A 回答 (12件中1~10件)
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No.12
- 回答日時:
〔訂正〕
宮内大臣は内閣に属していなかったので、前々回の回答から、以下の文を削除します。
「ちなみに、内閣に属していたのは宮内大臣で、今の宮内庁長官に相当する。」
No.11
- 回答日時:
〔追記〕
前回回答で「チーム裕仁」「天皇チーム」という言い方をしたが、日本近現代史の用語としては「宮中グループ」(または宮廷グループ)と呼ぶほうが一般的である。下記の日本大百科全書(小学館)の説明をご覧ください。
宮廷グループ
宮中グループともいう。天皇の側近や周辺にあって政治に影響を及ぼしたグループ。本来憲法上の国務に関する天皇の補佐者は内閣であるはずであるが、内閣総理大臣の任命をはじめとして天皇の大権があまりにも強大であったために、天皇側近者の政治的役割が大きくなった。すなわち元老、内大臣、宮内大臣、侍従長、およびそれらの周辺で親近関係にあった人々のグループをさす。(中略)
このグループは、天皇の行為を通して政治に決定的な影響を及ぼした。
(引用終わり)
すなわち、明治憲法上、天皇は強大な天皇大権を持っていた。天皇は象徴ではなかった。ただし、慣例として、みずから権力をふるうことは慎んでいた。そこで、天皇の取り巻きというか宮中グループが、天皇大権の一部を行使していた。
これに対し、いわゆるネトウヨ法学では「憲55条第2項により、法律・勅令などはすべて国務大臣の副署を要したので、大臣が副署を拒めば天皇は何もできなかった」などと主張するようだ。しかし、それは中二病的な解釈に過ぎない。
明治憲法では総理大臣が他の大臣の任免権を持っていなかったのである。天皇が持っていた。したがって首相は、仮に副署を拒む大臣が出現したら罷免できず、天皇も、おんみずから大臣を罷免するのは、国政への大幅な関与になって慣例に反するので、これを罷免し難い。すると、「天皇は何もできなかった」さえも通り越して、法律や勅令というものが成立発効しなくなるではないか。国務大臣一人一人が(法律成立に対する)拒否権を有することになってしまう。
中二ではない大人は、こういうことに気付いていたであろうし、憲法学者の清水澄(1868~1947年)も『逐条帝国憲法講義』で、「我が国において国務大臣は絶対に副署を拒むことを得ざるものと謂わざるべからず」と述べている。大臣は絶対に副署を拒めないというのである。清水は保守的ではあったが天皇機関説の学者で、大正天皇や昭和天皇にも進講しており、枢密院議長も務めた。
つまり、前回回答でも述べたように、天皇(宮中グループを含む)は権力を持っていたのであり、内閣や議会を牽制していた。勅令や法律は、内閣や議会が作るものであって、むやみに天皇が作れないが、天皇は内奏の対応などを通して、政府に対する不満を仄(ほの)めかすこともできたし、各々の大臣は副署を拒めなかった。
ちなみに、首相は宮中グループではないのが普通だった。天皇が自分の側近を首相に任命したならば、露骨な天皇主権である。日本はそうではなくて、天皇主権の枠内で徐々に民主主義も志向し、富国強兵を目指していたから、天皇の寵臣でなくても実力のある人を首相に任命したり、のちには議会の多数党の党首が首相に任命されたりした(政党内閣)。
それでは、首相が実権を握って天皇は象徴だったのかと言うと、そうではなく、明治憲法に基づいて、さらには憲法に基づきもせずに、天皇(政治機関としての天皇は宮中グループを含む)は政治に影響を及ぼした。「憲法に基づきもせずに」とは、憲法外の輔弼機関として元老や内大臣などが存在したことを指す。
No.10
- 回答日時:
> これは本当なんでしょうか?
