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最近のNHK番組改変ですが、放送法を読んでいて疑問に思ったことがあります。

(放送番組編成の自由)
第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

3条では「干渉され、または規律されることがない」とありますが、これは「干渉したり規律してはいけない」という解釈なのでしょうか。
そうであるならば、政治家の介入があったか無かったかが問題にされているようですが、市民団体や視聴者が意見を述べることも干渉であって放送法に抵触してしまうのではないでしょうか。
「何人」とあるのですから、政治家に限らないはず。
そして、事前でも事後でも関係ないはず。

私見ですが、これは、放送事業者の立場として、外部の干渉に応じる必要はない、ということを示しているだけであって、誰もが意見を述べることは自由であるのではないでしょうか。

それと、もう一つ。
検閲の禁止については、憲法21条で定められていますが、これは公務員・行政機関のみに遵守の義務が定められているのでしょうか。
国民が表現の行き過ぎや自由の濫用を監視するような行為は検閲とは呼ばないのでしょうか。
それとも、検閲をするような立法や行政行為を禁止しているのでしょうか。

スタンダードな解釈でも、個人的な意見でも構いませんので教えてください。

A 回答 (3件)

まず前者。


市民団体が意見を述べるのも、厳密には
放送法に違反します。
ただし、放送法はあくまでも放送事業者に対する
法律です。
市民団体には適用されません。
意見を受けて放送を曲げた時点で
放送事業者が違反することになります。
政治家が介入したことよりも
介入した事で内容が変わった事の方が問題なのです。

また、3条の二の4には、意見の異なる事象は
双方の意見を伝える事を義務付けています。
NHKは自分が当事者だったとはいえ、
朝日新聞の主張を伝えなかった時点で
明白に放送法に違反しています。
(これは真実かどうかとは関係ありません)
だから、朝日は訴えると主張し、
それにNHKは正面から
「訴えられるならやってみろ」と言えずにいるのです。

検閲の禁止は、
検閲を出来る強制力を持つ、すべての個人、団体に
適用されます。憲法ですから、
普遍的に適用されるルールです。

NHKは、政治家に事前に番組を見せるのは当然だと
言い切っているのですから、
あとは、
政治家が自分から来たのか、
呼びつけたのか、
または、政治家に見せるのが通常のルールなのか、
事実関係についての
双方の意見の相違点はここしか無いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変参考になります。

ところで、市民団体が意見を述べるのは放送法に違反との事ですが、一方で放送法は放送事業者に対する法律で市民団体には適用されない、と。
これは矛盾しているように思うのですが。市民団体に適用されないならば違反にもならないのではないでしょうか。
放送事業者に対しての法律ならば、NHKに対して批判的な意見を言った放送事業者は違反になるのではないでしょうか。
「何人からも」とあるのは、市民団体でも政治家でもあらゆる人間・団体を指していると思うのですが、どう解釈すればいいのでしょうか。

3条の2の4号では確かに双方の意見を示す事とありますが、事実を曲げないですること、との記述もあります。
NHKは朝日新聞が捏造報道を行った、と主張しているわけで、朝日新聞の主張が意見ではなく、事実に基づかない捏造によるものである場合は、朝日新聞の見解を放送する事自体が事実に反し、放送法違反になる可能性もあるのではないでしょうか。

お礼日時:2005/01/27 00:48

No.1です。



追質問、拝見しました。
まず、市民団体と放送局の違いです。
市民団体には憲法で保証された言論の自由があります。
基本的に、市民は何を主張しても良いのです。
一方、放送局には報道の自由がありますが、
これは言論の自由を侵さない範囲での報道の自由と
なります。
どういうことかというと、対立する市民団体の主張を
とりあげるときに、一方の主張だけを報道しては
いけない(他方の言論の自由が侵される)という事です。

