改めて皆さんのお知恵をお借りしたいんです。はじめに、私は英語を通して海外の方に日本文化を紹介することに興味のある者です。ただし、天文学や暦などにはほとんどといって良いほど知識はありません。

(1)私の疑問は「大寒」という季節の区切り、特に今年であれば1月20日の日を日本文化に詳しくない外国の人に説明しようとしたときに、文字通り(「大寒」)1年のうちで最も寒い日とされている根拠は、わかりやすく暦のうちの二分法でいうところの「太陽暦」なのか、それとも「太陰暦」なのか、という点です。この疑問の背景については、この同じカテゴリーの私の質問(No.1184027)をご覧ください。

(2)以前の私の質問(No.1184027)に回答を下さった4人の方の(1)に対する端的な答えは「太陽暦」である、という点で一致されていました。
さて、改めてある事典を引いてみて気づいたことがあります。「二十四節気」を引いてみると、それは「太陰暦の日付と季節を一致させる為に考案されたもので、明治5年まで使用された太陰太陽暦のひとつ、天保暦もこれを使用していました。現在「旧暦」と呼んでいる暦もこの天保暦の焼き直しです」とありました。さらに、辞書(広辞苑)で「太陰暦」を引いてみると、「広義には太陰太陽暦を含めていう」とありました。
ということは、あくまで広辞苑に基づけば、の話ですが、

大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」)

ということになり、(1)の答えは「太陽暦」(solar calendar)ではなく「太陰暦」(lunar calendar)となるように思いますが、いかがでしょうか?

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A 回答 (9件)

前回も回答した者です。



まず(2)に対する端的な答え。
やっぱり「大寒」が依拠する暦は「太陽暦」です。

大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」)

と書かれましたが,そうではなくて,
月の満ち欠け → 太陰暦 → (二十四節気を加味) →太陰太陽暦
                 ↑
                太陽の動きが基準
という関係です。
(うまく見えるでしょうか。フォントによってはずれてしまうかもしれません。↑のしるしは(二十四節気を加味)を指しています)

さて,いろいろな回答が出ていますが,基本的な説明は,No.1, 2, 5で足りていると思います。
あらためて整理し直してみますと,

「二十四節気」は
「太陽暦の考えに基づいて作られている」ものであって
「太陰暦を修正するために使われている」。
純粋の太陰暦では季節と月(moonではなくてmonth)とがずれていってしまうので,それを直すために用いる。

と言えるでしょう。

今日使われている太陽暦はグレゴリオ暦,その前はユリウス暦でした。
しかし二十四節気は,グレゴリオ暦やユリウス暦を計算する過程で導き出されるものではありません。(実際,西洋では使われていませんよね)
二十四節気の定義そのものは,純粋に天球上の太陽の位置で決められているだけです。
特定の節気(たとえば大寒なら大寒)がいついつである,というふうに表現する段階になって,暦法が問題になり,たとえばグレゴリオ暦なら1月20日だけど旧暦なら12月11日だ,のようになるわけです。
おそらく,そういう意味で「暦とは無関係」という主張をされたのだと思います。

しかし,グレゴリオ暦やユリウス暦だけが太陽暦でしょうか。
私は「二十四節気そのものも太陽暦の一種である」といってよいと思います。
そもそも,暦法とは,過去から未来へと流れていく時間の流れの中に,一定の区切りを作って,それぞれに名前や数字を割り当てて,特定の瞬間(が含まれる時間帯)を言い表そうとする営みと言っていいでしょう。
その区切り方の基準に,月の満ち欠けを用いれば,太陰暦。
天球上の太陽の動き(=地球の公転)を用いれば,太陽暦。
太陰暦をベースにしつつ,地球の公転も考慮すれば,太陰太陽暦。

二十四節気は,1年を24に区切ったものです。(さらに3分割した七十二候というものもあります。)
ちょうど,グレゴリオ・ユリウス暦で,1年を12の「月」(month)という単位に区切ったのと同様です。
月と違って,数字で表せてないとおっしゃるかも知れませんが,月の名前だって外国語では数字じゃないものが多いですよね。
太陽の動きを元にして1年を区切ったのだから,これは原始的ではあるけれど(←1日単位の表し方ができていないという点で),立派な太陽暦と言っていいと思います。
どうしても「太陽暦」と呼びたくないのであれば,「今日用いられている太陽暦と同じく,地球の公転を基準にして決めている,1年間の中の刻み」といえばいいでしょう。(私は,それこそ太陽暦そのものだと思うのですが。)