〔回答〕
誤りです。
〔解説〕
まず、小学校では「日本国憲法は国民主権」と習うと思う。それとの対比で「明治憲法は天皇主権」というのも出てくる。次に中学では、「明治憲法で天皇は統治権の総攬者だったが、一定の制約も課されていた」と教わる。単純な天皇主権ではないということだ。
そこで調子に乗って、「天皇主権はウソで、明治でも天皇は象徴だった」などと言う者が出てくる。大人になっても、まだそんなことを言ってたりする。いわゆる中二病をこじらせちゃった奴だろう。
しかし、私たちは高校や大学レベルの知識もかじっていたりする。例えば枢密院や帷幄上奏権(いあくじょうそうけん)である。それらをちょっと解説しておきたい。
明治憲法で天皇に実権が無かったならば、誰に実権があったか。例えば、内閣が行政権を握っていたのか? ここで勅令について見てみよう。内閣の役割の一つに、命令を定めることがあり、それを勅令(天皇の命令)と言っていた。天皇の命令というが、実際は内閣が定めていた。現在の政令に相当する。
しかし、重要な勅令案に対しては、天皇に拒否権があったのである。(内閣が発しても)枢密院で否決されると、その勅令はつぶされた。明治憲法第56条に、枢密顧問官からなる枢密院のことが出てくる。この第56条は「第4章 国務大臣及枢密顧問」に属しており、「第3章 帝国議会」に属するのではない。
つまり、枢密院は(衆議院・貴族院と並べて「第三院」と言われることもあったが)帝国議会には属さず、内閣にも属さず、天皇に直属していた。むしろ、枢密院が倒閣(内閣を倒すこと)を策動した場合さえあった。「内閣が行政権を握っていた」とは言えなかった。
なお、前述の「第4章 国務大臣及枢密顧問」は、国務大臣について定めた第55条と、枢密顧問について定めた第56条の2カ条しかなく、あたかも内閣と枢密院が同格であるかのようだった。第55条を受けて内閣官制で内閣を規定し、第56条を受けて枢密院官制で枢密院を規定していた(内閣官制、枢密院官制は勅令)。
要するに何を言いたいかというと、天皇個人が権力をふるわなかったとしても、天皇の諮問機関(例えば枢密院)や側近はかなり権力を持っていたということである。「政党内閣を牽制する藩閥勢力(のちには官僚勢力)の牙城」とも言われた。これは、今の憲法体制と大きく異なる。
今の憲法では、天皇は象徴であって政治的権能を有しないから、天皇の側近(例えば侍従など)が国政に権力を発揮するわけがない。しかし、明治憲法体制下では例えば内大臣というのがいた。内大臣は天皇の側近で、大臣とは言いながら内閣には属していない。それなのに、国政に大きく関与したのである。ちなみに、内閣に属していたのは宮内大臣で、今の宮内庁長官に相当する。
裕仁(昭和天皇)が権力をふるわなかったとしても、「チーム裕仁」には権力があった。明治憲法体制下では、天皇チームが内閣や議会を牽制していたのである。今は、牽制すると言えば、三権分立で三権が牽制し合うことなどであるから、違いは大きい。やはり、明治憲法における天皇は、今の象徴天皇とは大きく異なっていた。
公的には、「天皇」という言葉は天皇個人を指すというよりも、天皇という国家機関を指すのであるから、戦前・戦中の昭和天皇の権力について考察する際も、チーム裕仁について考えるべきであろう。機関とは組織のことである。
すでに長文になってしまったので、帷幄上奏権についてはちょっと述べるにとどめる。
日本では、軍の高官たちが、内閣を通さず直に天皇に上奏する権利を持っていた。その上奏内容に対し、天皇が反論できない(反論すれば権力行使になってしまう)ならば、裁可するしかないならば、軍部の決定がそのまま国家の決定になってしまう。それは軍国主義化を懸念させるものである。
それを防ぐため、昭和天皇は軍高官の内奏(正式な上奏の前に内々に報告すること)に対して、語気鋭く詰問するなどの抵抗も見せた。正式な上奏はそのまま裁可するのが慣例だったが、内奏に対しては、そうでもなかったのである。
とは言え、戦争が長引くにつれて、チーム裕仁は次第に軍部を牽制できなくなっていった。
以上、中二レベルではなく高校・大学レベルの知識があれば、明治憲法の天皇が最初から象徴であったという説は、誤りだと分かる。また、「お飾り」などということはケント・ギルバートも言ってないと思う。ネトウヨの大将が勝手に言い出して、それを批判するという、滑稽なマッチポンプであろう。
No.8
- 回答日時:
まず、国際法では立憲君主は政治に直接関与できませんが、以下の権利はあるとされています。
1:相談を受ける権利
2:何かを奨励する権利
3:警告する権利
私の以下の回答は、↑以外の政治権力に関する事です。
A:>これは本当なんでしょうか?
