プロが教えるわが家の防犯対策術!

「ば」は後ろには依頼などの表現は付けられない、主語が違う場合、つけられるといいますが、つまり、「雨が降れば、窓を閉めてください」という文は文法的には正しいですね、確認したいんですが、教えていただければ助かります

質問者からの補足コメント

  • 皆さん、はっきり言えなくて、すみませんでした、中国の先生が編集している参考書に、「s1+ば、s2」という文型が書いてありますが、「s1の動詞は状態系述語文、あるいは、前後の主語が違う場合は、後ろに依頼文とか、意志文とか、命令分とか付けられないという制限があって、でも、テキストの後ろに「❌雨が降れば、窓を閉めてください」と強調しました、どうしても理解できなくて、皆さんに伺ってみました、丁寧なご返信を、誠にありがとうございます

    「「ば」は後ろには依頼などの表現は付けられ」の補足画像1
      補足日時:2020/09/16 23:57
  • 皆さん、はっきり言えなくて、すみませんでした、中国の先生が編集している参考書に、「s1+ば、s2」という文型が書いてありますが、「s1の動詞は状態系述語文、あるいは、前後の主語が違う場合は、後ろに依頼文とか、意志文とか、命令分とか付けられないという制限があって、でも、テキストの後ろに「❌雨が降れば、窓を閉めてください」と強調しました、どうしても理解できなくて、皆さんに伺ってみました、丁寧なご返信を、誠にありがとうございます

    「「ば」は後ろには依頼などの表現は付けられ」の補足画像2
      補足日時:2020/09/16 23:59

A 回答 (34件中1~10件)

#32です。



答えられなければ逃げの一手?(笑)
まあ、反論の余地が無いからね。
これ以上は追及せんよ。

「過ちを改めざる これを過ちという」

という孔子先生の教えを拳拳服膺するとよろしいでしょう。
質問者さん、どうもお騒がせしました。
    • good
    • 1

No.32 にお応えして



>>こうした記述を本気で書いているのだとすれば、本当に心配ですなあ。

ご心配ありがとうございます。
御自分の記述のピント外れな無内容と良く比較検討し、疑問の点は別途質問を立てて下さい。■
    • good
    • 0

#28です。


#30の回答について感想と質問を少々。
こうした記述を本気で書いているのだとすれば、本当に心配ですなあ。

A.
>「ば」は想像を提示した後に、即現実の世界に戻る場合です。

雨が降れば、窓を閉めます。

この場合、話者は「ば」で現実の世界に戻り、「窓を閉めます」と事態を述べています。

雨が降ったら、窓をしめましょう。

この場合、話者は「たら」で想像(夢)の世界から戻らず、そのまま「雨が降った」状態に向かいあったままなので、「窓をしめましょう」と呼びかけています。

【質問1】
「ば」で現実の世界に戻った場合には、「窓をしめましょう」と呼びかけられない理由は何ですか???

【質問2】
「たら」で想像(夢)の世界から戻らない場合には、「窓を閉めます」と事態を述べることはできないのですか?

B.
>窓を開けたら、富士山が見えました。

ここでは、話者は想像の世界で、窓を開け、富士山を見ています。それゆえに、「た」と過去形になっています。これを「ば」にすることはできません。

☓ 窓を開ければ、富士山が見えました。

【質問3】
「窓を開けたら、富士山が見えました」と言った話者は、
《話者は想像の世界で、窓を開け、富士山を見》たのですね?
つまり、実際に窓を開けたわけではない、ということで間違いありませんか?

【質問4】
これらは既定条件の例文ではありませんか?
「ば」は前項と後項を恒常的関係と捉える助詞なので、既定条件に使うと基本的に不自然になる場合がほとんどだ、ということ。
仮定条件と既定条件を混同なさった、ということでよろしいですね?
それにしても、「取り上げられている次の例文がよりこの点を明解に示しています。」として挙げた極めて重要(であるべき)例文が、まったくの勘違いであるという点が、アスナロウさんの説の曖昧さを逆に裏付ける格好になっているようでご愁傷さまです。
    • good
    • 0

なお、質問の



「ば」は後ろには依頼などの表現は付けられない、主語が違う場合、つけられるといいますが、つまり、「雨が降れば、窓を閉めてください」という文は文法的には正しいですね、確認したいんですが、教えていただければ助かります

というのは、この「ば」と「たら」の相違の本質が理解できないために結果としての文の相違で説明しようとした限界で、誤まった説明です。

雨が降れば、窓を閉めてください。

は、意味が通じなくはありませんが誤まった用法で、

雨が降ったら、窓を閉めてください。

雨が降ったら、窓を閉めましょう。

が正しい用法で、「ば」の場合は、

雨が降れば、窓を閉めます。

雨が降れば、涼しくなるのだが。

雨が降れば、傘をさします。

が正しい表現です。

>>「ば」は後ろには依頼などの表現は付けられない、

ことはなく、

時間があれば実家に寄って下さい。

のように使用します。又、主語云々の問題でもありません。

言語は話者の認識の表現で、現在の言語論、文法論、日本語教育文法はこの本質を捉えることができずに、単に現象を記述する記述文法の段階にあり、日本語教師もこの誤まった文法論に従っているため正し理解ができないままに教育をしているのが現状です。■
    • good
    • 0

