新生活!引っ越してから困らないように注意すべきことは?>>

このカテでも、自己愛性パーソナリティという言葉が現れてきています。
wiki では、説明の冒頭は下のとおりです。

<自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英: Narcissistic personality disorder ; NPD)は、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である[1]。>

この<偉大な存在でなければならないと思い込む>の文章の意味について教えて下さい。
A.本人は、自分は、現在、偉大な存在である、と思っているのですか?
B.本人は、今後(将来)、偉大な存在とならなければならない、と思っているのですか?

A 回答 (20件中1~10件)

A だと思います。


おそらく下記のような意味かと。

ありのままの自分を愛することができないため、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込んでしまうパーソナリティ障害の一類型である。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い>かつ、現在実際になっている<と思い込んでいるパーソナリティ障害の一類型である。>のですね。

お礼日時:2020/09/03 17:27

《ありのままの自分》について 次の文献を参考にしました。



▲ 伊藤翼・吉田富二雄: 自己受容の概念と測定方法の検討
―「ありのままの自己」を受け容れるとは何か―
https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/site-img/gra/202 …

☆ まづ 《自己受容》なる主題について 基本的な考え方が示
され そのあと《ありのままの自己》とは何かが 一見解として
明かされます。

▲ ( p.9) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(あ) 本研究では,自己受容とは

(い) 「自己に対する単なる認知」や「肯定的な評価」という
よりも,

(う) いかなる認知や評価がなされたとしても,それと折り合
いをつけ,付き合っていくことができるかという問題であると結
論付ける。


▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(え) 「ありのままの自己」とは,

(お) 様々な認知・評価をなされたうえでの自己であり,

(か) それを「受け容れる」とは,自己を変えよう,治そう,
見ないようにしようとすることではなく,

(き) たとえどのような自己が存在していたとしても,それら
と折り合い,共存していこうという能動的な姿勢であるとの立場
を取る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ これを参考にするなら 次のようにまとめ得ましょう。

○ (く)〔(え)(お)より〕 ありのままの自己とは,様々
な認知・評価をなされたうえでの自己

(け) 〔(き)を加味して〕 ありのままの自己とは (く)
の自己を受容して生きるその自己をも言うはずだ。

(こ) 〔つまり (け)の言い換えとして〕 たとえどのよう
な自己が存在していたとしても,それらと折り合い,共存してい
こうという能動的な姿勢〔においてつねに自己受容をおこない続
ける自己〕をも言うはずだ。




☆ わたしは 《自己愛性パーソナリティ障害》について文字通
りの無知ですが――まなぼうとしてちょっと読んだ限りでは よ
けいに無知なることを自覚しましたし そのような無知を人びと
はどのようにして 乗り越えて行くのかが分かりません――

お尋ねの《ありのままの自分》の定義として (く)~(こ)の
ように理解しました。つまり 初めから推測していた内容と変わ
りないからです。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2020/09/09 18:33

犬は、飼い主に愛されると、飼い主は神様だと思う。


猫は、飼い主に愛されると、自分は神様なのだと思う。
こんなジョークがあります。

犬型か、猫型か、類型の違いに過ぎないのかな?因みに私は猫型の性格だとよく言われます。でも、猫にだって愛情はあるんですよ?高飛車なだけです。大した問題では無いですよ。他愛の無いことです。

でもそうでは無く、飼い主に愛されず、むしろ虐げられて育ったペットは、歪んでしまうと思います。飼い主を悪魔だと思うか、自分を悪魔だと思うか、そんな感じになるかも知れません。この時、自分の主人、或いは自分は偉大でなければならないと思う気持ちはむしろ鼓舞する気持ちであり、超克の動機となる様に思います。

つまり、質問にある自己愛性パーソナリティの意味は、愛のある状態ではAであり、愛のない状態ではBとなると思います。

愛は盲目と言いますが、その通りかも。
飼い主は只の飼い主で神ではないし、ペットは只のペットで神ではない。それが事実なのに。
事実、自分はどうなのか?
事実、自分の主はどうなのか?
この様に見て、考えた方が無難ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<飼い主を悪魔だと思うか、自分を悪魔だと思うか、そんな感じになるかも知れません>ですね。
<ジョーク>の方が分かりやすいですね。
<犬は、飼い主に愛されると、飼い主は神様だと思う。
猫は、飼い主に愛されると、自分は神様なのだと思う。>ですね。

