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足利義昭の事を「将軍の器ではない」と朝倉に言ってましたよね?
織田信長も明智光秀に殺されましたし、自分はよいが、自分以外の人間は認めない。認めると嫉妬してしまうから許せない。という嫉妬深い反逆精神持った性格だったのではないですか?
自分が一番じゃなければ駄目だから、自分が天下取りたかったのではないですか?
なんとなくですが、この人に、武士の美しい忠誠心は見えません。むしろ人の粗探しして自分の方が!という卑屈な根性を感じます。

gooドクター

A 回答 (5件)

明智光秀に将軍になる気はありません。

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戦国時代の武士に「美しい忠誠心」を求めるのは現代の感覚です。

当然現代の感覚で「粗」だと思うことも、当時であれば普通の事であったりします。究極の「一所懸命」の時代である戦国時代に、現代の感覚で「粗さがし」をされることも「自分の周囲を考えるときの一つの視点になりますが、、そのことで卑屈になられてしまうこともないと思います。
因みに「武士道」が騒がしく言われるようになったのは、武士と土地の支配の関係が完全崩れた「江戸時代」からです。現実の土地支配をめぐる騒乱がなくなった時代に、「武士」がどう生きたらよいのか、いわば「地方公務員」としての理想が「武士道」となったと思います。そこに美しさを見るのも、現代的な視点です。特に、明治以降、そうした傾向が強くなってきたと思います。
一例をあげれば、歌舞伎で「蘇我兄弟」の仇討よりも「忠臣蔵」がもてはやされるようになったのは、明治以降で、同じ仇討でも「組織」が動くことに価値を見出し、そこに武士道を見ている人が多くなったのです。戦国時代までは、「支配地を増やすためなら、出自を変えても構わない」という感覚ですから、「血筋が」などということは、結果論で、当時の明智光秀には、まだ将軍を考えるだけの支配力が無かっただけだと思います。
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これはあくまでフィクションなんだから、主人公の設定をそんな下種人間にすることはないんじゃないですかね。

むしろ麒麟の来る世をつくりたい、でも誰もできなかった、だったら自分がって考えの設定にするでしょ。
 あえてフィクションの中の人物の粗探しをしなくてもいいんじゃないですか。恨みでもない限りは。
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大河ドラマは絵空事に近い。


ドラマでは作者の妄想を明智光秀に言わせた。明智光秀にとっては「えー、おれそんなこと言ったかー。」
坂本龍馬も司馬遼太郎の妄想です。歴史とは別次元です。

>自分が一番じゃなければ駄目だから、自分が天下取りたかったのではないですか?
なんとなくですが、この人に、武士の美しい忠誠心は見えません。むしろ人の粗探しして自分の方が!という卑屈な根性を感じます。

現代人の発想ですね。明智光秀にとっては名誉棄損でしょう。(笑)
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あの当時は将軍有資格者は、皇族またはそれに準じる武家の棟梁の直系子孫的な暗黙の了解がある。


当時の光秀が将軍になりたかったとは思わないが、なりたいと思っても誰も認めない。ゆえにあの頃の光秀がそのような野望を抱く可能性は微塵もない。
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