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ヘーゲルの人倫が、家族と社会と国家それぞれにあることは分かったのですが、何故それが「だから、人のものを盗んではいけない」、という風になるのですか?

A 回答 (2件)

一次文献を読んでいるわけではないので、非常におおざっぱな説明しかできませんが、参考程度に。



まず「人倫」というのは、単純化していえば「家族、市民社会、国家」という共同体のなかで現実化される理性的意志のことです。ですから、そのことから直接には「人のものを盗むな」という規範を導くことはできません。

まず、「家族」は独立した男女の愛情に基づく共同体です。子どもも独立した存在者であって、親の「所有物」ではありません。家族生活を成り立たせる「資産」は共同の所有で、どの構成員もそれに対する権利があります。

→ですから、ここでは「人のものを盗む」ということそのものが成立しません。

それに対して、「市民社会」は、独立した個人から成り立ちます。その個人は、自分の幸福を求めて、道具を使って自然に働きかけ、それによって所有物を生産する。そうして自分のさまざまな欲求を実現させていきます。
「市民社会」は「欲求の体系」である、とも言えるのです。

ここで市民社会は、ばらばらの利己的個人の世界ではありません。市民社会に生きる個人は「他者からの承認」によって、主体として、つまり市民社会を構成する一員として認められます。
このとき、主体となれるものは、財産を所有する個人だけです。

法的な人格は、他者を自己と同じ人格として承認するけれど、そのとき承認するのは他者そのものではなく、財産を所有する存在として、承認するのです。

生活のなかで個人の生計は偶然性に左右されます。個人の技能や財産に不平等が生じます。こうして、市民社会は「人倫の喪失態」となっていきます。

そこで、人倫の回復の試みが司法活動や、福祉行政、職業団体、地方自治団体によってなされます。

→ですから、こうやって見ていけば「人のものを盗む」という行為は、他人の所有する財産を侵害するわけですから、市民社会にあっては規範として成立します。

時間がなくなったので、詳しくは書けませんが、ヘーゲルがイメージした「国家」というのは、公的生活の領域ですから、そもそも「人のもの=私的所有財産」という概念そのものをこの領域では扱いません。

以上、参考までに。
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恥ずかしながら


>「だから、人のものを盗んではいけない」
と書いてあるものは読んだことないのですが、人倫自体は何ら禁じ手
を公表しているのではなく、自己の他在性を自己へ回収するという
理念の体系ではないのでしょうか。

「近代市民社会」と呼ばれていたヘーゲル時代の社会は自己の利益の
みが追求され(まぁ今も変わりませんが)、期待していたような世界
になってはいなかった。その原因はどこにあるのか?といった思想的
な発想の根本契機の材料として「人倫」があるのだと私は読みました。

大げさに言ってしまえば、社会全体を幸せにするような思想って例え
ばどんな感じなのよ?といった人々の回答として法哲学は発想された
と思うので、「~をしてはいけない」ではなくて、こうした思想を基
に社会を築けたら「~にはならない」といった根源的な部分ではない
でしょうか。

「自分」から考えるのではなく、「他社との係わり合いの中における
自分」から考えれば、結果的に盗むようなことは起きない、という
ような・・・(例えばの話ですが)

倫理の基本を「自己の他者との相関性」に置いている部分に関しては、
キリスト教等の「裁きを受ける」と言った物語に対して、非常に新鮮
な発想だと思った記憶があります。カントなんかもそうなんでしょうか。

ヘーゲルのはあまり深く読めてませんので、自信はないです。
(難解?)
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