回答A:「象徴」であったのは事実だと思います。
しかし、それを理由に「無視」や「軽んじられていた」ような「お飾り」とは思いません。
議会の決定を承認するだけの無責任な存在とも思いません。
そのように言ってる方は、他の立憲君主制の国の元首についても同様に考えているのでしょうか。
それとも天皇だけは違うと思っているのでしょうか。
(だとしたら、その方は日本人なのでしょうか)
天皇を軽視していたら、御前会議で詠んだ歌に、閣僚が心を動かされることは無かったと思います。
明治以降の天皇が実権を握っていない象徴である理由は、明治憲法によるものです。
明治維新当時の世界は、法に拠る統治が出来ない国は未開の野蛮人とされ、国家とは認められませんでした。
そして、そんな国は文明国(欧米)の支配による指導(植民地=搾取)を受けた方が、その国にとっても良い事だという理屈が通っていた時代です。
明治憲法が制定された目的は、日本を法治国家にすることと、それによって日本は専制君主という個人によって国政が左右されるような国ではない文明国であることを示す為です。
この理由により国家元首(天皇)の権力は制限(実質無力化)されています。
更に、このような目的で定められた明治憲法は、外国も認める民主的な内容でした。
このようなテーマは過去に何度も語られていますが、必ず当時の制度や政府との関係を歪曲して騙る方が湧いて出ていたようです。
その方たちは、天皇の価値を貶めようと屁理屈を駆使していました。
彼らは「象徴」という言葉を歪曲して、天皇に店の看板やマスコットのような軽薄なイメージを与えたいようです。
しかし、幼稚なグローバルやら世界市民という軽薄な言葉で国際人を気取っている方には理解できないかもしれませんが、
天皇の象徴としての価値は、皇室の存在によって日本人が日本人であるという意識を得られるというものです。
他国も様々なもの(建国の理念、独立戦争、革命思想等)で国民を纏めていますが、その中でも天皇は、他の国が望んでも得る事の出来ない力のある貴重な存在です。
これについては、質問の主旨から外れるので詳細は語りません。
天皇や日本が嫌いな人はどうせ理解できない(したくない)でしょうし。
No.7
- 回答日時:
天皇は、象徴としての地位を持っていました。
それは今も昔も変りません。
今は、象徴だけになっています。
じゃあ、実権は持っていたか。
徳川時代の将軍や、領主と同じ権限
だと思います。
自分で立案し、それを命じる、なんて
ことはありませんでした。
そんな能力もありませんし。
ブレーンが決めたのを、天皇が形式的に
認める、というだけです。
しかし、天皇がどうしても、ダメだ、といえば
誰も逆らえません。
そうした権限です。
No.6
- 回答日時:
明治天皇に権限はありましたが、周りの人たちがそれを無視していました。
明治時代になって天皇親政となりましたが天皇の意向は通らず、明治前半は官僚による有司専制でした。
憲法ができて天皇が主権者となり明治天皇も再び政治をしようとしましたが、実際は元老に決定権があって天皇の意向は無視されて、以後、天皇が政治的な発言は限られたものになりました。
明治から昭和初期までは天皇機関説が通説です。
戦前に急に天皇機関説が否定され天皇主権説となりましたが、それでも運用は天皇機関説のときとあまり変わっていませんでした。
政治的な発言をしない代わりに和歌を詠んで意思表示をしましたが、その和歌という形式なので曖昧で大御心が政治に反映されることはほとんどありませんでした。
ですので、実質的には象徴のみの役割に近かったです。
No.5
- 回答日時:
明治憲法では、天皇が全権を持つと記されています。
国会で決議した事も、軍部の軍事行動も天皇の裁可がないと実施出来ませんでした。
実際には印を押すだけで、所謂、お飾りだったのです。
憲法学者の美濃部達吉が天皇機関説なるものを発表した時、天皇陛下を人間の臓器に、
たとえるのは「何事ぞ!!」と天皇をお飾りにしている、軍部が怒って騒ぎに、なりました。
戦後、昭和天皇が巡幸した時の各地での万歳万歳の嵐で、深く国民の心に沁み込んでいる事を、
国会議員も軍部の上層部も、昭和天皇自身も、この時に気付いたのでは、ないでしょうか?
早くに解っていたら、別の道を日本は進んでいたかも???
何も解らない天皇にする為に籠の中の鳥状態にしたのですから・・・
No.4
- 回答日時:
ある程度事実です。
特に「ヨーロッパ的」な歴史観から見れば、結果的にそのような判断ができると思います。実際「天皇」が「立案・計画」して実行された政策はほとんどなく「軍」や「政治家」たちの「政策」に
「OK」を出すだけの無責任な存在だったので、そう主張するのだと思います。
第二次世界大戦後、そのことに気付いた「GHQ」は天皇を死刑にするより、利用する道を選択したのです。
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