この回答への補足

 盛んにご回答を寄せていただきましてありがとうございました。
 皆様のご回答にどの程度違いがあるのかはあまりよくわからないほど、私は素人ですのでやさしくご解説をしていただきますようにお願いいたします。
 いずれにしても、(1)(2)ともに太陰暦よりは太陽暦が関係しているという点では皆様の見解は共通していることがよくわかりました。
 
あと一日程度でこの質問は閉じさせていただこうと思います。

補足日時:2005/01/27 19:31
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この回答へのお礼

わかりやすく解説していただきましてありがとうございました。

お礼日時:2005/01/28 22:36

私の書き方がまずかったために,No.8の回答の一部が削除されてしまったのですが(そのことはいいのですが),そのために結果的にわかりにくくなってしまった部分がありますので,少し補っておきます。



No.8の「と言えるでしょう。」と,「今日使われている太陽暦はグレゴリオ暦,その前はユリウス暦でした。」の間に,次のように補って読んで下さい。

----------(ここから)
それ以外の方の回答も,基本的な部分,つまり二十四節気は天球上の太陽の動きによって決められている,という点では一致していると言えるでしょう。

そこで一歩話を進めて,二十四節気だけをとりだして考えたとき,これも太陽暦と呼んでいいか,つまり二十四節気自体はこよみといえるか,その点で解釈の違いがあるようです。

(ここまで)----------

ちなみに,グレゴリオ暦は現在用いられている,400年に97回閏年をおく方式,またユリウス暦はもっと単純に,4年に1回閏年です。

この回答への補足

多くの方々から回答をいただきましてありがとうございました。
 素人の私にもわかりやすく解説をしていただきまして、(1)(2)ともに太陰暦よりは太陽暦が関係しているというところまでは何とか理解できたような気がします。
 重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

補足日時:2005/01/28 22:42
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No.4のymmasayanです。

端的に言って

(1)24節季は太陽の運行(地球の公転)に依拠する。
   太陽暦や太陰太陽暦も太陽の運行に依拠し、これら3つは親戚関係である。
   また24節季は上の2つの暦にも反映されている。
(2)上記結論と同じ。

24節季が暦に依拠するとしたところに無理があるようです。 
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この回答へのお礼

わかりやすい解説をありがとうございました。

お礼日時:2005/01/26 16:55

天保暦自体が、太陽が二十四節気点を通過した観測による日付決定法「定気法」を用いています。



もちろん、春分の日も、3月21だけでなく、20であったり、21であったりするのは昔から同じです。

太陽暦、太陰暦。
どちらも正解からかけ離れた回答です。

※昔から暦には全く関係無く定められています。
暦によるものではありません。
観測によって定められています。

しいて言えば、太陰太陽暦の太陽暦の部分。
これ以外の回答は出来ません。
※現在でも、天文観測によってこの日を決定しています。

当然、平安時代に使用を止めた太陰暦による部分は一切存在しない事になります。

天保暦以前は、観測でなく、分割して求めていました。
ここでは学問の欠落から暦に依存はしていますが、
これでも、太陰暦とは言い難く、
太陰太陽暦に属します。

太陰暦とは、太陽の補正をしない平安時代に使用を止めたものです。
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この回答へのお礼

<「太陽暦、太陰暦。
どちらも正解からかけ離れた回答です。」
「しいて言えば、太陰太陽暦の太陽暦の部分。
これ以外の回答は出来ません。」>

ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2005/01/26 06:20

No.2の補足への回答です。


「太陽暦」とは地球の公転にもとづく暦、「太陰暦」は月の公転もとづく暦だとして、では二十四節気は「太陽暦」と「太陰暦」のどちらに分類されるのかと聞かれれば、「太陽暦です」と答える以外にありません。二十四節気は地球の公転にもとづいて決められるからです。ところが、歴史的には太陰暦を季節に合わせるために使用されたものですから、太陽暦を使用する場合は不要ということになります。つまり、
「天文学的な意味での暦法の分類」でいえば「太陽暦」
「歴史的な使用目的・対象」でいえば「太陰太陽暦」
ということになり、何の話をしたいかによって答えが異なることになります。
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この回答へのお礼