No.9 で回答の通りですが、仮定の本質、語の意義と文での意味の相違が理解できない方が無用な誤った説明を繰り返されているので、もう一度、纏めておきます。



テキストにあるように、「ば」と「たら」という語の使い分け、相違が問題です。

これらは、「仮定」「条件」を表わすもので、「仮定」「条件」というのは現実の眼前の事態ではなく、想像の世界を提示することです。言ってみれば、夢の中に入ることです。

そして、夢の世界に入った後、直ぐに現実の世界に戻るか、そのまま夢の世界の中で想像を続けるかの二つの立場が生まれます。

「ば」は想像を提示した後に、即現実の世界に戻る場合です。

雨が降れば、窓を閉めます。

この場合、話者は「ば」で現実の世界に戻り、「窓を閉めます」と事態を述べています。

雨が降ったら、窓をしめましょう。

この場合、話者は「たら」で想像(夢)の世界から戻らず、そのまま「雨が降った」状態に向かいあったままなので、「窓をしめましょう」と呼びかけています。取り上げられている次の例文がよりこの点を明解に示しています。

窓を開けたら、富士山が見えました。

ここでは、話者は想像の世界で、窓を開け、富士山を見ています。それゆえに、「た」と過去形になっています。これを「ば」にすることはできません。

☓ 窓を開ければ、富士山が見えました。

「ば」の場合は話者は「窓を開け」て、即現実の世界に戻ります。したがって、

窓を開ければ、富士山が見えます。

窓を開ければ、富士山を見ることができます。

のように、「窓が開いていない」状態で話をしています。

これが、「ば」と「たら」の本質的な相違です。「と」の場合も同じように話者は観念的に移行します。良く知られているように、

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

と、話者は実際にトンネルを抜けた場面に移行し過去形になっています。

これは、英語の仮定法現在と仮定法過去に対応し、「ば」が現在、「たら」が過去に対応することが理解できると思います。■
    • good
    • 0

#28ですが、ひとつ追加。



アスナロウさん、下記の質問にまだ答えてませんね?
逃げずに答えてください。
あれこれゴネていれば、そのうち忘れるとでも思っているなら大間違いですぞ。(笑)


・鳶が鷹を【産めば】→面白いがなあ。
・猫の手を【借りられれば】→仕事もはかどるのだが。
・臍が茶を【沸かせば】→おもしろいのだが。

のように、話者は→の前項と後項に「恒常的な関係がある」と認識していることになる。
これが私の解説。

アスナロウさんの場合は、どう説明するのですか?
    • good
    • 0

#25です。


質問者さん、横レスが長引いてすみません。
#26さんの健気な疑問に答えてあげたいので再度おじゃまいたします。

1.
>では、一回限りではなく二回の「雨が降る」という現象に着目し、そのニ回の場合には「窓を閉める」という場合はどう表現し、「ば」「たら」ではなく、どんな語を使用するのですか?

あまりに無邪気すぎるお尋ねで、思わず笑みがこぼれてしまいますな。(笑)
しかし、真剣にお尋ねのようなので、こちらも真剣に応じることにいたしましょう。
私に似てアスナロウさんもせっかちなご性格のようですので、再度注意を促しますが、下記の記述をよく読み返してください。

※【たら】は、基本的に、【一回限りの仮定→帰結】という関係性を表わす場合に使われる仮定条件です。
これは、「たら」が完了の助動詞「た」の仮定形であるためです。
実際に「雨が降った」という事態が完了したことを仮定している形のため、【一回限りの仮定】に向いている、ということが理由です。※

かみしめるように読みましたか?(笑)
その前提で解説しますと、

★ 雨が降ったら、必ず窓を閉めます。

と言う人は、『実際に「雨が降った」という事態が完了したことを仮定』する意図で話しています。
実際に空から雨粒がパラパラと落ちてくる、その状態を想定しながら言っている。
つまり、『そういうことが起こったら』→「必ず窓を閉めます」と言いたいわけです。
『そういうことが起こったら』なのですから、《二回の「雨が降る」という現象に着目》する必要など全く無いわけ。【☜ここ重要】
おわかりですか?
『そういうことが起こったら』という仮定条件を示すのに二回目は必要ありませんよね?
そういうことです。

2.
>どこに、「恒常的な関係がある」あるのですか。
鳶が鷹を産み、猫の手を借り、臍が茶を沸かすとはSFか、あの世のお話しですか?

