう」
スカンク草井
 「へへ へへ へへへへへ
  だから完全じゃないだろう」
お茶の水博士
 「じゃ あなたは悪いロボットがあってよいとおしゃるのか?」
スカンク草井
 「そうさね!!」

質問1.手塚治虫は、スカンク草井の言葉を借りて「悪い心を持たないのは人間として不完全だ」と言っているのでしょうか?
質問2.「悪い心を持たないのは人間として不完全だ」は正しいでしょうか?
   (アシモフの「ロボット3原則」は知っています)

A 回答 (21件中1~10件)

> 質問1.手塚治虫は、スカンク草井の言葉を借りて「悪い心を持たないのは人間として不完全だ」と言っているのでしょうか?



そのような意図で漫画を書いてはいないと思います。 言葉そのままで、「よいことをさせるだけのためにロボットはもともと作られた」であって、「良いことをさせるために、人間は造られた」とか、「悪いこともする人間は不完全だ。完全な人間は悪い心を持たない」とかは、思ってないと思います。

> 質問2.「悪い心を持たないのは人間として不完全だ」は正しいでしょうか?
   (アシモフの「ロボット3原則」は知っています)

文章としては文法的にまあまあだと思います。 何かの要約とか、文章理解として妥当か否かを質問しているのであれば、もとの文などを示していただかないと、間違っているのか、まあ妥当なのか、の区別はつきません。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%AD%A3%E3%8 …
人間それ自体は法や道徳に縛られないと考えるか、人間は社会的存在なので自ずと正邪・善悪があると考えるのか、他にもあるのか分かりませんが、仮に「人間は社会的存在なので自ずと正邪・善悪があると考える」のであれば、その大前提は「人間には正も善も悪も邪もすべてある」という認識なのですから、完全も不完全も、未熟も、成熟もいろいろあるということでしょう。 邪も悪も全くないのであれば、人間としては不完全なのではないでしょうか。

治虫は、いろいろのキャラを登場させています。
https://tezukaosamu.net/jp/character/288.html
「いろいろのキャラがあってこそ、人間だ」と心底思っているのだろうと、私は思います。
だから、それそれのキャラも、アトムも、生き生き活躍できるのでしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
質問1について、手塚治虫は.この漫画でロボットのことを書いているのであって、人間のこと(良い悪い)を意図として書いているのではない、のですね
作者は、<「いろいろのキャラがあってこそ、人間だ」と心底思っている>ということですね。

お礼日時:2020/08/16 11:02

★ 質問1.手塚治虫は、スカンク草井の言葉を借りて「悪い心


を持たないのは人間として不完全だ」と言っているのでしょうか?

☆ 《にんげんが 完全だ》というときの条件は 何か? とい
う問い求めは 意味を成さないと考えます。

これまでの自然本性をそなえたヒトを 作り替えるというなら 話
は別なのでしょうが。


だから ロボットの問題だというとしても それはいま ご質問
の話の筋とは違うと思われます。





★ 質問2.「悪い心を持たないのは人間として不完全だ」は正
しいでしょうか?
☆ その議論は――《にんげんが 完全だ》というときの条件は 
何か? という問い求めであるかぎり―― 文学としてのお遊び
に終わるものと思います。



微妙ですが いまある人間なる存在について 人間が人間である
という完成された状態に到り得るか? という問いはあり得るよ
うに思います。

つまり 《わるい心を持つ(持ち得る)》という前提から出発す
るものとしてです。

そしてそれは 善悪論あるいはつまり 悪とは何か? という主
題に行き着くものと思います。




微妙だと先ほど言いましたが けっきょく《ひとにはわるい心が
ある(あり得る)》という現象から 《悪い心を持たないのは人
間として不完全だ》とか《持つのが 完全だ》とかの命題をみち
びくのは いまある人間の状態をよしとした上での話です。

つまり 人間の人間化というあり得る主題とは 百八十度ことな
る命題です。こちらは 出来れば 変えようという魂胆ですから。



問い求めの切り口をどう設定するかで 成功しておられないよう
に感じられます。


               *



人間の人間化( hominization )は たとえば《悪とは何か?
これをどう扱うか?》といった哲学の過程を経て完成するとなれ
ば 《 complete 》の問題です。

(完成度合いについて 《 perfect 》かどうかを問うことはあり
ます)。

《人間が完全であるとは どういうことか?》と問うのは はじ
めからの状態・また《悪い心を持つ》という現状の上に立って 
そのまま《 perfect 》かどうかを問いたいと言っているのでしょ
う。(変える変えないは 別です)。