放送局は、まあ、言ってしまえば
声のでかい論者みたいなものです。
でっかい声で同じ事を繰り返せば、
世論をそちらの方向に導くことができてしまいます。
(反対意見を聞こえなくすることもできる)
二人の人が議論するときに、
片方がメガホンを持ち、もう一方が肉声でしゃべったら
メガホンを持っている方が聞く耳を持たない限り
一方的なメガホンからの主張だけが
繰り返されることになりますよね。
これを防ぐために作られたのが放送法の規定です。

次に、
>NHKは朝日新聞が捏造報道を行った、と主張しているわけで、朝日新聞の主張が意見ではなく、事実に基づかない捏造によるものである場合は、朝日新聞の見解を放送する事自体が事実に反し、放送法違反になる可能性もあるのではないでしょうか。
という再質問ですが、
もしも朝日新聞が事実に基づかない捏造をしていたのが
自明であればそれをあえて報道する必要はありません。
(○○はこう主張している。という内容を放送しても
 それは虚偽の報道にはあたりませんから、
 報道しても放送法違反にはなりません。
 最近だとオウム関連の報道でアレフの見解を
 放送している時などにこの形の報道が見られます。)
では、その事実関係はだれが判断するのでしょうか?
現時点ではだれも判断できないのです。
もしもguess_managerさんがNHKの報道内容が
すべて正しいから他の情報は要らないと考えていた
としても、それは確たる証拠があって正しい訳ではなく
あくまでもguess_managerさんがNHKの報道内容を
信頼しているに過ぎません。

なお、今回の事例では、問題となっている部分は
NHKは自分たちで放送内容を検証して
手直ししたわけではありません。
それもやったようですが、問題となっているのは、
特定の政治家(両名はNHKに対して間接的な許認可権を
持っています)に番組を見せて、
その政治家の意向に添って修正した訳ですから、
「自主的な修正」とは言い難いものがあります
尚、事前に政治家に見せ、カットしろと言う直接的な
指示は無かったものの
意見があった部分をカットした事自体は
NHKも認めています。

もうひとつ、出演者の意見と第三者の意見を
混同されているようですが、
出演者の意見は、ある意味希望の様なもので、
局が放送するにふさわしくないと思ったら
それは番組を作らなければ良いだけです。
これを局の編成権と呼んでいますが、
だれが意見を言おうと、だれが苦言を呈しようと
局はそういった意見を集約した上で、局の判断で
自分の責任で番組を作っています。

一方、一旦出来た番組を外部の人に見せて
第三者、それも利害関係のある特定の第三者の意見で
番組内容が変わるとすると、
これは局の編成権を放棄した状態となります。
明確な放送法第3条違反です。

ちなみに、この典型的な例としては
オウムに放送前の番組を見せた
TBSが挙げられます。
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この回答へのお礼

古い質問でお礼漏れがあったのでもう一度見たところ、回答者様のご回答を含め、やはりしっかり考えてよかったなと思いました。大変有難うございます。また、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

お礼日時:2014/12/14 13:05

私もNo.1さんと、ほぼ同じ考えです。


お礼の文章の中に、ちょっと気になる部分がありました。

>NHKは朝日新聞が捏造報道を行った、と主張しているわけで、朝日新聞の主張が意見ではなく、事実に基づかない捏造によるものである場合は、朝日新聞の見解を放送する事自体が事実に反し、放送法違反になる可能性もあるのではないでしょうか

そうはなりません。
NHKが論争の一方の当事者であるという立場と、公平中立な報道を行なうべき報道機関であるという立場とを分けて考える必要があります。
NHKが一方の当事者として朝日新聞の報道をどのように批判しようと、それは自由です。
ニュースとは別な番組にNHK会長が出てきて、NHKの公式見解(一方の当事者の意見)を表明することも、何ら差し支えありません。
しかし、報道番組の中では事情は全く違います。
「NHKは・・・と言っています。」というように、担当者の言葉を引用する形でしか、NHKの立場に言及してはならないのです。
(さすがにNHKもこのことは解っているようで、ニュースの中で「主張」はしていません。担当者の言葉を「引用」しているだけです。)
またこのとき、もう一方の当事者の言い分を無視することも許されません。
たとえNHKが一方の当事者であるとしても、(いや、むしろそうであるからこそ、)これに対する反論もあるという事実を無視すれば、公正な報道とは言いかねます。
「朝日新聞が・・・と言っている」という事実を伝えることと、朝日が言っていることの内容が真実であると保証することとは、全く別なことです。

