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けして庶民のように家にお風呂がないもしくは銭湯がない?とかじゃなく、お風呂場を作ろうと思えば作れるのに、なぜ貴族はお風呂にはいる習慣がなかったんでしょうか。
もしかして、お風呂にはいってドレスを着るためにコルセットを閉め直すとか、髪をセットし直すのがめんどくさかったからですか?

質問者からの補足コメント

  • ローマ人ではなく、フランス人の貴族とかです。
    間違えました

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/08/25 04:50

A 回答 (6件)

キリスト教の影響と伝染病ですね。


以下、wikiからの引用です。

----以下引用
初期キリスト教の厳格な信者からはローマ式の入浴スタイルは退廃的で贅沢であるとされ、敬遠されるようになった。不潔さこそ聖人の要件であり、自己犠牲、敬虔な振る舞いであると信じられた。入浴するにしても服を脱ぐ事は論外であり、異教徒と同じ浴槽に入ることも考えられないことであった。
(中略)

共同浴場は、コレラやペスト、梅毒などの伝染病の温床となり、1350年の腺ペストの流行により多くの公共浴場が閉鎖された。それ以後の共同浴場は実質的に売春宿だけとなり、16世紀には全面的に禁止されるに至った。結果、キリスト教徒の間では社交的入浴は享楽の象徴とみなされて忌み嫌われ、自宅での個人風呂が主流になっていった。

ルネサンス期のヨーロッパ(特にフランス)では「水や湯を浴びると病気になる」と信じられた。ヴェルサイユ宮殿のバスタブは建設された当初は使われていたものの、その後はマリー・アントワネットが嫁ぐまで使われなかった。王侯貴族は入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭をごまかすようになった。これがパリなどのフランスの大都市部の公衆衛生の悪化の原因の一つとなった。

---引用終わり

入浴(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B5%B4
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ネットに   


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B5%B4 …
共同浴場は、コレラやペスト、梅毒などの伝染病の温床となり、1350年の腺ペストの流行により多くの公共浴場が閉鎖された。それ以後の共同浴場は実質的に売春宿だけとなり、16世紀には全面的に禁止されるに至った。結果、キリスト教徒の間では社交的入浴は享楽の象徴とみなされて忌み嫌われ、自宅での個人風呂が主流になっていった。
ルネサンス期のヨーロッパ(特にフランス)では「水や湯を浴びると病気になる」と信じられた。ヴェルサイユ宮殿のバスタブは建設された当初は使われていたものの、その後はマリー・アントワネットが嫁ぐまで使われなかった。王侯貴族は入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭をごまかすようになった。これがパリなどのフランスの大都市部の公衆衛生の悪化の原因の一つとなった。
https://www.dplay.jp/article/0000037074
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日本だって、沼津御用邸にある風呂場には湯舟はなく、かけ湯だけだったそうですよ。


法華寺に光明皇后が開いた浴室は蒸し風呂でした。

ローマは公衆浴場を整備することが皇帝の仕事でした。
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今は普通に入ってるけどね。


じゃ、その当時の日本ではシャンプーも無いし、
ちゃんと洗っていたか?と言うと疑問ですよね?
温泉か、お湯を沸かせて温まっていたとは思うけど。
体臭がきつくなかったから、汗を流してただけのような気もします。
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中世にペストが大流行しましたが、当時はまだ細菌やウイルスについての知識はありませんでしたので、原因と対策がわからなくてヨーロッパの人々は困り果てていました。


なので、人が大勢いる場所はどうも危険だとか、公衆浴場が危ないとかいう話になり、さらには、風呂に入ることも良くないのではないかとさえ言われるようになり、入浴の習慣が廃れていきました。その結果、体臭を隠すために香水が広く使われるようになったと言われています。
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古代ローマには身分差が無く公衆浴場がり家庭にはお風呂を作らなかった

この回答への補足あり
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