>「天文学的な意味での暦法の分類」でいえば「太陽暦」「歴史的な使用目的・対象」でいえば「太陰太陽暦」

というご指摘は、理科に弱い私には新鮮な解説でした。ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/26 06:16

24節季は太陰暦、太陽暦のどちらから来たものでもありません。


と言うのは黄道360度を24等分したものが元になっています。
これから見れば太陽暦が元になっているようにも見えます。
しかし、実は24節季は旧暦(太陰太陽暦)で重要な役目を担っています。
太陰暦では月の動きを基準にするため、「月」が太陽の動きと段々ずれてきます。
そこで閏月を含めた「月名」を決める手立てが必要になるのです。
このために利用されたのが24節季なのです。
つまり太陰太陽暦を支える重要な働きをしていたのが24節季ということになります。
太陰太陽暦のうちの太陽暦の部分に関係していたと言う事です。

結論的に言うと24節季は
 太陽暦とは全く関係がない。
 太陰太陽暦を支える重要な役割をしていた。
 太陰暦とも全く関係がない。
と言う事です。

参考URL:http://www.iknet.info/docs/sekki.html

この回答への補足

皆様のおかげでやっと少し頭が整理されてきたように思えます。大雑把に言って、やはり大寒を規定する二十四節気の考え方との関わりは

太陽暦>太陰暦

ということのようですね。

もうしばらくこの質問を閉じずにおきます。

私の疑問(1)、(2)に端的に答えるとするならば、という方向でのご回答を続き期待いたします。

補足日時:2005/01/25 23:52
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この回答へのお礼

他の方とはちょっと違った角度からのご説明のように思われ、新鮮でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/25 23:48

 素人の私が回答しなくてもよさそうなものですが、わたしの理解を書き込みます。

間違いは皆さんでご訂正を願います。
 旧暦では1,2,3月を春
     4,5,6月を夏
     7,8,9月を秋
     10,11,12月を冬と配当します。
 この春の真ん中2月に「春分」が来て欲しい。
   秋の真ん中の8月に「秋分」が来て欲しい訳です。
 また、1月に「立春」などが来て欲しい等々です。
どなたかも説明されていましたが、十二満月では一年(一太陽の公転)に11日ぐらい余りが出ます。
 この調整をしたものが旧暦であると理解しています。

 あくまでも太陽の高度の一年二十四等分は科学的と言えましょう。(その意味で太陽暦)
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2005/01/25 23:41

仮に純太陰暦を採用し、1太陰年を12太陰月とすると、1太陰月は29.5日ですから1太陰年は354日となります。

これは地球の公転周期365.24日からかなりずれますので、純太陰暦の各月は季節を表わしません。年によって2月が夏だったり、11月が春だったりします。
これでは不便なので、地球の公転にもとづき、ときどき1年を13太陰月にして補正するのが太陰太陽暦です。天保暦もその一つです。しかし、太陰太陽暦でも、誤差はかなり大きく、春分や夏至が何月何日になるかは毎年かなり変わります。そこで、地球の公転だけにもとづいた二十四節気を暦に記載しておき、「今年の○月○日は立春だから○○の種まきだ」とかいうように使うわけです。つまり、二十四節気は、季節との誤差が大きい太陰太陽暦の欠点を補うものなのです。
現代では、純太陽暦を使用していますので、二十四節気の日付は毎年ほぼ固定しています。したがって、日付以外にわざわざ二十四節気を使う意義は薄くなりました。もし、今でも天保暦を使用しているとしたら、我々は「学校の制服を冬服にするのは寒露から」とか「屋外ビアハウスは芒種から開店します」などと言っているかもしれませんね。
(参考)
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/20 …
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/se …

参考URL:http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/20 …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
端的に質問の(2)に答えをいただくとどうなりますか?

お礼日時:2005/01/25 23:39

大寒を含む「二十四節気」は


「太陽暦の考えに基づいて作られている」であって
「太陰暦を修正するために作られている」であり、
質問のされかたによってはどちらも正解なのです。

二分法というか、英語にも「Lunisolar calendar」という言い方があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lunisolar_calendar

二十四節気だけを取り出して考えれば、それは太陽暦です。
太陽の動きのみを元にして作った暦な訳ですので。

また、太陰暦に太陽暦の考え方を含めるために作られたのが二十四節気ですから、
二十四節気は太陰暦(太陽太陰暦)の一部であるとも言えるわけです。

で、(1)の通り、大寒を「1年のうちで最も寒い日とされている根拠」として説明するためには、
二十四節気が太陽暦の考えを元にした求め方である必要があります。
そうでなければ、太陽暦の下で毎年ほぼ同じ日に来ることができません。