ここまで丁寧にかみ砕いて解説しているのに、まだお分かりにならないとは、厄介なおっさんやなあ。(笑)
他人の文章まじめに読んどるんかいな。

・鳶が鷹を【産めば】→面白いがなあ。
・猫の手を【借りられれば】→仕事もはかどるのだが。
・臍が茶を【沸かせば】→おもしろいのだが。
のように、話者は→の前項と後項に「恒常的な関係がある」と認識していることになる。
というのは、つまり、「→の前項と後項の関係性に恒常性がある」ということに決まってますがな。
そのぐらいわかれよ。(笑)
『鳶が鷹を産み、猫の手を借り、臍が茶を沸かす』というのは、「→の前項」だけしか取り上げておらんじゃないかい。
しっかりせえよ!
一度、PCR検査でも受けたほうがいいぞ?(笑)

この体たらくでは質問者さんに迷惑がかかるので、反論があれば新たな質問を立てる形にしよう。
さすがに今回は理解できたと思うけどね。
同意しなくても構わないが、何を言っているかぐらいは理解する努力をしなさいよ。
    • good
    • 0

No.26 のおまけです。



あまりに、愉快な話をされるので、

喉から手が出せれば、出してあげたいのですが?
それも、恒常的に!

喉から手が出せたら、気持ちいいかも?
これは、一回だけでもいいですが。

ということです。

判るかな?■
    • good
    • 0

No.25 にお応えして



>>その中の一回限りの「雨が降る」という現象に着目し、その場合には「窓を閉める」という構造であることがわかってませんな。
ま、限界のようですから、仕方ありませんが。

では、一回限りではなく二回の「雨が降る」という現象に着目し、そのニ回の場合には「窓を閉める」という場合はどう表現し、「ば」「たら」ではなく、どんな語を使用するのですか?

馬鹿も休み休みにしましょう。
ご自分のその杜撰な理解と、乏しい想像力を嘆くとよろしいです。

>>・鳶が鷹を【産めば】→面白いがなあ。
・猫の手を【借りられれば】→仕事もはかどるのだが。
・臍が茶を【沸かせば】→おもしろいのだが。
のように、話者は→の前項と後項に「恒常的な関係がある」と認識していることになる。
これが私の解説。

どこに、「恒常的な関係がある」あるのですか。
鳶が鷹を産み、猫の手を借り、臍が茶を沸かすとはSFか、あの世のお話しですか?

「恒常的な関係がある」と認識しているのはSFの住人か、医者へ行った方が良い方か、回答者くらいでしょう。

一度、臍で茶を沸かして見せて下さい。Instagramででも。
それも、恒常的に是非お願いします。

無理はしなくてよろしい。
ただ、自分に対案もなく他者を批判するのはガキのやることだ、ということ。
おわかりかな?(笑)■
    • good
    • 0

#23です。


#24さんに応じて。


hako→話者の認識と言うのは無意識的なものなので、分析や理解が難しいのは止むを得ません。
アス→こういう逃げ口上を最初に置くのは何も判っていない証拠です。無意識的なものを明らかにするのが文法論です

いやはや大笑い!!!(笑)(笑)

話者の認識と言うのは無意識的なものなので、(アスナロウさんにとって)分析や理解が難しいのは止むを得ません。

という意味の皮肉であることさえ読解できないとはねえ~。(笑)
もはや、微笑ましいと片づけておくしかないのかも。(笑)

> ★ 雨が降ったら、必ず窓を閉めます。

この仮定が一回限りというのは、この文の記述が一回限りであるだけで、雨が降るのは不定、未定、繰り返しであるのは言うまでもありません。

「繰り返しである」のは当たり前だが、その中の一回限りの「雨が降る」という現象に着目し、その場合には「窓を閉める」という構造であることがわかってませんな。
ま、限界のようですから、仕方ありませんが。

>上記のとおり、別に「たら」であろうと「ば」であろうと何の関係もないということです。

ご自分のその杜撰な分析と、乏しい想像力を嘆くとよろしいです。

>鳶が鷹を産み、猫の手を借り、臍が茶を沸かすのが「恒常的な認識」とはどこの世界の住人ですか。

『以下のような同じ仮定条件文の違いを解説してこそ意味があるのでは?』
と申し上げたはずです。
「鳶が鷹を産む」ことが「恒常的な認識」とは、いやはや、どんな読解をしておられるのか???

・鳶が鷹を【産めば】→面白いがなあ。
・猫の手を【借りられれば】→仕事もはかどるのだが。
・臍が茶を【沸かせば】→おもしろいのだが。

のように、話者は→の前項と後項に「恒常的な関係がある」と認識していることになる。
これが私の解説。

アスナロウさんの場合は、どう説明するのですか?
とお尋ねしている。
できないならできないとおっしゃっていただければ、それ以上は追及しません。
無理はしなくてよろしい。
ただ、自分に対案もなく他者を批判するのはガキのやることだ、ということ。
おわかりかな?(笑)
    • good
    • 0
1  2  3  4 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A