何が真実であるかということは、今の時点では当事者以外、誰もわかりません。NHKの言っていることが怪しいとか、朝日新聞が嘘を言っているのではないかとか、憶測することは全く自由です。しかし少なくとも法的には、これが真実であると確定したものは現時点では何もありません。

もっと解りやすい例を挙げましょう。
刑事事件で検察官は被告人が犯人であると主張し、被告人は無実を主張するというのは、ごく普通にあることです。
どちらかが真実でないことを言っていることになりますね。この場合、報道機関は淡々と両者の主張を伝えればよいのです。
両方を伝えたからといって、両方とも正しいと報道機関が保証しているわけではありませんし、そもそも報道機関はどちらが正しいか判断する権限も義務もありません。。
一方の言い分がどんなに嘘っぽくても、無視することは許されません。

それから、「検閲」とは、公表前に権力的にその公表を差し止めることを意味します。
番組放映後に様々な立場の人が様々な意見を述べることは当然自由であり、政治家にもその自由はあります。
しかし、公表前に何らかの圧力をかけ得る人物が、番組の内容に影響を与えたとすれば、もはや報道の自由はありません。

今回の事件について、そもそも番組の内容が偏向しているか否かが問題だ、などと見当違いなことを言っている人が多いのに驚かされます。
偏向している報道もあり得るということを前提として報道の自由が成り立っているのです。
偏向していると思う人は、番組を見た後にいくらでも反論すればよいのです。

ネット上でも同じことが言えます。極端な話、私がここで個人情報を漏らしたり、誤った情報を流して世間を混乱させることは、あり得ないことではありません。しかし、だからと言って、ここに書き込みをするたびに誰かの事前チェックを受けなければならないとなったら、ぞっとします。

むかし外国の偉い方が、「私はあなたの意見に絶対に賛成しない。しかしあなたがその意見を言う権利は、命を賭けてでも守る。」と言ったそうです。
この言葉が意味するものをかみ締めれば、今回の疑惑の本質は、おのずからみえてくるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございました。

報道番組では特に公正中立が求められる、と言う見解ですね。

内容の偏向についてですが、
「偏向している報道もあり得るという事を前提として報道の自由が成り立つ」、とのご意見ですが、

「自ら公正中立であることを律する機関である事を前提として放送の自由が許される」
、という解釈もあり得ると思います。

そもそも、出版にはこうした公正中立を求められる事はありません。事実を曲げないですること、などという規制もありません。他人を貶めない限り、フィクションも許されます

放送(報道ではなく)は公正中立をより厳しくもとめる、というのが放送法の趣旨だと思います。放送免許の新規交付がほとんど認められないのも、業界カルテルのせいだとの声もありますが、公正中立が必要とされているからではないでしょうか。

そうであるならば、放送という特権を手にしている放送事業者が、公正中立について非常に敏感になって番組を手直ししたのも理解できます。

いわゆる表現の自由と、放送については分けて考える必要があるのではないでしょうか。

検閲については、今回の主催者側も放送前に意見を述べていたようです。当然自分たちがどう放送されるのか、当事者は気になるでしょう。ただ、それが検閲になるかどうかは、職務権限がありませんから、因果関係を問う事は出来ないと思います。
政治家についても、同様と思われます。

ただし、一切の干渉を禁ずる、というのが放送法3条の趣旨だとすると、両者とも放送法違反になるでしょう。

とりとめない事を書いてしまいましたが、引き続きご意見くださると非常にウレシイです。よろしくお願いします。

お礼日時:2005/01/28 00:59

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