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大石学が、江戸時代の庄屋について、下のように書いています。

<農村では庄屋を選ぶ選挙が各地で行われたが、その入札(投票用紙)を見るとそれぞれ異なる筆跡で書いている。>と。

質問は、庄屋は入札で決まったのですか?
(私は、今まで、庄屋は世襲、と思っていましたが)

A 回答 (5件)

村によって色々なやり方がありました。


一般的には古い有力な家が世襲します。
しかし何か不都合があると別な家と交代したり選挙で選ぶこともあります。状況によっては領主の意向もあったようです。
私の生れた村では1790年頃まではK家が世襲していましたが以後はO家が幕末まで世襲しています。何らかの騒ぎがあったようなのですが具体的な内容は伝わっていません。
備中倉敷村では幕末頃に保守派と革新派の永い争いがあり文政11年(1828)以降は庄屋は入札で選ばれるようになります。庄屋は2人制で、だいたい保守、革新から1人ずつ選ばれたようです。大原美術館を作った大原孫三郎の祖父である大原与兵衛(壮平)も選挙で庄屋になっています。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<一般的には古い有力な家が世襲します。>のですね。
ただし、状況によっては<選挙で選ぶこともあります。>なのですね。
大石学の説明は、庶民の知的水準はかなり高かった、という文脈のなかにありました。
有力百姓が、立候補し(すなわち入札して)領主が決めた、のかもしれませんね。
それとは別に、有力百姓が投票(選挙)で庄屋候補を選びそれを領主が認めた、のかもしれませんね(庶民の知的(識字)水準が高かったので投票記入が可能)。

お礼日時:2020/08/30 18:36

ほとんど世襲でしょうが、


飢饉、疫病などで全滅し、よそから入植して0から村をスタートさせることもあるし、
庄屋候補が複数いる場合もあるでしょう。現庄屋が病気で引退、子供がぼんくらだから、親戚から選ぶとか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<ほとんど世襲>ですね。
非常時には、いろいろあるのですね。

お礼日時:2020/09/03 09:20

決まったやり方があった訳ではないです。

江戸時代は、村のルールを全国一律にきめた訳ではないので。一つの村はせいぜい数百人から多くても千人をちょっと超える程度の小規模なんです。たまたま見つかった資料を、全国に当てはまると勝手に解釈するのは間違いです。学者でも、そういう間違いをする人がいる。基本は世襲です。たまたま家が断絶した時、領主の不興を買った時、分村した時、新田開発で新規に立村する時に限って、選挙で選ぶ例もあったようだという解釈が正しいです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<基本は世襲です>ですね。
<たまたま><選挙で選ぶ例もあったようだという解釈が正しいです。><ですね。
<たまたま見つかった資料を、全国に当てはまる>わけではないのですね。

お礼日時:2020/08/31 08:24

質問文にあった引用文を見る限りでは大石学も「庄屋は入札で決まる」なんて書いてません。

そもそも庄屋の選挙で金額を決めるわけではないので。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2020/08/31 08:19

庄屋は、苗字帯刀を許された、一種の、村長「むらおさ」です。


年貢米の仕切りや、人別、領主からの伝達など、村政を司ります。
親子代々の世襲で、入札などで決まる物では有りません。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<親子代々の世襲で、入札などで決まる物では有りません。>
納得しました。

お礼日時:2020/08/30 14:36

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