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新撰組隊士の給金はどのくらいだったのでしょうか?
平隊士についてです。
全盛期とそうでない時もわかれば教えて欲しいです

A 回答 (2件)

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/765 …
従来の新選組関係史料には出ていなかった事実である。永倉新八が『新撰組顚末記』で、組頭は月30両、平隊士は月10両と回想していて、やや金額が多すぎるように思われていた

同時代史料によって、三井家の者の聞き書き『新選組金談一件』ではあるが、金額が明らかにされたのだ。
「組頭以上者一ヶ月御手当金壱人シ両宛、余者セ両ツヽ之由」

シ両というのは三井家で使っていた符牒(暗号)で十両のこと。同じくセ両は二両を表している。つまり、組頭以上の者はひと月に10両の手当が支給され、平隊士は同じく2両が給されていたということになる。
一両は現在の貨幣価値に換算しておおよそ10万円であるから、組頭に支給された10両は100万円、平隊士の2両は20万円になる。月給として比較的妥当な金額といえるのではないだろうか。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …


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当たり前の話しだと思うのですが、給金・給料・報償などが制度としてきちんとしているわけではなく、その都度行き当たりバッタリで、払われているのですから、平隊士だからこれこれの給金ということはないでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A …
慶応元年(1865年)6月の組織再編成では六番隊組長に任じられ、慶応3年(1867年)6月、新選組が幕府直参に取り立てられると、副長助勤として七十俵三人扶持を与えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A …
きっと、良いときで、給金2両位なのでしょう。 毎月決まってというのではないでしょう。
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会津藩が後ろ盾になってからは、3両か5両だったかな?


制服と三食、雑魚寝かもしれないけど、部屋も只。非番の時、夜の街で使う費用だったみたい。
初期の芹沢派は、親分があっちこっちを強請って得た中から小遣いを貰うという、今の暴力団みたいな感じだったかと。
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