ちなみに、参考URLからわかるとおり、
大寒が一番寒い日とされるのは中国の考え方に基づくもので、
決して日本にそのまま当てはまるものではありません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81% …
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この回答へのお礼

理路整然としたご説明をありがとうございました。おっっしゃることは理解できたように思います。

お礼日時:2005/01/25 23:36

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(1)私の疑問は「大寒」という季節の区切り、特に今年であれば1月20日の日を日本文化に詳しくない外国の人に説明しようとしたときに、文字通り(「大寒」)1年のうちで最も寒い日とされている根拠は、わかりやすく暦のうちの二分法でいうところの「太陽暦」なのか、それとも「太陰暦」なのか、という...続きを読む

Aベストアンサー

前回も回答した者です。

まず(2)に対する端的な答え。
やっぱり「大寒」が依拠する暦は「太陽暦」です。

大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」)

と書かれましたが,そうではなくて,
月の満ち欠け → 太陰暦 → (二十四節気を加味) →太陰太陽暦
                 ↑
                太陽の動きが基準
という関係です。
(うまく見えるでしょうか。フォントによってはずれてしまうかもしれません。↑のしるしは(二十四節気を加味)を指しています)

さて,いろいろな回答が出ていますが,基本的な説明は,No.1, 2, 5で足りていると思います。
あらためて整理し直してみますと,

「二十四節気」は
「太陽暦の考えに基づいて作られている」ものであって
「太陰暦を修正するために使われている」。
純粋の太陰暦では季節と月(moonではなくてmonth)とがずれていってしまうので,それを直すために用いる。

と言えるでしょう。

今日使われている太陽暦はグレゴリオ暦,その前はユリウス暦でした。
しかし二十四節気は,グレゴリオ暦やユリウス暦を計算する過程で導き出されるものではありません。(実際,西洋では使われていませんよね)
二十四節気の定義そのものは,純粋に天球上の太陽の位置で決められているだけです。
特定の節気(たとえば大寒なら大寒)がいついつである,というふうに表現する段階になって,暦法が問題になり,たとえばグレゴリオ暦なら1月20日だけど旧暦なら12月11日だ,のようになるわけです。
おそらく,そういう意味で「暦とは無関係」という主張をされたのだと思います。

しかし,グレゴリオ暦やユリウス暦だけが太陽暦でしょうか。
私は「二十四節気そのものも太陽暦の一種である」といってよいと思います。
そもそも,暦法とは,過去から未来へと流れていく時間の流れの中に,一定の区切りを作って,それぞれに名前や数字を割り当てて,特定の瞬間(が含まれる時間帯)を言い表そうとする営みと言っていいでしょう。
その区切り方の基準に,月の満ち欠けを用いれば,太陰暦。
天球上の太陽の動き(=地球の公転)を用いれば,太陽暦。
太陰暦をベースにしつつ,地球の公転も考慮すれば,太陰太陽暦。

二十四節気は,1年を24に区切ったものです。(さらに3分割した七十二候というものもあります。)
ちょうど,グレゴリオ・ユリウス暦で,1年を12の「月」(month)という単位に区切ったのと同様です。
月と違って,数字で表せてないとおっしゃるかも知れませんが,月の名前だって外国語では数字じゃないものが多いですよね。
太陽の動きを元にして1年を区切ったのだから,これは原始的ではあるけれど(←1日単位の表し方ができていないという点で),立派な太陽暦と言っていいと思います。
どうしても「太陽暦」と呼びたくないのであれば,「今日用いられている太陽暦と同じく,地球の公転を基準にして決めている,1年間の中の刻み」といえばいいでしょう。(私は,それこそ太陽暦そのものだと思うのですが。)

前回も回答した者です。

まず(2)に対する端的な答え。
やっぱり「大寒」が依拠する暦は「太陽暦」です。

大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」)

と書かれましたが,そうではなくて,
月の満ち欠け → 太陰暦 → (二十四節気を加味) →太陰太陽暦
                 ↑
                太陽の動きが基準
という関係です。
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特に支障や不便はありませんが、疑問に思い*推理を廻らしていますが不明です。
どなたか、教えて頂けませんでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。