ロボットのよしあし・完全か不完全か・完成しうるか否かという
問い求めは――参考になり得ましょうが―― 質問者さんは問う
ておられない。要するに 人間観・人間論を目指しておられるの
だと見られます。そのように問われたらよいと感じます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/08/23 16:18

人の脳が「フレーム問題」をどう解決してるか(解決しているように見せている)について具体的にご説明します。


但しこれはあくまで「イメージ」です
「お腹が空いたのでご飯を食べようとしている」とします
ですが「食べ物」が決まっていないとします
このような時には適当に「食べ物」を思い浮かべて検討します。
「ラーメン」が思い浮かんだとします。
「ラーメン」にしよう決めるられる明確な根拠が無くラーメンにするのはやめる明確な根拠がない場合ラーメンにするかしないか悩み続けてしまいます。  
それを解決する方法として適当なタイミングで下記の判定を差し込みます
「続ける」→この場合は今検討している食べ物をやめて別の食べ物を検討する
「止める」→この場合は検討をやめて今検討していた食べ物に決める
です
「続ける」との判定を差し込んだ場合には「ラーメン」はやめて別の食べ物を検討する
「止める」との判定を差し込んだ場合には「ラーメン」に決める
となります。
このやり方によって「決める明確な根拠が無くても決めれる」・「止める明確な根拠が無くても止められる」のです 
次に「続ける判定」・「止める判定」について
「不確定さ」によって「永遠」に「続ける判定」を出し続ける事は出来ません。どこかで「止める判定」を必ず出すのです
では「続ける判定」ど「止める判定」をどのように決めているのか?それはサイコロを振るかの如く確率論的に適当に決めています。
以上を踏まえて言えば
「適当に検討し適当に決めている」となります
それが何故可能か?というと人の脳は「曖昧」だからです
だからこそ「曖昧な処理」が可能なのです
因みに明確な基準に基づいて正確な答えを出すように作られているAI以外のコンピュータには「曖昧な処理」は出来ませんし「曖昧な答え」が出せません
よってAI以外のコンピュータが「フレーム問題」を解決出来ないのはそのためです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/08/23 18:51

A restaurant nearby provide us with not a perfect but a complete

dinner.
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございました。
一つしか、二つしかないものに、perfect とか complete とか取り上げることは大げさすぎるのではないでしょうか。(厳格な哲学では、両者に厳密な区別が厳存しなければない、のでしょうか)

お礼日時:2020/08/18 07:54

>大仰なcompleteとかperfectとの係りでなくとも、



大仰で悪うございました。

日本語の「完全」という語はcompleteとperfectの二義を持つので、それをわかりやすくしたつもりでした。
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<日本語の「完全」という語はcompleteとperfectの二義を持つ>のですね。
ただし、凡庸な私の頭でも、凡庸な私の辞書でも、completeとperfectとは
際立った意味の差を持っていないようですが。

お礼日時:2020/08/18 06:48

オマケ


人の「フレーム問題」
人が「フレーム問題」をどのように解決しているのか?
未だその謎は科学的(認知学その他)に解決されていません。いくつかの仮説が提唱されていると言った状況です。
その中で興味深い仮説がありますそれは「実は人はフレーム問題を解決してはいないが解決しているようにみせているだけ(疑似解決)」と言う仮説です。
この仮説にスポットを当ててみます 
「人はフレーム問題を解決していない」については
「心配症」等精神病患者にそれが見受けられます。
心配症患者は一度「心配事」
が起きると関連する「心配」が連鎖します。
またあらゆる事柄において「心配」し得るのです。
これが「心配初患者」が「フレーム問題」を解決出来ていない証拠です。
それに対してそのような精神的な病気または病的な状態(心配性)ではない多くの人達にはそのような事が殆ど見受けられません。
何故かそれは「心配が連鎖」し得る状態にあっても何らかの理由で「見切りをつけ」て連鎖を断ち切るからです。
まさにその「見切り」こそが「フレーム問題」を解決しているように見せかけているのです
では何故「見切れるのか」?
それは「人の脳」は「アバウト」だからでしょう。
アバウトだからそこ適当なところで見切れるのです 
しかしながら脳神経細胞は物理的・機械的に処理しています。
それはコンピュータも同じです
「適当に見切る」事を人には出来てコンピュータに出来ないのは何故か?
私個人の考えとして  
コンピュータは「古典物理学的」に処理をしているのに対して「人の脳」は「量子論的に処理」しているからだと考えています
量子の性質の一つに「不確定さ」があります。
この「不確定さ」を脳処理に当てはめると「処理結果」は「処理する」迄決まらないとなります。
また「不確定さ」によって同じ処理をし続ける事は出来ないとなります。(同じ処理を確実にし続けるならそれは確定的となるからです) 
それによって「見切り」についても「いつ見切るかは」見切る迄に決まらない。と同時に永遠に「見きれない状態」を取り続ける事ができないのです
よって人は何の根拠が無くても「適当なところで見切れる」となるのです。
まぁあくまで「量子論的に脳処理している」は私個人の考えですが「量子論的に脳処理をしている」と考えたほうが「脳処理」をうまく説明出来るのです
参考迄に
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この回答へのお礼