お礼日時:2020/09/09 18:36

パーソナリティ障害とは


本質的に言えば人の精神医学上の分類に過ぎすません。
ですから精神医学上で定義された何れかの「パーソナリティ障害」の判断項目の殆どに該当したからと言う理由だけでは「パーソナリティ障害」とは診断されないのです
パーソナリティ障害を精神医学において「病的に扱う」その理由は
自己制御ができない為に自身の内面(精神や心)と外界(社会)との「折り合い」がうまく取れず結果として「日常生活に支障をきたし」それによって患者が困るからです。
逆に言えば「内面(精神や心)」と外界との折り合いが取れて普通に日常生活を送れるのなら何れのパーソナリティ障害の診断項目に殆ど該当しても精神医学では「病的に扱いません」
それはその人の「個性」と言えるからです
という事は何らかの「パーソナリティ障害」と診断された者であっても「内面(精神や心)」と「外界(社会)」との折り合いが取れるようになり結果として普通に日常生活を送れるようになったらその者のパーソナリティに何らかの問題を抱えたままであってもそれを精神医学的に「治った」とみなしうるという事です 
そもそも「脳機能の医学生理学上の機能障害」では無い「パーソナリティ障害」については医学的な問題ではなく社会的な問題なのです。
よってこれらの精神障害については患者と患者の周り存在している人たちとの関係性が最も重要な要素となります
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
<精神医学上で定義された何れかの「パーソナリティ障害」の判断項目の殆どに該当したからと言う理由だけでは「パーソナリティ障害」とは診断されないのです>のですね。

お礼日時:2020/09/09 18:32

ある精神科医がこう言っていました。


「パーソナリティー障害とは、性格・人格の病気であって、精神障害じゃない」
と。
私は経験を踏まえて、次のように理解しています。

パーソナリティー障害とは、いくつかの分類はできるにせよ、その人が育ってきた
環境の影響により、自分の利益を最優先にし、他人を無視することをやめることが
できない、というのが最大の特徴ではないかと。
その背景には、どなたかも仰っているように、自分を尊いと思えないいわば「心の
穴」があると思います。

その心の穴が、自分と他人とを隔絶する分厚い壁になっていて、隔絶されているか
ら他人の心を慮ることができにくく、あくまで自分中心に生き方がなってしまう、と。
さらに、特徴であるのが、気に入らないものを消そうとすることだと見ています。
また、隔絶された自分の世界に住しているため、人によってですが、言っていること
の筋がおかしく、それを指摘されると逆上するという点もあると思います。

現代社会では実に多くの人がこの傾向をそなえていると思います。普段は隠していま
すが、ネット上において時に収拾のつかない状態になっているところを見れば、そう
いう現実があるのであろうと推測されます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<その背景には、どなたかも仰っているように、自分を尊いと思えないいわば「心の
穴」があると思います。>のですね。

お礼日時:2020/09/09 18:31

毛色の違った投稿ですが。




ギリシャ神話におけるナルキッソスの問題が:
▲ (ヰキぺ) ありのままの自分を愛することができず
☆ という定義になってしまうのかと――まったくの素人ながら――
思いました。いぶかりました。


▲ 自己愛
☆ の問題なんですよね? 

でしたら:
○ ありのままの自分を――たとえ大いに好意的に・自分にえこひい
きしてでも――愛することをしてしまっている
☆ という基本の定義になるのでないと おかしい。と。



要するに 《自分のことが めちゃめちゃ好き》なんだと思われます。

そのとき:
▲ 自分〔が〕優れていて素晴らしく特別で偉大な存在で
☆ あるかどうかなどは 関係ないことだと――素人の自己愛指向と
して―― 思いますね。



あとは 《自分のことが めちゃめちゃ好き》であることによって
もし相手や周りの人あるいは情況が目に入らなくなったとしたら そ
れは障害なんでしょうね。



人間性の問題としては こういった単純な分析に どうしてならない
かと いぶかしみます。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<《自分のことが めちゃめちゃ好き》>なら自己愛者であり、
<自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む>のが自己愛性パーソナリティ障害でしょう。

お礼日時:2020/09/06 14:46

続きです 


人を利用しようとする点では「自己愛性パーソナリティ障害者」と「サイコパス(ソシオパス)」は同じです  
違うのは「自己愛性パーソナリティ障害者」は単に利用しようとするのに対して「サイコパス(ソシオパス)」はそれを隠した上で利用しようとする人物が自ら進んで思いどおりのに行動を取るように仕向けるという事です。
それが「悪意あるサイコパス(ソシオパス)」の最も危険なところなのです。
何故なら利用されている人物犯罪利用されている事に全く気が付かずに自ら進んでサイコパス(ソシオパス)の思い通り行動してしまうのです
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<「自己愛性パーソナリティ障害者」は単に利用しようとするのに対して「サイコパス(ソシオパス)」はそれを隠した上で利用しようとする人物が自ら進んで思いどおりのに行動を取るように仕向けるという事です。>
><それが「悪意あるサイコパス(ソシオパス)」の最も危険なところなのです>ね。