*月の満ち欠け
*太陽からの引力
*当初の設定&発明者が何らかの理由で決めた
*その他のユニークな推説

Aベストアンサー

A.*当初の設定&発明者が何らかの理由で決めた
グレゴリオ暦を導入したときは、ユリウス歴の慣習(1ヶ月おきに短い月と長い月を交互)を引き継ぎ、ユリウス歴はそれ以前の原始暦を参考にしています。ユリウス歴以前は1年10ヶ月が多かったようです。

農耕サイクルの基準時計なので、以前の暦と大きく違うと種まきとか刈り入れの時期が混乱してしまう為、春分の日と秋分の日を大きくずらせないのです。
2月が短いのは畑作業がないからで、3月10月は農作業が長くできた方が税収いい。
そもそもグレゴリオ暦は1月1日からはじまっていません。1582年のユリウス歴の10月4日の翌日をグレゴリオ暦10月15日としてはじめました。年貢を正確に収納するためと収穫祭と暦開始日を合わせたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%9A%A6
ユリウス歴以前の1年10ヶ月というのは、農耕期間しかカレンダーがないものが多く、畑はじめが1月1日で納税の日が10月最終日で1年が終わっていて、冬のカレンダーがなく、治世者がずれた春分の日を再計算して翌年の1月1日を発表していたようです。

あと月の名前をローマ皇帝が取り合ったので派閥争いなどもあります。

A.*当初の設定&発明者が何らかの理由で決めた
グレゴリオ暦を導入したときは、ユリウス歴の慣習(1ヶ月おきに短い月と長い月を交互)を引き継ぎ、ユリウス歴はそれ以前の原始暦を参考にしています。ユリウス歴以前は1年10ヶ月が多かったようです。

農耕サイクルの基準時計なので、以前の暦と大きく違うと種まきとか刈り入れの時期が混乱してしまう為、春分の日と秋分の日を大きくずらせないのです。
2月が短いのは畑作業がないからで、3月10月は農作業が長くできた方が税収いい。
そもそもグレゴリオ暦は1...続きを読む

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Aベストアンサー

#1です

お礼にあったサイトは個人作成の物でしょ?
誰にでも間違いや、勘違いはあるのでは?

以下を参考に。

節季・・・季節の「終わり」、時節の「終わり」
節季セールとかありますよね?冬物一掃大バーゲンみたいな。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%E1%B5%A8&kind=jn&mode=0&base=1&row=1

二十四節気
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=1486530-0000&kind=jn&mode=5

Q日本の太陽暦の始まりは1873年ですか? それとも1872年ですか?

資料によって違うのですが、日本の太陽暦の始まりは、1872年だったり、1873年だったりします。
ある文献によると、1872年12/3→1873年1/1に変更になったようです。だから資料によって表記が異なるのでしょうか?
そうすると、それ(太陽暦採用)までの歴史事項すべては、太陰暦での表示なのですか? 

1年の違いですけど、テストの採点に必要なので、納得いく説明をいただければ幸いです

Aベストアンサー

>1872年12/3→1873年1/1に変更になったようです…

これで間違いありません。太陽暦に移行すると決めたのが明治 4年、施行されたのが明治 5年と解釈すれば、明治 5年を太陽暦の始まりと考えて、問題ないのではありませんか。

>それ(太陽暦採用)までの歴史事項すべては、太陰暦での表示なのですか…

これは著者にもよりますが、一般的には、旧暦で書かれています。厳密には「太陰太陽暦」です。
したがって、年末付近の年号を西暦換算すると、1年ずれることがあります。
たとえば、一般に慶応 3年は 1867年に換算されますが、12月9日の「王政復古の大号令」は、慶応 3年でも 1868年です。
学校の先生のようですが、日本史は和暦が主、西暦は従と教えるのがよいと思います。

Q二十四節気による暦の使用

「暦の上では、春がやって来た」などと時々言われます。通常に使われている暦や、普通の季節感とは、異なったことが、言われることがあります。
これは、二十四節気による暦に依るのだそうです。
現代、どのような方や、どのような職業で、この二十四節気による暦を、役に立つものとして使用されているのでしょうか?