度々の御回答さ理がとうございます。
<「実は人はフレーム問題を解決してはいないが解決しているようにみせているだけ(疑似解決)」と言う仮説です。>
<「人の脳」は「量子論的に処理」しているからだと考えています
<量子の性質の一つに「不確定さ」があります<>。<よって人は何の根拠が無くても「適当なところで見切れる」となるのです。>ですね。
量子論は難しく、私は逃げまわっています。私は、安直に、脳の情報容量が大きい(広範囲な分野について)ため、と思っていました。(ある特定分野では、AIのほうが大きいでしょうが)

お礼日時:2020/08/19 16:21

>完全な芸術品じゃった  → 芸術品として備えるべき要素を全て備えている。


>完全な芸術品といえるなら人間と同じ心を持つはずだ → 誤った主張
>そりゃあちがう  → 手塚治虫の主張
>だから完全じゃないだろう → 誤った主張
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この回答へのお礼

初学者のせいで。お手数をかけております。
大仰なcompleteとかperfectとの係りでなくとも、平凡なons side・一方 やboth sides・両方でも充分に分析できそうですが。

お礼日時:2020/08/17 18:42

おまけのおまけ


鉄腕アトムが初めて放送された時期は「第一次AIブーム」の真っ盛りだった野で鉄腕アトムはまさにそれに呼応した作品と言えるでしょう。
しかしながら当時のAIはプログラムによる限界が指摘されていてその最たるものが「フレーム問題」でした。
もしかすると手塚治虫氏はその事を知っていたのかもしれません。
ついでに言えば
猫型の自立型ロボットである「ドラえもん」はロボットとしては欠陥品であることには間違いないです。
ですがだからこそ人間臭いのです
「アシモフのロボット3原則」とカラメルとその象徴的なシーンとして
ドラえもんがのび太の願いを意図的に断るシーンです
ドラえもんがのび太の願いを断ったのにはそれがのび太の将来に良くはないと判断したからです
ですがこの判断はロボット3原則に従ってロボットを作っている限りAIであっても非常に困難な判断です 
というのも表層的にはのび太の為にならない判断ですしその将来のみたても確率的に考えれば100ではないからです
それがデキるのはドラえもんがあるのです人間的な欠陥を有するからです。
それを踏まえて言えばスカンク草井氏は鉄腕アトムよりドラモンのほうが人間臭い分完全なロボットと判断したかもしれません
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<「アシモフのロボット3原則」>からみれば
<猫型の自立型ロボットである「ドラえもん」はロボットとしては欠陥品であることには間違いないです。>
<ですがだからこそ人間臭いのです>
<それを踏まえて言えばスカンク草井氏は鉄腕アトムよりドラモンのほうが人間臭い分完全なロボットと判断したかもしれません>ですね。
修道院のシスターのように純化されたアトムより、<人間臭い><ドラえもん>の方が完全かもしれませんね。

お礼日時:2020/08/19 16:11

この会話は、


completeを論じているのであって、
perfectを論じているのではないと思うなぁ。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
質問者の頭のレベルに合わせて、回答レベルも下げて頂くよう、切にお願いします。

お礼日時:2020/08/17 09:15

御茶ノ水博士は「完全な芸術品」と云う言葉にどの様な思いを込めたのでしょうね。



“草井”はこの言葉、特に「完全」を人間そっくりである事、と受け止めています。

その返答を受けた博士の反応から、博士の使った「完全」には《良い人間》と云う思いが含まれている事が分かります。

続く“草井”の「だから完全じゃないだろう」の言葉。

ズレを感じませんか?

“草井”は、悪い心を持たせてこそ人間そっくりになる=完全と云える、と云うスタンスでの物言いですね。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<ズレを感じませんか?> このズレが論争でしょうね。
人間は誰も善・悪の心を両方持っている。
お茶水博士は、アトムが善の心だけであるので完全だ、という。(人間を浄化したのでしょうね)
一方、草井は、アトムが善の心だけであるので不完全だ、という構造ですね。(人間とそっくりでない、と)

お礼日時:2020/08/17 09:11

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