お礼日時:2020/09/06 14:42

オマケです


若ころ私がスタジオマンとして働いてたレンタルスタジオに「サイコパス」若しくは「ソシオパス」であろう男性がスタジオマンとしてはたらいていました。
当時彼はそのスタジオです働いていたスタジオマンの中では最年長でしたが、彼は年下のスタジオにも明るくきさくで優しく接していたので誰かも愛されたいました。
サイコパスもしくはソシオパスな人の対する「自己中」なイメージは全くなくてまわりから「いい人」と思われる人物でした。
特に若い女性からとても人気があり素朴な風貌からとても想像し難いのですかモデルからモテモテだったのです。
そんな彼でしたがその彼が何故「サイコパス」若しくは「ソシオパス」と思われたのかと言うと
当時彼はファッションカメラマンを目指して作品作りのために彼が付き合っていたモデルをしていた恋人をモデルにしてファッション写真を撮っていたのですが彼は必ず「顔」を隠して撮っていたのです。
何故「顔」を写さないのか?その理由を彼に尋ねると「顔を写すと「生々しくなる」」からだと答えていました。
また彼は時折恋人の話しをしてきたのですが決まって「恋人をモデルにした写真の話」か「恋人としたSEXの話」しかせず「恋人」の人間性にまつわる話は一切しませんでした。
上記から言えることは彼は恋人を「一人の人間」・「一人の女性」と見ておらず「写真を取りたい欲望」と「性欲」を満たす為のいわば「おもちゃ」としてしか見ていなかったという事です
そのことをわたし以外の人たちは誰一人気付いていなかったと思われます。
何故この話をしたかというとサイコパスもしくはソシオパスと言える人たちは何らかの「犯罪を犯しでもしない限り周りの人たちそれに気付家ないという事です。
サイコパスもしくはソシオパスに対する世間一般のイメージとはかけ離れているから気付けないという事です。
それに対してわたしの同年齢の従兄弟の女性犯罪明らかに「自己愛性パーソナリティ障害」に分類しうる人物ですが彼女は「自己中」なのです。冷静に観察すればそれは要因に分かります
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
<。彼は恋人を「一人の人間」・「一人の女性」と見ておらず「写真を取りたい欲望」と「性欲」を満たす為のいわば「おもちゃ」としてしか見ていなかったという事です>ですね。彼は、恋人を生きている人間とでなく、利用する物としてみているだけだったのですね

お礼日時:2020/09/06 14:40

お礼をどうもありがとうございます。

そうです、とても魅力的です。

誤解しておられる方もいるようなので、もう一度だけ回答しますと、自己愛性パーソナリティ障害と、ソシオパスは、社会的弱者ではないです。彼らは肉食系で、グイグイ来ます。人一倍の努力家です。

米国では、CEOの25%がソシオパスだと言われています。感情に左右されず、利害だけで決断できるからです。

ネットフリックスで配信されている動画を見ると、多分、トランプ大統領は自己愛性、娘婿のクシュナー氏はソシオパスというふうに描かれています。(本当はどうかわかりません。) もし、そうだとしても、二人とも、米国を代表する、社会的な成功者です。

ただ、周りの人が振り回されて苦労する。

この二つの違いは、ソシオパスが、決断の際、同情を割愛するだけなのに対して、自己愛性は、周りから賛同されるために嘘をついて、ばれても知らん顔、という点です。ツイッターの嵐です。

うつ病やパニック障害とは、はっきりと区別される性質の精神障害です。

うつ病やパニック障害は、弱いからかかるのではないです。才能があり、責任感がある。だから、大きな責任を負わせられて、それにこたえようとして、ある日突然、異常に気付く。交通事故と同じです。日本では、まだ、弱いとか病んでるとか言われるようですが、そうではないです。交通事故で骨折した人が動けないのを、責めるのと同じです。

変わっていってほしいと思います。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
<自己愛性パーソナリティ障害と、ソシオパスは、社会的弱者ではないです。彼らは肉食系で、グイグイ来ます。人一倍の努力家です。>
<ソシオパスが、決断の際、同情を割愛するだけなのに対して、自己愛性は、周りから賛同されるために嘘をついて、ばれても知らん顔、という点です。>ですね。

お礼日時:2020/09/06 14:32

精神疾患について


多くの人達は「精神や心に何らかの問題」を抱えています。
そのような人達の殆どが「社会と折り合い」を付け「普通に日常生活」を送っています。
社会的に問題になるのは「普通に日常生活」が送れるかどうかです。
よって「精神や心に何らかの問題を抱えている」としても「普通に日常生活」を送っている限り「精神疾患」に罹っているとはみなしません。よって精神疾患と診断しうる最も重要な判断基準が「生活に支障をきたしている」なのです。
ですから何らかの精神疾患と診断された場合少なくとも「何らかの形で日常生活に支障をきたしている」という事です。
上記の精神医学的なその意味は
患者が罹っている精神疾患が完治できない場合でも何らかの対処療法を用いて患者を「支障来さずに日常生活」を送れるようにすることです
「精神疾患」を完治させる事は精神医学的に必ずしも重要となるわけでは有りません
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
精神医学の対処?治療?は、<完治させる事>は必ずしも重要ではなく、<「支障来さずに日常生活」を送れるようにすること>なのですね。

お礼日時:2020/09/05 09:27

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