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黄綬褒章などを受賞した方には、「この道ひとすじ」と称賛されます。

ところで、シンシアリー著の[なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか]の中に次に説明がありました。

<韓国には、「一生、それだけして食え」という言葉があります。もう少し一般的な表現に書き換えると、「生涯その仕事を続けろ」になります。何かの褒め言葉、または激励の言葉に聞こえますが、実は相手に対する「ヨク」(辱。低俗な悪口)の一種です。>と。

「この道ひとすじ」と「一生、それだけして食え」に大きな差がありますが、なぜ発生したのか教えて下さい。

A 回答 (5件)

朝鮮は日本が身分制度を撤廃した後も、良民(両班、中人、常民)と賤民(奴婢、白丁)の制度が形を変えて残存しました。

特に、戦後は朝鮮戦争のどさくさに紛れて、燃えてしまった戸籍や族譜の偽造が相次ぎ、自称両班がほとんどになってしまいました。

高麗や李朝時代の両班はエリートで、自分たち以下のものを見下していました。見下された者の中には多くの農民や職人がおり、彼らも被差別民だったのです。で、この差別意識は、韓国建国後の似非両班たちも受け継いだ結果、職人に対する差別が社会に固定します。

もっとも日本にも職業差別はありました。士農工商自体はほとんど機能しなかったという最近の研究はあるし、士農工商間では「お侍さん」、「大工さん」、「お米屋さん」など、職業に敬称である「さん」をつけていましたが、被差別階級の職業には敬称をつけませんでした(例は差し控えます)。

秀吉の朝鮮侵攻の際、庶民は解放軍が来たと喜んだそうです、それだけ支配階級の差別と収奪が酷かったのでしょう。朝鮮の陶工たちは、明との講和成立後、帰国する秀吉軍とともに日本に行くことを選択し、それが現在の伊万里焼です。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<朝鮮は日本が身分制度を撤廃した後も、良民(両班、中人、常民)と賤民(奴婢、白丁)の制度が形を変えて残存しました。><差別意識は、韓国建国後の似非両班たちも受け継いだ結果、職人に対する差別が社会に固定します。>のですね。
日本では、<士農工商自体はほとんど機能しなかった>のですね。

お礼日時:2020/08/23 16:14

中国もですが、韓国は、科挙の試験に合格して


キャリア官僚になるのが最高に偉い、という
伝統があります。

科挙の試験に合格するためには、幼少の頃から
膨大な読書をし、勉強することが必要です。

だから、そういう読書人が尊敬されるように
なりました。

その反面、身体を使う職人などが軽蔑される
ようになったのです。

水泳の北島 康介選手が金メダルを取ったとき、
中韓では、肉屋のせがれが、ということで
侮蔑的なカキコが溢れました。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
中国・韓国では<中国もですが、韓国は、科挙の試験に合格して
キャリア官僚になるのが最高に偉い、という伝統>のだったのですね。(日本は、律令制度の導入を試みたが、幸か不幸か採用しませんでしたね)
<身体を使う職人などが軽蔑されるようになったのです>ね。
<肉屋のせがれ>発言があったのですか。

お礼日時:2020/08/21 15:01

韓国では古来から職人は奴隷と同じ扱いでしたから...。


韓国の人々の意識の中に「職人は奴隷と同じ」という概念が残っているのです。

韓国で「基礎研究」が10年どころか5年も続かないのはその名残です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございまdした。
<韓国では古来から職人は奴隷と同じ扱い>なのですね。今でいうゼネラル職でないスペシャリスト(専門職)は、奴隷なのですね。

お礼日時:2020/08/21 14:49

韓国では商売に成功したら安い給料で他人を雇って自分はご主人様になるというのが人生の目標です。


ですから、一生料理人をやっている職人によりも、料理屋を多店舗展開し、自分は調理場に立たないご主人様が理想とされるのです。

この文化の違いができた理由として、日本では士農工商の階級がそれぞれに良い面と悪い面があって、商人なら商人として、職人なら職人として幸せな人生を目指す者が多かった一方、日本統治以前の朝鮮では、労働をしないリャンパンと使い捨てのペクチョムの二元社会だったため、一流の職人を目指して腕を磨くという人生設計が成立しなかったということが、今日の違いの原因と考えています。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<韓国では商売に成功したら安い給料で他人を雇って自分はご主人様になるというのが人生の目標です。>
日本では、<商人なら商人として、職人なら職人として幸せな人生を目指す者が多かった>のですね。
歴史的には、<労働をしないリャンパンと使い捨てのペクチョムの二元社会だった>こともあるのですね。

お礼日時:2020/08/21 14:45

「それだけしかできないから」という、木工品を作るアーティストがいたとして、我々には「それすらも」できないと認識しますが、そのコミュ

ニティの中でしかいきられない人(例えば、コンビニの店長しかできない人もいれば社員や管理職しかできない人)どっちが悪くてとかそういう話ではなく、人は適材適所でいきるべきなのでは?と説いてるんじゃないかな?「一生貧乏は、貧乏でいるしかないんだよ」とか、そういう意味じゃないと思いますけど
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この回答へのお礼

d早速の御回答ありがとうございました。
人は<適材適所>であるべきだし<適材適所>に落ち着くのだ。したがって、<「一生貧乏は、貧乏でいるしかないんだよ」>ということですね。

お礼日時:2020/08/21 14:39

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