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好きな小説家があったら 何故にその小説家の他の著作も読んだ方がいいといわれるのか。
例えば 夏目漱石なら他の夏目漱石作品(夏目漱石全集)なども読んでしまうのがいいといわれるのでしょうか。
満遍なく 他の作家の小説でもいいと思ったら複数読んでゆくのは浅い読み方なのでしょうか
いわゆる ためにならないものなのでしょうか。

A 回答 (7件)

多作の小説家だと大変ですよ。


栗本薫なんて、グイン・サーガが正伝外伝併せて151巻、魔界水滸伝が人級で28巻、伊集院大介が長編短編で28巻、夢幻戦記15巻、そのたにまだ諸々数10巻あるので気が遠くなるほどの函数だけど、私を含めコンプリートしている読者も多い。

そういえば手塚治虫全集も300巻ありますね。

他に全集で呼んだのは、星新一と筒井康隆くらいかな。
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こんにちは。

結論からいうと、あなたが好きな読み方でいいと思いますよ。
同じ読書と言っても、読みたいジャンルも、目的も、やり方も、それぞれのひとで違って何の問題もありません。
「ためになる」読書をしたいこともいれば、「ひまをつぶす」ために読むひともいるし、「楽しいから読んでるだけ」とかいろいろです。
もし、あなたが、「ためになる」読書をしたいのであれば、同じような読書のしかたをしている人にアドバイスをもらったり、まねしたほうが効率のよい方法がとれるかもしれません。
わたしは文章の好き嫌いが非常に激しく、違う著者だと、うけつけない文章にあたってしまったりするので、これはあたりだなーと思ったら、同じ著者の本を読むようにしています。(同じ著者でも、面白くなかったりもします)
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漱石は、書簡集から俳句集でも全部読みました



しかし、好きな人なら全部読むでしょうし、これでいいという人は気にもしないでしょう

なぜ人から言われたとおりの読書をしなければならない?
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「好きな小説家」といっても様々な状況がありますよね。



一般的に言って、例えば釣り人が、一度釣れた場所で何度も釣ろうとするように、好きになった小説家ならば同じ作者の作品に好みのモノが見つかる確率が高いでしょうね。

でも、特に好みのモノに出会いたいわけではない、数多く釣りたいわけじゃなく、多種多様な魚に出会いたいと、釣り場を点々とする人もいるでしょう。

ためになるか、ならないかは個人の意識次第でしょう。読書は自由です。全集買いたい!って思えるほどその小説家が好きな強い気持ちが沸いてきたら買えばいいし、そこまでは・・ってカンジなら、一度保留しといて他の小説家のを読んだりすればいいでしょ。

「〜すべき」なんて言説は、読書においては全て嘘ですよ。自分の感覚を信じましょう。
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趣味の問題です。


指向性の問題です。
嗜好性の問題です。
好き好きの問題です。
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その作家の作風が理解できるというだけの事です


漱石は本来学者ですから創作は無理実体験を膨らますだけ
新聞の小説欄に書いていくらという収入だから 文字数や話の展開は その段落で区切られている
三四郎 心 それからは 三部作で出てくる人の心理の流れが読み取れる
漱石のその時胃痛や頭痛お金が無くて困窮していた事がみえてくる
同時に親交の深かった文学者の同時期に書かれた作品と読み比べたり
時代背景の同じ作家の作品も 影響があったかどうかも推察されて推理小説をひもとくようで面白い
為になるかならないかは貴方次第
只のパートのおばぁには 必要の無い知識ですからね
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同じ小説家の作品なら、当たりが多い。


全集までいくと、出来の悪い作品まで入ってるから、どこまでにするかが問題。
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