Aベストアンサー

No.8です。「二十四節気発祥の地である中国と日本の気候の違い」について少し具体例で補足します。

沖縄県などを除く日本のほとんどの気象観測地点では8月の方が7月よりも暑く、例えば東京の平均気温は7月が25.8度、8月が27.4度です。(1981ー2010年:出典気象庁HP)細かく見ると8月上旬が最も暑く、「立秋」となる8月8日ころは一年で最も暑い時期にあたることが多くなっています。

これについては、「「立秋」とは「これから涼しくなる」ということだから一年のうちで最も暑い時期であるのは当然だ」という説明がされることもありますが、理屈はそうであってもいささか苦しい説明で、すべての人がこの説明で納得するとは思えません。

中国の気候を調べてみるとこの疑問は氷解します。北京の平均気温は7月が26.3度、8月が24.9度((1971ー2000年:出典理科年表)で東京とは逆に8月の方が7月より低くなっています。つまり北京の方が東京より秋の訪れが早く、涼しくなるのも早いため、8月8日ころの「立秋」や「立秋の日、涼風至る」という言葉は、日本のほとんどの地方では実際の気候と合いませんが、二十四節気発祥の地の中国人の生活実感には合致しているのではないかと考えます。(二十四節気は古代中国に遡るものなので、本来は北京よりもっと内陸の黄河流域の都市と比較すべきですが大きな傾向は変わらないでしょう)

No.8です。「二十四節気発祥の地である中国と日本の気候の違い」について少し具体例で補足します。

沖縄県などを除く日本のほとんどの気象観測地点では8月の方が7月よりも暑く、例えば東京の平均気温は7月が25.8度、8月が27.4度です。(1981ー2010年:出典気象庁HP)細かく見ると8月上旬が最も暑く、「立秋」となる8月8日ころは一年で最も暑い時期にあたることが多くなっています。

これについては、「「立秋」とは「これから涼しくなる」ということだから一年のうちで最も暑い時期である...続きを読む

Q太陽暦(グレゴリオ暦)は廃止し、太陰太陽暦を採用すべきと思うのですが・・・

そろそろ太陽暦(グレゴリオ暦)は廃止し、新しい 「月・太陽運行併用連動制歴」(太陰太陽暦)を採用したほうがよいのではないでしょうか?

人間の体内時計は月の周期と同期していることがほぼ分かっています。月の満ち欠け(一朔望)を1か月とし、1年は354日という周期で暮らすほうがごく自然だと思うのです。

仕事にしても作業の圧縮化(能率化)が進んでスケージュールの前倒しも可能になります。
また、かつての旧暦(天保歴)等との対応を考えて改暦すれば、古い行事や慣習が復活して経済の活性化にも繋がります。また「二十四節気」を24シーズンポイントとし導入すれば季節感もより明瞭になります。農作業や漁業に携わる方にも優しい暦となります。

現在の精密な天文観測を反映させればズレも極めて抑えられると思います。

人間にも優しく、経済を活性化させることのできる利点だらけの新太陰太陽暦に移行すべきではないでしょうか?

Aベストアンサー

太陽暦はとりあえず残しておき、和暦をきちんと復活させて併記させるといいですよね。

そうすればもともと和暦で行われていた行事や慣習が蘇ります。

そもそも太陽暦というのは太陽(地球)の運行を数字で表しているだけの暦。情緒も何もない。

二十四節気を重ねるだけでも季節感をより感じて暮らすことができる。

日本の古い文化などを再発見するかもしれませんね。

Q円の角度が360°というのは、太陰暦から来ていますか?

単に素人の憶測ですが、円の角度が360°というのは、太陰暦が元になっているのですか?新月から新月になるのが30日で、一年が12ヶ月あるので、単純計算では、1年は360日になりますよね。一年が巡ってくるのが、つまり円をぐるっと一周するのが360日ということで、円の角度は360°になったんですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

太陰暦というより太陽暦でしょうね。
正確には1太陽年(365日とちょっと)を基準に、切り良く「360」としたのだと思いますよ。「360」だと、約数が多いですからね。1年は12ヶ月なので、「12」までの自然数を考えると、「7」と「11」以外の自然数で割り切れますから、何かと扱いやすいのではないでしょうか。
ちなみに、1年(12ヶ月)の「12」と両手の指の数である「10」が様々な分野での「進数」となっています。「10進数」とか「12進数」とかいうやつですね。時計は「60進数」ですが、これは「10」と「12」の最小公倍数だからといわれています。
あと完全な余談ですが、昔1ドル360円という固定レートだったころは「円は360度だから」という話も聞いたことがあります(全然関係ないね。すんません)


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